☆Rainbow Light☆

日々の徒然日記。最近は日本の現状を綴っています。

いまを生きる

2010-03-25 | 生きる


こんにちは!ご訪問ありがとうございます。


東京はここ2日、ぐっと寒くなってまた冬に逆戻りしたみたいです!

せっかくあったかくなってたのになぁ。


でも、物事もそう言う風に進んでいくのかもしれませんね。

春になる前に、厳しい冬があって。

すぐに季節が変わるんじゃなくて

暖かくなったり寒くなったりを繰り返しながら、ある日ぽんっと春になる。


ステッップアップ~~!!タリラリッタリ~♪


あ!そうそう、



前々回にちょっと書き忘れたことがあった。


葬式は残された人のための儀式で、本人のためのものじゃない。

儀式に意味はなく、それが最大の気付きのチャンスを逃してしまっていることもあるってところで。



以前書いた「おくりびと」の記事なんだけど、

妻の広末涼子に夫のモッくんが納棺士の仕事をしていることがばれたとき、彼女は夫に

「普通の仕事をして欲しい」と訴え、

それに対してモッくんが


「普通?普通って何。君も、僕も、みんなも最後には死ぬんだよ!それって『普通』なことじゃないの!?」

って言う場面、ありますよね。


この映画はただ、「納棺士」の仕事は素晴らしいね、で終わってほしくないなぁってハナシもしたんだった。


「死」は忌むべきものでも、恐れるものでもなく、とても「普通」のこと。

人はみんな、人間でいる限り必ず死ぬ。

それがただ遅いか、早いかだけの違いで。

で、遅い方がいい、早いのが悪いってこともない。


それを、いま生きている人に考えて欲しいと思った。

年寄りになってから、それに気付くんじゃなくて、「いま」。



年寄りになると、「丸くなる」って言いますよね。

うちの父も例外ではないんですね~!すっかり丸くなっちゃって。

やっぱり年を取ると、自ずと「死」が視野に入ってくるそうです。

いつ死ぬか分からない。

だったら、いまを精一杯、悔いなく生きようと思うらしい。

もう会えないかも、と思うと、優しい気持ちになるらしい。


これは、年寄りだから、若いからって関係ないですよね。

私たちだって、いつ死ぬか分からない。

だったら、生きよう。


「いつか」のために今を我慢して、消費してしまうのではなく、

「いま」のために、精一杯生きよう。



で。

父は、こないだ面白いハナシをしていました。

彼は老後の趣味として、写真を撮ってるんですね。

これがけっこう、なかなかのもので。

いつかこれに俳句を入れて、世に出したいと考えていたんです。


で、写真を撮り山へ行く傍ら、俳句教室に行って、俳句を習ってたんです。

それまでに父の写真は新聞に載ったり、知り合いのパンフレットに使われたりして、まぁまぁ好評だったんですが。

それが俳句の先生の耳に入り。

写真を見せて欲しい、と言って来たそうなんです。

父はファイルしてあった写真を見せたところ、とても気に入ってくれ、これに俳句教室の生徒さんたちの俳句を入れて、個展を開こうってことになったそうです。

もちろん、父は喜びました。


が!

以前の父であれば「我が我が!!」と、自分が前に出て仕切って、状況を動かしていただろうと思われたんですが。


驚くことに、それ以上口を挟まず「みなさまにお任せします」と言ったそうなんです。


そうすると、あれよあれよと言う間に、ハナシが膨らみ、自分が通っている俳句教室だけでなく、近隣の俳句の偉い先生達が集まって、なんだか大規模な催しになったんですね。


で、蓋を開けてみれば、「○○(父の本名)とその仲間たち」と銘打ち、父が全面に押し出された、とても大きな個展になったそう。

パンフレットを見せてもらったんですが、俳句の偉い先生たちは名前の記載だけで、何とカメラマンでもない素人の父の顔写真とプロフィールがでかでかと載っているじゃありませんか!

おかげさまで個展は大盛況で、なんと新聞にも大きく取り上げられ、訪れた人たちには数々の賛辞をもらい、父は、心底嬉しそうでした。

で。

こないだ話をしたとき、「あのな、○○(私の本名)。ええか?流れに任すんや。自分の我を通したらいかん。そしたらな、うまくいくんや」だって(笑)


私が精神世界分野のセミナーに行くと言っただけで、「オウムと同じや!洗脳される!」とメールを送ってきた人と同じとは思えません(笑)


雄大な大自然に囲まれて、死を静かに見つめて受け入れると、自然にそうなっていくんですよね。

周りに自分をよく見せる必要もなく、

売り込む必要もなく。


素の自分対ありのままの自然、ですもんね。


自然と剥がれ落ちていくんだろうなぁ。


流れのままに、ね。受け入れていこう。

自分自身でもある「流れ」には、生も死もある。同じものだから。


でも、我慢しなくていいんだよ。


怒るときは怒り!

泣くときは泣き!

笑うときは笑う。


そして自分自身の真ん中に戻ろう。


愛を込めて。



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信は力なり

2010-03-24 | 生きる

こんにちは!ご訪問ありがとうございます。


そう言えばこないだ、テレビを見てたら、山下真司が出てました。

で、「スクールウォーズ」のハナシをしていたんですね。

私はそのドラマ、見たことなかったんですが、実話を元にしたドラマなんですね!
知らなかった~!

調べてみたら、ラグビー部の監督と部員達の青春もので、かなり人気があったようです。


で、山下真司がラグビー部の監督の泣き虫先生を演じるにあたって、モデルとなった山口良治先生のところに取材に行ったそうなんです。

山口先生は「信は力なり」と言う座右の銘に従って、どんな生徒でも信じていたんだそう。



でも山下真司は、山口先生に、

「そうは言っても、中にはやっぱりダメな奴はいたんじゃないですか?」

正直に言ってくださいよ~的に聞いたそうなんですね。



そしたら山口先生は不思議そうに彼にこう聞き返したそうです。

「どうしてダメって決めるんですか?」と。

山下真司は、それを聞いただけで涙が出てきたんだって(笑)


「だってさ、やっぱさ、この業界でも『あいつは使えね~』とか『あいつはダメだ』って俺達言うじゃない?普通にさ。けどあの先生にはそれがないんだよ!」って。


素晴らしい先生だな~と思ったけど、それで涙する山下真司もすごい(笑)


そうなんですよね。

私たちは自分達の中にある「基準」や「常識」で人を判断することが、普通になってしまっていますが…

先生には、その「基準」ってのがない。

大人の「こう言う子供がいい子供だ」と決まりきった基準で、それから逸脱した、ちょっと素行の悪い子供を「ダメだ」」と判断してしまう。

けれど先生にとっては「ダメ」じゃない。だから「判断」しない。

どんな子も、その子にはその子のいいところがある。そこをちゃんと見ているんだなぁ、と。

それに、私たちには「固定した自己」なんてものはない。

いまは「こう言う一面がある」と言うだけのこと。


だけど、私たちの「脳」は、何でも固定化してしまう。

「この人はこう言う人間だ」「ダメな人間だ」と一度インプットしてしまえば、上書きされない限り、ずっとその「情報」で人を判断し続けてしまう。


「ダメだ」と烙印を押してしまわない、まさに「信じること」…「信は力なり」なんだ。

その子にとっては、自分を信じてくれる人がいると言うことが、どれほどの励みになったことだろうか。


で、ちょっと興味深い文章を見つけました。


「信は力なり」



山口良治の座右の銘は、「信は力なり」である。
子どもたちに、選手に、裏切られても裏切られても、信じること、好きになること。それが彼らに伝わり、身になり、力になる。

そして、「ワンフォアオール、オールフォアワン(ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために)」
ラグビー魂が、公立高校という制約の中で、伏見工ラグビーを今日まで育ててきたのだ。



(Lifeより抜粋)



たぶん、先生にとっては「裏切られた」とは思ってないんだろうなぁ。

「裏切られた」と思ったときにはもう、「信じてない」ですもんね。

一度自分がその人を信じたなら、「裏切られる」ってことはない。

何があっても、その人自身を「信じ続ける」こと。

以前の記事にも書いたけれど、それが「信じる」ってことだと思う。




「スピリチュアル」と括らなくても、言ってることは「同じ」ですよね。

スピリチュアルや精神世界関係なく、素晴らしい人は素晴らしいし、尊敬する人もいっぱいいる。

私たちが実際に生きて、体験して、知る(思い出す)ことは、どの道から入っても、どこを通っても、結局は同じで。

だから「スピリチュアルな生き方」だとか「スピリチュアルな仕事」だとかにこだわらなくてもいいんですね。


どこにいても、何をしても、感じることができる。

ぜんぶ「それ」だからね!


