人生旅路

タイトル変えてみました。
青森~茨城~濠州~石垣(沖縄)・・・
次はどこでしょう・・・というかそろそろ落ち着け,私。

地震の記録① 3月11日

2011-03-14 23:05:35 | 徒然

2011年3月11日 金曜日 14:46

昼食が終わり、午後の仕事に入っていた。

大きな作業は午前中に終わっていたこともあり、
作業しながら上司と雛祭りの事について雑談をしていた時

同じく作業中の上司が最初に揺れに気付いた。

前日の地震の事もあり、当初は同じくらいの程度だろうと思っていた。

想像した以上に長く続く揺れは時間とともに大きくなり、
棚の物品だけでなく、棚自体も動き始めた。

とりあえず作業から手を離せない上司の代わりに、
上司の頭上から落ちて当たったら危険な物品を退け
様子を見に作業部屋の外に出た。

他の人達も、これはおかしいと廊下に出ていた。

急に揺れが大きくなり、大型冷蔵庫や重くて動くはずが無いと思っていた大型の棚が
生き物の様に大きく動いた。

パニックになりかけ、そばにいた別の先輩にしがみついた。

先輩と私、もう一人の先輩は頑丈そうな柱のそばに寄りかかり、しがみついていた。
その間、ずっと「大丈夫、大丈夫」と先輩が励まし続けていてくれた。


揺れている間、頭をよぎったのは、

先日のニュージーランドの地震の映像

今(その時)いるフロアが4階であるということ

いくら頑丈でも枠だけ残って崩れるんじゃないかという恐怖

もう二度と大好きな人達に会えないかもしれないという恐怖


ひとしきり揺れが収まり、目を開けるとそこには5分前には考えもつかなかった光景が広がっていた。

散乱するガラス器具

整列を大きく乱した大きな棚と冷蔵庫たち

バラバラになった書類

床に散らばるパソコン


こんな中、変わらず作業を続けて終えてから出てきた上司はすごいと思った。

誰も怪我人がいないのを確認し、
全員でひとまず外に出ると、他のフロアや建物で作業していた人達が続々と出てきた。

しばらく上の方々で相談している間、急いで携帯メールで相方、青森の家族と宮城の弟に安否確認のメールを送り、ワンセグを起動して地震情報を見た。


【宮城で震度7】


衝撃が走り、急いで弟に電話をかけたがつながるはずも無かった。

電話を切るとすぐに相方と青森の家族は無事だ、メールは帰ってきていた。

弟からは何も無かった。


そこからの時間はぼんやりしている。

なんか作業服から私服に着替えて
そしてなぜかそのまましばらく30分くらい外にいたような気がする。

車通勤の先輩に送ってもらって
信号がついてなかった事と、途中から道が混み始めた事は覚えている。


帰り際に先輩が

「気を確かに!」

とか励ましてくれたような覚えがある。


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