人生旅路

タイトル変えてみました。
青森~茨城~濠州~石垣(沖縄)・・・
次はどこでしょう・・・というかそろそろ落ち着け,私。

地震の記録② 3月11日

2011-03-14 23:06:32 | 徒然

2011年 3月11日 金曜日 15:30か16:00くらい

アパートに到着し、玄関を開けると不気味に静かだった。

いつも無意識に聞こえる電化製品が動く音が聞こえない。

地震の影響で停電と断水になっていた。


以前買った災害用充電器を携帯にとりつけ、
無駄だと知りながらもずっと手回しで携帯の充電を続けた。

 

かろうじて充電が少したまっても、ボタンを一つ押すだけで電池がひとつ減る。

もどかしかった。

 


家に着いてからどれくらい経ったか

気が付いたら外の景色は真っ暗になり、
地震直後に連絡がとれたっきり相方も家族も音沙汰なくなっていたのに気付いた。

 

 

無性に不安になり、電話をかけてみようと思うが電池の事を思うと実行できず、
自分は大丈夫だと、落ち着いたら連絡が欲しいと再度メールを送り
充電器をひたすら回し続けた。

本格的に暗くなる前に、意を決してダメ元でコンビニへ向かう。
災害用充電器も9V電池を使えばもう少し効率よく携帯を充電できるはず。

思いのほかコンビニは再開していた。

落ち着いて考えてみれば当然の事。
災害直後で今後どうなるかわからないのだから、多くの人々が物資を求めるのは当たり前。
それなのに、物資がある状態で店を閉める方がおかしいだろう。

急いで9V電池を4個と飲み物、簡単な食べ物を買い
店を出てすぐに充電した。

携帯を無事に充電できて少し冷静になると
単にメール受信がうまくいってないんじゃないかと気づいた。

問い合わせると案の定5件溜まっていた。
家族と相方。

良かった。
二次災害などには遭っていないようだ。

ただ、弟からの連絡がなかった。


弟の職場は震源地宮城県の女川原子力発電所。

不安で仕方ない。

生きていて。

頼むから生きていて。

命があればそれでいいです。

頼むから無事でいてください。

 

届いたかわからないメールを何度も弟に送った。


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