ただ、道を歩いていても。

どんな人と会っていても。

どんな仕事をしていても。


生き方にこだわらないこと。それが、自由だ。


「ワンフォアオール、オールフォアワン(ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために)」。


自分「だけ」が幸福、と言うのはありえない。

自分「だけ」が平和、と言うのもありえない。


誰かの「役に立ちたい」って人は誰しもそう思う。

人のために何かしたいって。


でも、生きているだけで、役に立ってる。
誰一人欠いても、私たちは成り立たない。「ひとつ」だから。


「誰かの役に立つ」ことがアイデンティティにならないよう…

それが「存在意義」になってしまわないよう…

(それがアイデンティティになっていると、人の役に立たなくなったら、人に認められなくなったら自分の価値がない、と思ってしまいますから)

純粋に、自然に「やりたいから」「やりたいこと」をやろう!


自分のために。そしてみんなのために!

信じよう。信は力なり、だ。


私たちは、知っている。


疑うことより信じることの方が、どれほど豊かであるか、を。

そして人生においてどれほどの力を発揮するか、を。

これもまた、「愛」なのだ!




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アフガニスタンと屋久島

2010-03-23 | 生きる


こんにちは!ご訪問ありがとうございます!


さてさて。まだまだ続きま~す。

いやぁ。3日記事にしてもまだネタがあるって、どんだけ~(笑)


今回は、アフガニスタン、について。
(スミマセン、ちょっと長くなります~…覚悟して読んでください~)



この友達は、「全てはひとつ」と言う大きな視点から、ぐい~んと目の前に展開している「現実」の視点までフォーカスできる、とてもバランスのいい人なんですね。

一度に両方の視点でものを見られるってことなんです。
これがとても重要なのだ。


で、その友達にはHちゃんと言う、25歳の友達がおりまして。

その子は若いながら、NGOでバリバリ働く気鋭の新人なのです。

そのNGOの活動の一環として、アフガニスタンに学校を建設するプロジェクトがあったそうなんですね。

なので当然、現地に行かなきゃならない。
ほとんど実質「責任者」のような仕事を任されていたんですね。

が、皆さんもご存知の通り、アフガニスタンはとても危険な場所。

しかも、その場所が「ジャララバード」と言う、パキスタンとの国境に近い、外国人の誘拐が多発している最も危険な道を通らねばたどり着かないところ。

友達はやっぱり、「え!?そんなところ行くの!?危険じゃないの!?」と驚いたそう。
そりゃそうですよね~~!


が、Hちゃんは「あなたまでそんな、一般人みたいな反応をする」と言わんばかりの目で、シラっと見られたそうです。

なぜなら彼女にとっては、そこは「危険な場所」じゃなく、「やりたいことがある場所」なんです。


Hちゃんは大学時代からずっと、周りの友達が一般の会社に就職するべく、就活をしているさなか、NGOに入りたくて入りたくて、中東諸国の支援をすることを胸に、ずっと活動を続けてきたのだそう。

その夢が叶い、「やりたいこと」が目の前にある。
彼女にとって、「危険」なんてまったく理由にならないのだ。



…とは言え、マジでジャララバードは危険地帯。


まずは飛行機でタイのバンコクに飛び、次にパキスタンの首都、イスラマバードへ、そこから、危険な陸路を避け、アフガニスタンのジャララバードへ行くそうなんですね。



でね。

Hちゃんは行動力がある子で。基本、一人、思い立ったらすぐ行動。

で、ついこないだも、日本にいる時に「そうだ!屋久島へ行こう!」と思い立ったそう。

屋久島へ行くには、まず飛行機で鹿児島へ行き、そこからフェリーに乗り換え(もしくは飛行機乗り換え)て、一人で屋久島に行ったそうなんです。


Hちゃんからそのハナシを聞いていたとき、友達はあ!と思ったそうです。


自分にとってアフガニスタンなんて、どこか分からない遠い国で、ニュースで紛争の様子が映し出されていても、まるで「別次元」での出来事のようだった。


が、Hちゃんが持ち帰ってくる現地の話を聞いたり、ジャララバードまでの道のりの話を聞いていると、

「同じ地球上にあるんだ」と言う思いが強くなったのだ、と。


そう。


彼女にとって、東京から屋久島へ行くのと、ジャララバードに行くのは、「同じこと」なのだ。行き先が違うというだけで。

そこに「国境」など存在せず、ただ「同じ地球の上」を移動しただけのことなんです。


それがとても「リアル」に感じられたのだ、と。



私も、それを聞いて思った。彼らもここで生きているんだ。

同じように笑い、同じように喜び、同じように悲しみ、同じように憤り、同じように苦しみながら。

同じ「一つ」を。

「遠い存在」だった彼らとのその距離がぐっと縮まって、めちゃめちゃ「近く」感じた。
息遣いまで感じるほとに。



私もアフガニスタンと聞いてもピンときません。
どこにあるかも知らなかった。

が、アフガニスタンには、アフガニスタン人なんて一人もいないし、アフガニスタン語なんてものもない。


そこに住んでいるのは、ほとんどが「パシュトゥーン人」で(次にハザラ人、タジク人)言語は「パシュトー語」。

地形は山岳地帯が多く、それぞれの民族が集落を作って生活をしている、他民族国家であるため、誰も自分が「アフガニスタン人」だと思ってないそうなんです。

そこには普通の人が住んでいて、普通の生活がある。

アフガニスタンの土地に住む人全員がテロリストではないし、アル・カイーダでもないし、イスラム原理主義者でもない。


そこにいるのは「国」ではなく、「人」なのだ。


が、遠くから衛星視点のように見ていると「国」としか見られない。

そこに住んでいる一人ひとりの「顔」が分からない。

それがアメリカのような、アメリカのものさしで考えた「世界の安全を乱す危険因子(テロリスト)」となり、「壊滅させなければならない」と言う結論になる。

そしてローラー作戦ならぬ、「空爆」と言う行動に走らせる。
(山岳地帯での戦闘は、圧倒的に不慣れなアメリカが不利なのだそうだ)


「空爆」には必ず「誤爆」がある。


そこで被害を受けるのは、たいがい一般市民。

その「中」に入ると、彼らのアメリカのやり方に対する憤りも、とても納得のいくものなのだそうだ。

それは、「外側」から(アメリカと同じ場所から)見ていると、決して分からないこと。

そこには彼らの信じる神があり、生き方がある。


で。


そのとき、私は彼女が以前、ある知り合いからひとつの論文を見せられたってハナシを思い出した。

誰が書いたかは伏せられて、とりあえず読んでみて、と。

それを読んだ友達は、「おお!すごいな~こんな考え方をする人もいるんだな~」ととても感銘を受けたそう。

このような考え方の政治家や指導者が増えれば、世界も変わるだろうな~と。

で、誰が書いたと思う?と、書いた人の名前を教えてもらってビックリ。

アルカイーダの指導者、ウサーマ・ビン=ラーディン氏だったのだそうだ。

(内容は忘れちゃったんだけど!ゴメン)

