Tokyo日記

社会学者のよしなしごと

センター試験、やっと終わる

2006-01-22 21:57:05 | よしなしごと
今朝、朝日新聞みたら、トップ記事が「センター試リスニング不具合続出」だったので驚いた。続出っていうから、どの程度の数字かと思ったら、425人再テスト。これを多いとみるか、少ないとみるかは、ひとによって違うと思うけれど、50万人以上が受験したうちの425人だったら、まあまあつつがなく、の範囲に入るかな? 少なくとも、最初に勝手に予想していたより、個人的には少なくてホッとした。事前に不具合はないだのなんだの聞かされていたけど、人間の作る機械だもの、絶対に故障がないと事前に想定することのほうが、無謀な気がする。

例年のように、わたしもセンター試の監督にあたっていました。もうこれは本当に辛い。ミスは許されない、しかも手持ち無沙汰。緊張した暇の地獄を味わってぐったりする。花粉症の先生は鼻音を恐れて大きなマスクをつけてるし、わたしも雪のなかなのに音のしない靴を選んで履く。試験監督の靴音がうるさくて集中できなかったと苦情がでると困るから。とにかく携帯が普及しているから、試験監督に腹が立つと、速攻親に苦情を申し立て、親が電話を掛けてくるので、細心の注意が必要。まぁ一生に関わることですから、仕方ないですけどね。

とくに今年はリスニング試験を初導入で、わたしも緊張しまくり。事前の講習会にも出たし、事故対策マニュアルを二度も熟読し、誰かが鼻血を出したら、咳き込みはじめたら、お腹が痛くなったら、暴れだしたら、機械を落としたら、間違ってボタンを押しちゃったら、片耳だけで聞きたいといい出したら、地震が起きたら、火事が起きたら、停電が起きたら、飛行機の音が聞こえたら、他の騒音が出たら、といった事態にどう対応するかを暗記。必要なのは不測の事態に備えることだから、細かなことまで、記憶しておかないと、迅速に対応できないかもしれないから。とほほ。

しかし、携帯電話を机の上に出させて、一斉に電源を切らせたはずなのに、試験中にピロピロ荷物の中から音が出てきたときは、びっくりしました(必要ないけど、わたしは見回って確認した。だけどその子は、電話を取り出してなかったような気がする。電源を切りたくないけど、マナーモードも不可っていわれたので、音量とバイブを切って隠したつもりになっていたのかも)。わたしはタイムキーパーだったので、受験生と一緒に問題を聞かなくてはならなかったのだけど、一瞬集中力が削がれて、ドキッとした。あとで訴えられたらどうするんだ。全く。

でも確かに受験生もミスは多い。公平をきすために、解答が終わったあとは何もできないんだけど、受験番号を書いていない受験生がいた。一応マークはしてあったので、大丈夫だと思うけど。あとで何度確認しても、受験番号を書き忘れる受験生が大勢いた。解答前にこういった手続きをさせるのに、マークもしない子とか。最後の10分でまとめてマークしようとする子とか(←ずれたりしたら、タイムオーバーになるよ)。みてるこっちがヒヤヒヤして、寿命が縮んだ。

受験生と一緒にリスニングを受けてみて、機械自体はよくできてるなと思った。わたしが受験したときは、国立大学を2校受けられたので2校受けたけど、どちらにもリスニングがあった。ひとつの大学はローテクで、大教室に先生がカセットテープレコーダーをもってきて、ボタンを押して再生させるシステムだったけど、わたしは後ろから2番目でよく聞こえなかった。初めは自分の実力かと思っていたけど、最後の数分で何かの拍子に先生が音量をあげたら、急にはっきりと聞こえ始めた。つまり音量不足だったのだけど、そのことに気がつかなかったのだ。まぁなんとか聞き取りにくいながらも、聞けたからいいやって思ったけど。今だったら、苦情が出てもおかしくないと思う。それに聞こえ方が、席順に依存するのって、やっぱり不公平だ。

英語はとにかくクリアな音で録音されていて、メニューを選んだり、天気予報がわかったり、ニュースを理解したりできるかを試すものだった。暇だったので、英語の問題もパラパラと眺めてみたけれど、発音問題もなくなっており(わたしは5問ある発音問題を落とさないようにするために、発音記号を丸暗記していた。今でもほとんどの単語は発音記号が書ける。発音できてるかどうかが別問題なのが問題だけど)、アクセントを問う問題の単語も特別なものでもなんでもなく、何よりも長文読解がなくなっていて、やっぱり会話文を読んで、どの車に乗ってきたのかを絵で選ばせたり、駐車場の場所を当てたりするような問題、会話中心だった。抽象的な概念は全く出てこない。

…いくらセンター試とはいえ、何だかかなり簡単になったなぁとびっくりした。学部の演習で、バトラーやベル・フックスやレイ・チョウ、さまざまな論者の論文を集めた英文を読んでいるのだけど、学生が難しすぎると文句をいうのも一理あるのか、と思いかけたけど、やっぱり、一生に一度くらい、原文でちゃんとした文章を読んでもらいたい。卒業したら、ほとんどそういう機会ってなくなるんだから、と思い直す。外国語ができるかどうかが問題ではないのだ。何を読むかなのだと思うと、今の受験生の英語経験はあまりに貧しいと可哀想になる。これで教養部に英語会話学校が導入されているような大学だったら、一生、それなりの英語を読むこともなく、買い物や雑談をするための英会話を学んでいくのだろうな。それでいいと思うのだったら、いいけれど。教養のときに、英語やドイツ語で読んだ文章、とくにドイツ語なんて忘れてしまったけど、それなりに内容はまだ覚えている。そのときは、文句をいっていたような気がするけれど。