私たちは彼らのことをよく「知らない」。なのに「悪い人だ」と思っている。

まずは、「知ること」なのだなぁ、と痛感した一件でもありました。




私たちは、「自分の場所」から見て、紛争地帯の人たちや、飢えに苦しむ人たちを「かわいそうだ」「不幸だ」「救ってあげなきゃ」と思う。

世界の不条理に憤りを感じ、正義を振りかざして「世界の歪みを正すのだ!」「みんなの意識を変えなきゃいけないのだ!」と思う。

本人は「正しいこと」「正義」「いいこと」をやっていると信じているので、自分の思考や行動に疑問も持たないし、躊躇しない。

けれど、そう言う意識で活動していると、必ずどこかで壁にぶち当たる。

結局自分は何もできないんだ、と自分の無力さに打ちひしがれるときがある。


なぜなら、自分が救わなきゃいけない「かわいそう」な人も、戦う相手も最初からいないのだから。

「正義」と「悪」を分けてしまっているのは、「自分自身の思考」なのだから。
問題は、自分「中」にある。

幻影を相手に、決して勝てはしない。


ただ、「自分がやりたいから」と言う理由が、一番自然なのだと思う。

「宇宙の流れ」に従って。

それは自然に戻そうとする力が働く流れ。

自分が「正義」や「悪」を決めて、人を変えよう、世界を変えようとジタバタしているよりもはるかに、大いなる力で、働く。


そこには「戦いは悪だ、貧困は不幸だ!それらのない、理想の世界を造らねばならない」と言う、「結果を求める姿勢」がないから。


貧困が「不幸」ではない。
紛争地帯に生まれたことが「悪いこと」ではない。

そこでなければ、分からないことがあるからだ。

彼らが自分の環境や状況、現状を受け入れること、自分で生きていくこと、そのサポートが出来ればいいなぁ、と思う。


全ては神のギフトなんだから。

それをどう受け取るかは、本人次第。

その自由を尊重すること、信頼することなのだ。



友達も、Hちゃんについてこう言っていた。


彼女の活動は素晴らしい。行動力も尊敬する。自分には出来ないことだから。

けど、一番大事なのは、自分のハートだ。
(何を為すか、ではなく、どう在るか、だ。)

彼女は自分自身とまだ、向き合っていない。

その「満たされてない」ことを見ずして、それを埋めるかのように、支援活動をしていては、必ずそのことに気付くときが来る。

痛い思いもするだろう。

が、それも彼女の必要なプロセスだ。それを近くで見守っていようと思う、と。


住んでいる場所も、人種も、性別も、年齢も個性も違うけれど、みんな「同じ」。

分かり合えない訳はない。

「分かり合う」(調和)と言うのは、「同じ考え方を持つ」と言うことではない。
「お互いの考え方の違いを尊重する」と言うことだと思う。


もっと自由に、今を楽しめるよう。


ちょっと今日は現実的なハナシを載せてみました。
でもこれも、私の書きたかったことの一つなので、いい機会でした。



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死と不幸

2010-03-22 | 生きる


こんにちは!ご訪問ありがとうございます!


さてさて、昨日の続きです。

自分ひとりだけで終わらせるにはもったいないハナシが多かったので、シェアしたいと思います。!


で、その友達。

私より年下で、30代前半なんですが、その子供時代、愛情たっぷり注いでくれたお母さん、お父さんを立て続けに亡くしています。

四年前にお母さんをガンで、その二年後の去年、お父さんを脳出血で。

お母さんは「闘病」期間がありましたが、お父さんは、ある日彼女が家に帰ったら、ぽっくり逝っていてのだそうです。

彼女には5つ離れた弟がいるんですが、離れて暮らしているし、結婚していないので、一人なんですね。



普通なら、「まぁなんてかわいそう」「立て続けに両親を亡くすなんて不幸だ」とか思うだろう。そこに触れるのを憚られる話題ですよね。



でも彼女は、そんなことぜんぜんありません。

で、こう言います。

普段内観や自分と向き合わない人にとって、家族の死は最大のチャンスなんだ、と。

そこで「死」について逃げずに真剣に向き合うことで、意識が変わる、生き方が変わる…最大の「気付き」のチャンスを与えられている、と。


けれど、日本の「葬式」と言う儀式がそれを邪魔している。

複雑な手続きや、あれやこれや手順を踏む内に、ピシャっとシャッターが閉まってしまうんだそうです。

やることがあったり、体を動かしていると、辛いことを考えないで済む、気がまぎれる、と言うアレですね。

そして「死」について向き合わないうちに、何かすり替えが起こってしまう。

どんなにお金をかけた盛大な式を執り行っても、本人には関係ない。

けれど「残された者として、やることをやった」と思ってしまう。
その最大の「チャンス」を逃してしまうんです。


輪廻転生が普通に浸透しているインドでは、人が亡くなったら、お金がある人は焼く。
本人の未練がないよう持ち物も一切合財ぜんぶ。

その灰を、そしてお金のない人は遺体のまま、ガンジス川に流すんだそうです。

遺族はその時だけ、思いっきり悲しむ。

墓も儀式もナシ。その後の初七日も、四十九日の法要もナシ。
輪廻転生する人のために。

それがとても自然な死の送り方、悼み方なのだ、と。



彼女はあのタイミングでお母さんが死んでよかったのだ、と言います。

でなければ今の自分はなかったし、出会えなかった人もいただろう。


もちろん、死んだときは、「どうして」と思っただろうし、混乱もしたと思います。

お母さんは彼女と一緒に、「解放される」と言う道もあった。

けれどお母さんは「病気になる」「死ぬ」と言う道を選んだ。

ならば、その彼女の選択を受け入れ、尊重することなんだ、と。

それがお母さんの人生なんだから。


あの人は死んでよかったんだ、と言う言葉が、故人が喜ぶ、最大の見送りの言葉じゃなかろうか、と思った。



何があろうと、今が最高、最善なのだ。



そう言えば以前、どこかのコメント欄で「今が最高に幸せ」なんて、自分の家族が死んでもそう言えるのか?と言う書き込みがあったように思う。


それは「死」が不幸であり、悪いものである、「長生き」することが「いいこと」「幸せ」だと言う前提から来ている「思い込み」だ。

その思い込みから、推測で書かれたことですよね。

でも実際に体験した彼女は、いま「幸せ」です。
どんどん解放し、軽くなって輝いています。

人を好きになり、やりたいことをやり、時に人間らしい感情を持ちながら、生きています。


死は「かわいそう」なことでも「不幸」なことでも「悪い」ことでもありません。



そういえば、元内閣府参与の湯浅さんが、生活困窮者や貧困層に対して、さまざまな支援活動をしているんですが(派遣村とか)、それについても言っていました。

彼の活動の8割は賛同する。素晴らしいと思う。
けど残りの2割が「違うんだよな~」って思うって。


なんでかって言うと、これまた「貧しいことは不幸だ」「悪いことだ」と言う前提があり、そこから「助けなきゃいけない」「救わなきゃいけない」と言う判断がある。

その人にとっては、「何もかもなくす」ってことは「最大のチャンス」なんですね。

その、絶望のさなかに、全てを手放すことができれば、その下に、ダイヤモンドのように輝く「それ(源)」がある。
素晴らしい「気付き」がある。


苦しみが大きいのは、どれだけ余計なものをくっつけていたか、ってこと。

余計なもの(思い込み)が少なければ、苦しむ度合いも少ない。

けれどその苦しみも、悪いことじゃない。

それも「気付くため」のものだから。


そうやって、全ては「目覚める」ために、起こることが起こっている。
自然の「流れ」に沿うように。

どんな苦しみに見えても、その本質は「愛」である、と言う意味が分かりますよね。


なのでもっと根本的な改革、と言うと、「精神的な分野」を欠かしては成り立たないのだ。



それぞれが、それぞれの体験し、気付いたことは、自分とは少し「角度」が違うから、それを聞くとまた、新たな発見がある。

そうやって、「ひとつ」の一側面たちが、それぞれが違った個性で、違った反応を楽しんでいるんですよね。

それに「いい」「悪い」はない。「優」も「劣」もない。


母親には母親の人生があり、父親には父親の人生がある。

それぞれ、彼らには彼らの葛藤があり、悲しみや怒りや喜びがある。

気付くためのプロセスがある。彼らは彼らで、必死で生きている。

家族だとつい干渉したくなるけれど…それぞれの人生、それぞれの体験を尊重したいなぁと思った。

「一人の人間」として。


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愛情タンク

2010-03-21 | 

こんにちは!ご訪問ありがとうございます!


いやぁ~!

昨日は久々に会った友達と、6時間ぶっ通し休みなしのノンストップでしゃべりました~!

スッキリ。

やっぱ、思いっきり話す、書く、って言う「アウトプット」って必要ですね!
出さなきゃね!


で、この友達は、真理や真実の深いところまで、どこまで話していいのだろうかと、ブレーキをかけずに、思ったこと全部話せる貴重な友達の一人であります。

彼女には「引っかかり」がないので、こっちも「素」でいられるんですね。

「それは違う」「私はそうは思わない」と、普通にハッキリ言ってくれる、とてもありがたい人なのです。


え~…「引っかかり」ってのは、え~と、「劣等意識」や「被害者意識」と言えばいいのだろうか。

それがあると「ドラマ」を演じてしまうんですよね。

彼女はケロっと「あたしさ~子供のとき、めちゃめちゃかわいくてさ~。それもマジで天使みたいにかわいかったのよ」と言います(笑)


で、その時、両親を含めた周りの大人から、かわいいかわいいと愛情をたっぷり注ぎ込まれたんですって。

それは顔がかわいい、だけのかわいいじゃなく「存在そのもの」に対しての愛情なんですね。それを浴びるほど、充分に受けていた。

愛情を受け取った受け皿…彼女はそれを「愛情タンク」と呼んでいるんですが、、子供の頃たっぷり愛された「自覚」があり、それが満タンになっていたんですね。

なので、「引っかかり」がない。
自分が愛されていると自覚がある人ほど、強いものはない。


彼女は言います。


今、根深い劣等意識や被害者意識を持っている人のほとんどが「両親から愛されていない」と思っている人が多い、と。

「愛情タンク」が満タンになってないんですね。

それが「被害者意識」や「劣等意識」となって、「別のもの」をどんどん溜め込んでしまう。
「特別だと見られたい」と言う自己顕示意識や、地位や名声や…

「愛」の代替を求めて、満たされようともっと、もっと、と掴んでしまうんですね。

ですので、愛情タンク満タンの彼女が、その「愛情タンク」が満タンでない、劣等意識を持つ人の前に立つと、その人は過剰に反応するそうです。

その人にとって、彼女は「引っかかり」のない、ドラマを演じられようもない人だから、なんです。相手の恐怖が分かるんだ、と。

その「劣等意識」が刺激され、自分のコンプレックスを隠すために逆の態度に出るんですね。異常に「高圧的」だったり。



なので、今表面化している問題のほとんどは、幼少期の愛情不足(と言うか、受け取る側が受け取れなかったと言うか)が原因の場合が多い。

「両親から愛されてない」と思い込んだまま、大人になってしまっているんですね。

そこさえクリアすれば、ほとんどの問題は解決すると言っても、過言ではない、と。



そのハナシをしていて、あ~自分も思い当たるな~と思っちゃいました。

私もずっと「親から愛されてない」と思い込んでいたんですよね。
自分はいらない子だ、必要ない子だ~って。

その欠乏感は、何をしても埋められない。

自分が、実は親からめちゃくちゃ愛されてたんだって自分で気付くまでは。


だからいま、お母さん、お父さんである方は、いっぱい愛してあげてくださいね。

「愛する」と「甘やかす」は違います。

親の勝手な愛、都合のいい愛、エゴの愛じゃなく…
純粋な愛で、彼らの存在そのものを、丸ごと受け入れて、愛してあげてください。

その愛が、必ずその子の強さ、その子のパワーになります。


でも、すべては起こることが起こり、必要なことが起こる。

私は「愛されてない」と思い込んだまま、満たされない欠乏の中を生きて来ましたが、今はそれでよかったと思ってます。

ね!

長くなったので、ここまで。
このハナシはまだまだ続きま~す。



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とりあえず

2010-03-20 | その他

こんにちは!ご訪問ありがとうございます!


今日は、「いまここ女子部」の記事をアップしました~!


こっちの記事を書く時間がなかったので、また帰ってから書きますね~


その間、こちらをよろしくです。


「いまここ女子部」


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いのちのダンス

2010-03-19 | メッセージ


君がいま、どんな状況なのだとしても

どんな状態なのだとしても



たとえ死に直面していたとしても

強い力に虐げられていたとしても

今日食べるものさえなかったとしても




君自身である存在そのもの、


ゆいいつの


「いのち」に一度でも触れたら


「ありがとう」と言わずには


いられなくなるよ



ほとばしる歓喜に涙して


心のそこからの


ありがとう、と



それが、『至福』


状況や条件なんか関係ない


君そのもの




だから



一生懸命時間を費やして



「そうでない理由」を探すよりも



「そうである」ことを感じようよ



イッパツで分かる



ぜんぶが「それ」だもの



純粋な愛だもの



ん?



ぜんぶが「愛」ならどうして


争いあうの?

殺される人がいるの?

貧しい人がいるの?

苦しめられている人がいるの?

どうして世界は優しくないの?だって?


うん


じゃあ


愛って


何だと思う?



君自身が「やりたい」と決めたことを


いま


君自身が体験している


その「自由」を


ぜんぶ許して


見守ることが「愛」じゃないかい?




君はいま、


愛がないように見える世界で

愛を忘れてしまった自分が


どのように反応して

どんな選択をするのか

何を感じるのか


その冷たさを

確かめているんだ



『愛とはなにか』を知識じゃなく

体験で知るために




そして再び

君自身である『純粋な愛』を思い出したとき


どんな風に反応するのか

どんな喜びがあるのか



それをとても楽しみに


いまを体験しているんだよ



わくわくしないかい?


それは華麗なステップさ!

いのちのダンスなんだよ




君がどんなに疑っても

否定しても



「それ」であることには変わりない



「すべて」である「それ」の、


どの部分に「焦点」をあてているかってこと



ある人は「地球を救わなければならない」と深刻に悩み

ある人は「世界は腐敗している」と悲嘆に暮れ

ある人は「ここは地獄だ」と絶望し


ある人は至福を感じてる



それだけだ



きみは、その心に


何に焦点を当てて、何を映す?


そのままのものが、現実として

現れるよ



自分を責めても

相手を責めても

変わらない



何を映したい?




その間も


「いのち」はただ


流れのままに


エネルギーの奔流となって


ダンスを踊り続けてるよ


それに


意味や

意義なんてない


美しい

歓喜のダンス



それだけさ!



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普通の人間

2010-03-18 | 生きる

こんにちは!ご訪問ありがとうございます!


いやぁ。


昨日はちょっといつもと違うテイストだったので、いつものイリスさんと違うっ!!って思われた方、すみませんでした~


でもでも。

私の中の声はだいたい、こんな感じで。

「大丈夫だよ~」なんて優しいことは言ってくれないのだ…



昨日もガッツン!とやられて

泣きながら書きました(笑)←ヘタレ。


ここでは分かった風なことを書いているけれど

私も普通の人間なので、あっち行ったりこっち行ったり、

振り子のように状態が変わります。


どぉ~~んと落ち込むこともあるわけです。

なんで~?どうしてぇ~?なんて考えてたら、


「安全圏から出ないで、何とかしようなんて甘いんだよ。」ってね~


ついつい頭でっかちになるのよね。

「考えて」何とかしようってね~~~ごめんよぅ。


今を、満喫してないで、命を輝かせて生きてないで、悩んでも仕方ないだろ?ってことなんですよ。

やれることをやらないで、うじうじしてたんですよね。


で、やれることをやったら、「やり切った」感があって、悩まないもんなんですよね。
やれることをやったんだから、悔いはないって。
そこでやっと委ねられる。


やることをやってないから、悩むんですよね。
で、後から悔やむんですよね。


(※あ、ここの「やる」は、行動だけではなく、心の内側についても言えます。
「自分の中と向き合う」とか、「抱いている感情を認める」とか)


心の平安も、無理になろうと思ってもやっぱり無理なときってありますよね。

そう言うときは、くすぶってる感情を出し切ってないとき。

「いい子ちゃん」を演じている時が多い。

「うんうん、分かるよ」と物分りのいい人を演じている時とか。

「スマートなインテリ」を演じている時とか。



もっと泥くさく行こう。恥ずかしいなんて、関係ないのだ!

アタシは幸せよ~と言いながら、胸の中に隠し持ってるものがある!

気付かないフリをしてたそれを、出してしまおう!


意識の焦点を当てれば、だいじょうぶ。「気付いた」んだから。

後は自然の流れにまかせれば、手放せるよ。

ちょっと痛い思いもするかもだけど。それも必要!



だからね。阿部さんってスゴイんですよ。イキナリだけど。

っていまさら、私が言うことでもないんですがっ!

さらけ出してますよね。


「僕は心が狭いから、嫌なんだ」なぁんて言ったら、どんな反論コメが来るか分かりますよね?

なのに正直に、さらっと書いちゃう。

人間ならば隠しておきたいことも、抵抗なく出せるってすごいことなんですよ~


私はまだ出来ません(笑)
やっぱりちょっとカッコつけたいって思っちゃう~(いや、もうバレバレですが…)


そんなところが悟った、悟ってない関係なく、一人の人間として、とても好ましく思うわけなんですよ。器がでかいなぁ~と。


自分の粗を必死でひた隠しに隠し、公には「特別な人」を演出しながら、影では他人を貶めるヒドイことを躊躇なくやってのける人と、どちらが信用できるかってことですよね。

「普通の人間として」、ね。


いまは、そんな普通の人間が悟りを語る時代なんです。

ただ、当たり前のことに気付いただけのハナシで。

悟ったから、人格が変わったり「聖者」に昇格~!なんてこともない。
あ~…ただ、子供っぽくなるかも(笑)

ここら辺のイメージも払拭できればいいですね!ひとそれぞれだって。

普通の人間が普通に、でも以前よりは自由に生きていける、この一回きりの人生を、喜びを持って表現できるってだけのこと。

でもそれは、とってもスバラシイこと。


生きよう。

いまを生きれば、生命力の「力強さ」が分かるよ。

自分で、体験しよう。実感しよう。イッパツで分かる。
命の素晴らしさが!!

生きてるってスゴイこと。

満喫しよう!


「できない」じゃなくて、「やる」か「やらないか」なのだ!

私も、生きるよ。



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味わい尽くす

2010-03-17 | メッセージ


こんにちは!ご訪問ありがとうございます!


え~と。

うまく書けるか分からないけれど。ちょっと頑張ってみます。



生きろ。

もっと泣け。もっと怒れ。もっと悲しめ。もっと笑え。

心の底からだ。



お前の胸の中をこじ開けろ。

そこに何がある?

何が残ってる?何がくすぶってる?

怒り?悲しみ?ねたみ?自己嫌悪?罪悪感?

お前が「汚い」って隠してるものだ。

出せ。

出してみろよ。

全部出し尽くせよ。


感情を出し尽くしてないうちから、コントロールしようとするな。

まだ生きてない内から、達観しようとするな。

まだ何も知っていないのに、分かったフリをするな。



お前はいま、生きてるんだ。

命を通わせろ。

「生命」をもっと感じろ。

それはエネルギッシュで、パワフルで、ほとばしる輝きだ。

「リアル」だ。


怒りや憎しみの感情すら、命のほとばしりだ。

汚くなんかない。


感情は、すべて美しい。


死の瞬間さえ、美しい。


自分が感じたものを、素直に出せよ。

汚い、マイナスだと言っているのは、「おまえ自身」だ。


もっと感じろ。



感情をすみずみまで味わえるのは、


自分自身が「静寂」だと知っているからだ。



感情に「振り回されない」と言うのは、


怒りや憤りや負の感情を「抱かない」のではない。


どんな激しい感情が沸いてきても、

それと一体化しない

静かに見つめられている

本質があることを知っているからだ。


人間である、もっとも人間らしい感情を抱けることを

美しく、愛しく思っているからだ。



だから、恐れずに出せよ。


それは「美しい」ものなんだよ。


認めろよ。


自分の抱いている感情を、全て認めろ。


泣き叫んでもいい。

みっともなくわめいてもいい。

嫌なら嫌って言えよ。

怒ってるなら怒ってるって

ごまかすな。

あいつが嫌いなら嫌いって認めろよ。

かっこ悪くてもいいじゃないか。


何を守ってる?

ちっぽけな「プライド」か?


それを守って何になる?


この一瞬は、完結した完璧な一瞬だ。

連続した自分なんて存在しない。


全てが完結した一瞬だ。

美しい、永遠の一瞬だ。


守るべきものも、

何も「ない」んだよ。



お前は

この完璧な一瞬に、何を表現する?


どう生きたい?



さぁ


開け。


出せ。


味わい尽くせ。




他の誰でもない

偽りじゃない


『ほんとうの』


自分を生きろよ。



抑えるな。

出せ。


演じるな。

出せ。



痛い目に遭ったっていいじゃないか。

それが生きるってことだ。


自分が痛い目に遭わないで、何が分かる?


人間を味わい尽くしてもない内に


何が起こっても

いつもにこにこ笑っている人形にでもなるつもりか?



心の平安は、全部出し尽くしてから、自然と分かるものだ。


なろうとするな。


いまを生きろ。

四の五の理屈を並べずに、

ああだこうだ言う前に


「いのち」を生きろ。




…うーん。なんか、どぎつくなっちゃったなぁ…

でも、こんな感じ。



人間って、美しいんだね。


「人間」を人間として恐れずに味わえるってことは、同時に「神を生きている」ってことなんだね。




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つれづれ

2010-03-16 | 日々のこと

こんにちは!ご訪問ありがとうございます!




いま、「いまここ女子部」の記事をアップしてきましたぁ~!


いやぁ。

一日に、二つの記事を書くって大変ですね~

阿部さんってスゴイ。


でも、カラーの違うほかの人と、ひとつのブログを紡いでいくって、思いのほかわくわくしますね!!

自分でも単純に、一読者としてもこれからの展開がとっても楽しみです!

読者の皆様とも合わせて、素敵なハーモニーを奏でられればいいなぁと思っています。


で。


自分のブログ…

自分のメインブログなのに…

今日は何も思いつかない~~!(笑)

空っぽだぁ。



そうだなぁ。


えっと。


わくわくするようなことや、楽しいことだけを考えるのは子供の証拠で


眉間に皺を寄せて、ああでもないこうでもないと苦悩したり、難しいことを考えたりするのが大人の証だって言うなら


私は子供だって言われても構わないなぁ。


悩みがなくっていいわね、いつもお気楽そうね、って言われてもいい。


「いまが幸せ」のがいいもん。



でもね。


ここで言う「楽しい」も、全て含んだ「楽しい」なんだ。

「愛」や「光」も、その対極のもの全てを含んだ「愛」や「光」なんだ。


物事の「都合のいい方だけ」や「いいところだけ」しか見てないわけじゃなくて。




嫌なものは嫌だし、悲しいことは悲しいし、苦しいことは苦しいけれど。


それをそのまま、ごまかしたりせず、なかったフリをせずに、しっかり味わう。

逃げたり、誰かのせいにしたりせずに。


それが生きるってことだと思う。


腹をくくるってことだとも思う。





あれこれ考えたりせず、



楽しいことは楽しい!

嬉しいことは嬉しい!

美しいものは美しい!

好きなことは好き!


と、正直に出して行きたいね。


素直でいると、大いなる「それ」がダイレクトに届く。

遮蔽物がないからね!



ちょっと告白。


私がね、「苦しいな~」って思うときは


たいてい「誰かに認められてないな」って感じるときなんだ。


ものすごく胸がいた~く、悲しくなる。

力がはいらなくなる。


あともう少し、これと付き合っていかなきゃいけないようです。


手放せる、そのタイミングまで。


誰しも、握り締めているものってありますよね。


どうしてもこだわってしまうもの、執着してしまうもの

同じような問題で、何度もつまずいてしまうこと。


それは自分にとっても嫌なことだけれど、

同時に自分にとっても大切な「テーマ」でもあるんですよね。

絶対に避けられないテーマで。


そう言うのは、根深かったりするので、手放しても手放しても、また現れる。

深~いところまで何層にもなっているんですよね。


なので焦らず。

ゆっくり付き合いながら、時にはジタバタ苦しんだりしながら、さらさら流して行こうね。


ありがとうを言って。




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書きたいこと

2010-03-15 | 日々のこと


こんにちは!ご訪問ありがとうございます!



そうだなぁ…


今日はちょっと立ち止まって、ふとこのブログで何を書きたいのかなぁって考えてみた。



当初、このブログを始めたときは、自分が分かったことを「伝えたい!!」と言う、若干暑苦しい、押し付けがましい気持ちがあったんですが…


書き始めてから一年と約半年。


その気持ちもずいぶんと変わりました。


そのときの、暑苦しい「伝えたい」って気持ちの裏に、「認められたい」「自分を見て欲しい」「賛同して欲しい」って気持ちがあったんですよね。うへへ~。


だから最初の方は「こうなんだ!」と、「相手を理解させたい」「説き伏せたい」テイストになっているんじゃないかなぁ。エゴ丸出し(笑)ムフ。


でも、いま気付いているいないに関わらず、みんな一人ひとりが素晴らしい存在で、最初からぜんぶ知っていて、みんな「それ」で…私が偉そうに「教える」「伝える」ことなんて何一つなかったんだなぁって。

「こうなんだよ、」「ああなんだよ」と、教えているつもりで、逆に実はたくさんのことを教えてもらっていたんです。。

ここでたくさんのことを学びましたし、教えてもらいました。


あぁ自分はホント偉そうで、傲慢だったんだなぁ…

誰かの「役に立てる」、誰かを「救える」なんて思ってたんだもん。

「自分が」なんとかしなくちゃ~~って。


でもそんなことはなくて。

その人が、自分自身を救うのだ~。



と、いい具合に力が抜けてきて。


今は、「書きたいなぁ」と思ったことを、書ければいいな、と。

まだまだ、力んでしまうこともあるけれど…


書きたいなぁって思うことは、「そのままでいいんだよ」ってこと。

君は君のままでいい。何もかも、それでいい。


それだけのことを、視点を変えながらいろんな角度で書いてるんだなぁ、と。


ちっちゃな自分は「いま」にいられないので、「それでいいなんて、とんでもない!」と言い始めます。

問題点をあれやこれやあげつらって、ほら、こんなに改善すべき問題が山ほどある。
それなのに君は「それでいい」って言えるのかい?って。

でも、答えは「イエス」。それでいい。


それは自分の人生だけでなく、世界に対して「責任」を持つことでもあります。


すべて「それでいい」と受け入れたとき(全てを委ねたとき)、自分と言う器を通して、これまた自分でもある「大いなる存在」が立ち現れます。

あとは、流れのままに。あなたは「流れ」そのものだから。



ちっちゃな自分がまた、ジタバタすることもあるでしょう。

痛い思いをすることもあるでしょう。

でも、それでいい。


私達がここで、何を表現するかは、自由。


やりたいと思ったことを、制限なく、思いっきりやればいい。


生きることは、表現することだ。


それにいい、悪い、正しい、間違っているなんてない。



小さなものにこだわったり、捉われていると気づけない、あなた、と言う存在そのものの素晴らしさ。

何が出来るから、とか、何を持っているから、とか、こんな能力があるから、とか、外見が美しいから、とか、そんなものはまったく関係ない、

「命」そのものの輝き、美しさ、エネルギー。


それを少しでも感じて欲しいなぁ。「ひとつ」の命である「喜び」そのものを。



自分を卑下しないでね。


私なんか、ホント、世間一般で言う「普通」よりも、出来ることが少ないし、と言うかほとんど何にもできないんだ。

でも生きてる。


ちっちゃな自分が「これじゃダメだ!」「これが問題だ!」と騒ぎ立てても、そこから離れて、静かな自分のポイントで「それでいいんだよ」と言ってあげてくださいね。


あなたはあなたのままでいい。

起こったことは、起こったこと。それにいいも悪いもない。

それを「どう受け取るか」。自分がどの部分に焦点をあてているか、で。

起こったことに意味づけせず、そのまま、ありのまま受け取ろう。


それが起こることによって(「かたち」となって現れることによって)、みんな「知る」ことができる。


今まで奥底に沈んでいて、気付かなかったことに、「気付ける」ってことなんだ。

手放せる準備ができたものが、目の前に現れる。



なので自分がいま出来ることを、心をこめて丁寧に、精一杯やっていこう。
それが出来ることに感謝しながら。

できないことに焦点を当てないで。

「問題だ!」と握り締めないで。


こう言う生き方をしなくっちゃいけないってこともなくて

こういう人にならなくっちゃいけないってこともなくて

目覚めなきゃいけないってこともないし

絶対にやらなきゃいけないこともなくて

難しいことを考えても

考えなくても

どっちでもいいし


ただ、自分がいまここで


どうしたいのか、どう生きたいのかってことだと思う。



外側ではなく、あなたの中にある、途方もない素晴らしさ…純粋な愛そのもの、いのちの輝きに気付けますように…

自然な流れは、すべてをあるべき姿に戻していくよ。



つたない、ちょっと独りよがりなところもあるブログだけれど…今日も訪れてくださって、そして最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


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いまここ女子部

2010-03-14 | その他


こんにちは!ご訪問ありがとうございます!


さてさてっ!


お気づきの方もいらっしゃったかと思いますが!


本日、聖なるホワイトデーに、新たなブログ「いまここ女子部」が本格始動いたしました~!ドンドン、パフパフ~♪


このブログのコンセプトは、「女性達による女性達の場」です。


苺たんが「阿雲の呼吸」を見て、ひらめいたのがきっかけで。


彼女の声かけで集まった、女性のメンバー、智子さん、苺さん、いっちゃんさん、黒妻(miyabi)さん、みりぃさん、イリス(さわら)の6人で、記事を書いていこう!と言うものです。

(メンバーの中でがぜん女子力の低いワタクシ、若干の不安はありますが…足を引っ張らないように頑張ります~…)



今まで、女性は男性社会の中で、「対等に」になるには、「男性と同じこと」をしなければなりませんでした。


が!!!


以前の「男性性と女性性」記事にもかいたけれど、もともと女性と男性は役割が違うから、体の機能も造りも何もかも全部違うんですよね。

違って当たり前。


「男と同じように」の「同じ」じゃなく、女性と男性、それぞれ違うけれど、「同じ(対等)」なんです。

女性は女性の特性があり、男性は男性の特性がある。
「どちらが優れているか」じゃなく、その違いを認め、尊重し合う。


たぶん、これからは女性が多く開いていくと思います。

それに後押しされる形で男性が(笑)


女性は理屈じゃなく、感覚で「あぁそうだ」と、最初から「そうであるもの」が分かりますもんね。


もっと女性が癒されて、もっと女性が本来のパワーを取り戻して、それをパワフルに発揮して…その人数がどんどん(同時に、一気に)増えていけば、この世界だってもっと変わる。


内側から、自然に変わっていくんです。


今までのやり方…「男性性社会」は、初めにシステムありき、なんですよね。

先に「形」(体裁)を整えたがる。

(男性の多くは「真理」をまず、理屈や理論で理解したい、ってのもそうですよね!)


えと、こないだニュースで見たんですが、イタリアって先進国の中でも一番、親離れが遅い国なんですって。

男女問わず、40過ぎても親と暮らし、親に面倒を見てもらって独り立ちしない。

それ国で問題になったらしく。
で、議会は「成人したら、親元を離れなければならない」(←詳細は忘れたけど、こんな感じ)と言う法律を作ろうとしたんだって。

でね。

何で親元を離れられないかって言うと、「経済が不安定」だからだったんですね。

若い人たちが、一人で暮らしていけるほどの収入が得られない。

だから親元から離れられない。


なので、まずは法律を作るより先に、「経済」を改善しなきゃいけないんですよね。
そうすれば、自然と子供は独り立ちしていく。


ま、簡単に書きましたが(笑)


大切なのはそこじゃないんだよ~ってことなのです。

まずは「内側」から。内側が変われば、「自然と」外側も変わっていく。

私達の意識の現われが、「現実」ですもんね。


それなしで、無理やり「外側」を力任せに、あるいは法律で押さえつけて変えたとしても、根本的な解決になってないので、別の場所からその抑圧された力がまた出てくる。

別の「形」をまとって、現れる。


女性はまだ、今までの抑圧の歴史から女性であることを恥じていたり、受け入れられていない部分もあるようです。


「主婦であること」(家事や子育て)を、恥ずかしい思いがあったり、後ろめたく思っていたり、「これじゃいけない」と思ってしまうのも、そのひとつだと思います。

生命を育むこと、家族の「命」を預かっていることは、とっても尊い仕事なんです!



あ、また理屈っぽくなってた(笑)いかんいかん。



「いまここ女子部」だった!


これからどのようになっていくか、分かりませんが!

みなさんとのハーモニーが紡げることを、私自身楽しみにしています!

いろんなテイストの記事が、ひとつのブログで読めるって、なんだかお得(笑)ですよねっ!(←読者気分)


みなさま、よろしければぜひ、お立ち寄りくださいね!

あ、男性の方もどうぞ!遠慮なく、遊びに来てくださいネ。(笑)

すべては「バランス」なので!

男性の皆様の中にもある、「女性性」の部分を解放してもらいましょ~!!

これからもメインブログともども、よろしくお願いします~!



「いまここ女子部」



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心地いい

2010-03-13 | 生きる


こんにちは~~!ご訪問ありがとうございます!


今日の東京はとってもぽかぽかしてます。あったかぁ~!

春だ!春だぜっ!って感じです。風は強いですがっ!

なんだかうきうきするネ。


やっぱりね。


真理を学術的に学ぶって方法もあるけれど、一番いいのは外に出ていっぱい感じること、なんですよね。

だって「それ」はそこかしこに溢れてる。

いろいろな「かたち」」を取って。


現実もそう。


この世のものはぜんぶ「それ」で出来ているから、特別なことをしなきゃとか、特別な人じゃなきゃダメってことはないんだ。


日常の中で気付けることが、たくさんあるよ。


でも、頭のなかが「知識」でぱんぱんだと、それに気付けないんですよね。


あれはこうで、こう言う意味があって、とか、スピリチュアル的にはこんな意味が…って考えちゃう。

「ありのままをそのまま」受け取れないんですよね。


教科書的に知識を保有していると、それに「合っているか」ばかりに意識がいってしまって、肝心の自分の心から離れてしまうことがよくあります。

大切なのは、自分がどう思っているか、どう感じているか。



生きてることに、「スピリチュアル」とか「スピリチュアルでない」とか関係ない。


みんな「それ」だから。


「いま」に100パーセントいよう。

太陽の光がぽかぽかと暖かいだけでも、じぃんとなるよ。


ありがたいなぁ。


でも「太陽の光があったかいからなんだ?それが何かしてくれるのか?それで飯が食えるのか?生活が楽になるのか?」

と思うのも自由。


どっちでも選べる。


いま、心地いいのと、心地よくないのと選べるんだったら、心地よく過ごしたいよね。
どうせなら。

それが、ずっと自分で選択できる。


スピリチュアルって、ただそう言うことなんですよね。

とっても身近なこと、日常のこと、当たり前のこと、

そして根本的なことで。


でも難しくしようと思えば、いくらでも難しくできる。

私達は難しいのが大好き。

「難しい方が価値がある」って思い込んでいるから。


でもホントは簡単なんだ~


せっかくの土曜日。あなたならどう過ごしたい?



今日もステキな一日でありますように!


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目覚め

2010-03-12 | この世の仕組み

ブビッ…ブ、ブ、ブベックショ~イ!!!ズビビッ!


やぁ!ズビッ!


ぐじゃみどどぼに、ごんにぢばっ!!(若干、涙目)


今年もやってきました!花粉の季節!

これが来ると、春だねっ!春を感じるねっ!!ブビッ!


…と、それはさておき。



私達がね、さまざまなブログや本で「執着があるよ~」「判断してるよ~」「自分を縛り付けてるよ~」「思い込み」があるよ~それは「エゴ」なんだよ~と言っているのは…

それが「悪い」ことだからでもなく、「いけない」ことでも「ダメ」なことでもないんです。

ただ、それがあるとあなた自身が「苦しい」よ~、と言っているだけなんですね。


でも、それを「いけないことだ」と受け取ってしまうと、新たな「~しちゃいけない」を作ってしまい、さらに苦しみを増やすことになっちゃう。


なので、外側の情報は「こうしなきゃいけないんだっ」と鵜呑みにしない。
ただの、「道しるべ」なんです。


今まで無自覚だった(当たり前だった)自分の「思考の癖」や「思い込み」「判断」に気付こうね~ってことなんです。

気付けば、手放せる。

どんなにぎゅ~っと握りしめているものがあっても、自分が「ない」と思い込んでいるものは、手放せないですもんね。



でね。


ちょこっと目覚めについて。


以前の記事にも書いたことがあるかもしれないんですが、もう一度。
しつこくってスミマセン…


私自身、あなたは目覚めてますか、と聞かれれば「イエ~ス!」と答えるけれど、悟っていますか、と聞かれれば「分かりません」と答えます。

その言葉が何を指して(定義して)いるか分からないし、「悟り」自体もよく分からないから。そして正直「どっちでもいい」からなんです。


目が覚めて思ったことは、「なぁんだ、みんな同じなんだ」ってこと。

いま目覚めている人も、目覚めていない人も、誰一人例外なく「それ、そのもの」である。


「それ」がただいろんな設定や条件をつけて、「個」として「三次元現象世界」を楽しんでいるだけなんです。

「同じひとつ」のものが、それぞれのバージョンで、それぞれの体験をしているんです。
同時にね!



なので、いまたくさんの人が目覚めていて、たくさんの情報を発信していますよね。

そうすると「いいなぁ」「羨ましいなぁ」と思ったり、それに比べて自分はまだこんなところにいるって焦ったり、自己嫌悪したりすることがあるかもしれません。

自分も早くそうなろうと、頑張ってしまうかもしれません。


けど、そんな必要は一切ないんです。


みんな同じひとつ、「それ」であるから。最初から目覚めた存在なんです。

なので「目覚め」や「悟り」を求めること自体、おかしなことなんですよね。

努力の方向が間違ってる、と言うのはそういうことなんです。

あなたはあなた以外、何者にもなれないし、なる必要もない。


ただ、外側に向けていた意識を内側に向けて、ただ力を抜いて「いまの自分でいいんだ」と認めることだけなんです。

そして思い出すだけ。自分の中に「全て」があることに。

それが「本当の自分に戻る」と言うこと。


それはいくら「頑張って」も「努力して」も出来るものじゃない。

リラックスして、安らいで「いま」にいること、なんです。



で、いまあなたに起こっていること、日常のあれこれは、全部「目覚めること」に繋がっています。

特別なことをしなくってもいい。

毎日を意識的に、気付きながら過ごすだけで充分だと思うよ。

嫌でも、心が波立つようなことが起こるもんね。
クレーマーに遭遇したり!(笑)

その時の自分の反応をちゃんと観察して、気付いてればいい。

「それでよし」と、言えないのなら、言えない自分に気付いていればいい。

で、「それでよし」。


ね!


大切なのは、力を抜くこと。リラックスすること。
安らいでいること。


人間らしくいることに、恥ずかしく思うことなんてないんです。

落ち込んで当然、不安に思って当然、腹を立てて当然。

これを「いけないことだ」って思うと、苦しくなりますよね。
その度に、無理に抑えようとしたり、自分を責めてしまったりしてしまう。

でもどうしたって落ち込むし、どうしたって腹が立つもん。

それも認めよう。人間なんだから。完全無欠の神様じゃないんだから。

あ、これも混乱する表現か!

えと、私達の本質は「神」であるけれど、今は「個」である「人間」として生きてるんだよ~ってこと。

本質は、完璧。人間は不完全だけど、それで完璧。

(真実は矛盾を内包しているんですよね。でもそれが成立するんですネ。矛盾を感じているのは、私達の『脳』だから)



なので!何が言いたかったかと言うと、

あなたは、あなたのままで素晴らしい。
と言うことに気付いてほしい。


みんなそれぞれ、違った役割があるだけで。

目立ったことをしている人が、偉いわけでも素晴らしい訳でもないよ。

だから焦る必要も、自己批判する必要も、落ち込む必要もない。


あなたに「足りない」ものは、何一つない。

ただ「足りない」「今のままじゃダメだ」と思い込んでいるだけなんだ。


やることは、力を抜くこと。深呼吸して「これでいい」って許すこと。
気付いている(自覚している)こと。



さぁ~今日もいい具合に力を抜いてっ!
シリアスになり過ぎずっ!

会う人、会う人、「一期一会」の心持でっ!

「出会ってくれてありがとう」の気持ちで接してみてね。
ちょっと違った一面に出会えるかも。


二度と来ない一瞬を、今日一日を、大切に過ごしてください。



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いいもの、わるいもの

2010-03-11 | 受け入れる


こんにちは!ご訪問ありがとうございます!



そうだなぁ。


物事って、難しくしようと思ったら、際限なく難しくなりますよね。

「問題点」を見つけようと思ったら、際限なく見つかりますよね。

エゴくんは、悩むのが得意。


でも、難しいことは何も考えなくっても


たとえばイライラ!っとしたとき。


うん。あるある。

誰だってイライラするし、腹が立つときだってある。


それはそれでよし。


イライラしちゃった自分や、腹を立てた自分を責めない。



で、その後。


そのイライラや、怒りを相手に文句を言いながらず~~~と持ち続けることも出来るし、


あ、今自分は余裕がなかったな~だからちょっとしたことでイライラしたのか~っと認めたあと

にっこり笑って気持ちを切り替えることもできる。

自分で選択できる。


どっちが自分にとって「心地いいか」ってこと。


「我慢」じゃなくってね。



「いまここ」は「調和」なんだ。


どんな状況であれ、「いま」を受け入れること。


いまを受け入れられていないってことは

宇宙の流れに対して「NO!!」と言って拒否していること。


「受け取りません!」と意思表示しているんですね。


それは自分にとって「よくないこと」「いやなこと」「受け入れられないこと」だから拒否するんですよね。

こんな状況いやだ!そんなハズはない!もっといい現実が来て欲しい!って。


でもね。


やって来たものは、どんなに自分にとって「いやなもの」に見えていたとしても、

それは「自分の判断、フィルター」によってそう見えているだけなんだ。


その奥底には「愛」や「喜び」や「光」がある。


私達は「いやなもの」は拒否して、「いいもの」だけ受け取ろうとするけれど…

「いやなもの」も「いいもの」も、同じもので出来ている。

私達が勝手に、別なものだ、と判断しているだけで。



だから、宇宙の流れを「拒否する」ってことは、「いやなこと」(に見えるもの)を受け取らないけれど、同時に「いいこと」(に見えるもの)も受け取らないよ、ってことなんですね。


落ち込んでいるときや、何かが起こったときって、

自分だけがものすごく不幸で、運命とか神様から見放されてて

誰からも愛されてなくて、自分が無価値なように感じちゃうけど、

それは自分が、受け取り拒否しているから、だったんですよね。

ぴったり閉じて、神様からの贈り物(ギフト)を、「こんなもんいるかっ!」ってつき返してる(笑)




私達は「宇宙そのもの」であるし、「流れそのもの」であるから、


え~~と。


そうだなぁ。たとえば、なんだけど、「流れるプール」を思い出してもらって…

その流れるプールが「宇宙」で、その中の水「一滴」が私達。

その一滴の水が「宇宙なんか信用ならない!」と疑いを持って「自分の好きなように生きるんだ!」と、流れに逆らおうとしているようなものなんですね。

そりゃあ…大変ですよね…

ってか、「ムリなんじゃ…」って思いますよね。

うん。無理です(笑)


どんなに信じられなくても、疑っていても、


あなたが「ゆいいつ」の「宇宙そのもの」で「流れそのもの」であると同時に、それを構成している「一部」でもあるんですから。


いまにいる、と言うことはその「流れ」そのものになっていること、同調していることです。


…と言う、よく分からない難しいことはおいといて…


今の自分が「心地いいか」「安らいでいるか」。

それを意識してみてください。


あ、これは「エゴを満足させる」って意味ではないです!


自分だけがいい思いをして、誰かを傷つけていたなら、心地よくないですよね。

「あなたはスゴいのね、特別なのね」って言われたら、その「時だけ」は心地いいかもだけど、ずっとそういい続けられないといけなくなるので、心地よくないですもんね。

誰かに嘘をついたり、騙したりしたら心地よくないですよね。

ずっとその嘘がバレないように、嘘をつき続けなきゃいけないし。
騙し続けるってことですし。


ね。


ゆっくり深呼吸するペースで。

自然でいようね。

自然がいちばん、美しいのだ!

それぞれが、そのままで素晴らしい。

みんな同じだけれど、同じじゃない美しさがある!

木々は木々の、花は花の、水は水の、山は山の美しさがあるように。

ほかの誰かや何かじゃなく、もともとある自分の中の温かさ、美しさ、素晴らしさに気付こうね。




今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


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