つづきです。
ここから、ピーが実際に有川正子さんと対面するとのことで、ピーのお声がはいってます。
放送での呼び掛けから5日。45年間、その居所も、正しい名前の読み方すらわからなかった有川正子さんについにたどり着くことができました。
2013年12月22日日曜日。札幌市中央区のニトリ文化ホールで、ザ・タイガースの復活コンサートが開催されました。初期のメンバー5人が集まるのは44年ぶり。超満員のニトリ文化ホールは熱気に包まれました。
夕方4時からおよそ2時間半のコンサート。コンサート終了後、瞳みのるさん以外のメンバー4人は予定通りその日のうちに、札幌を発ちました。
そして、瞳みのるさんは。
北海道での滞在を1日延ばし、コンサートの翌日、12月23日、河村通夫といっしょに、有川正子さんのいる旭川に向かいました。
河村さん「ドキドキしますよ。瞳さん探して探して探していたんだもの」
ピー「これはね、だけど、すぎやまさんもすごく喜びますよ」
河村さん「瞳さんが会いたくて、会いたくて」
有川さん「ありがとうございます」
河村さん「正子さんを探して、正子さんの知り合いの方が教えてくださったんです。ディレクターのこの子が手紙書きまして。お宅にいらっしゃらなかったので、妹さんがその手紙を持ってってくれて、連絡が取れて。瞳さんも喜んでぜひお会いしたいということで」
有川さん「なんてことでしょう。夢のようです」
ピー「これ最近出したもので、12月に出たばかりの本なんですけど、花の首飾りで申し訳ありません。白夜の騎士でなくて」
有川さん「ありがとうございます」
河村さん「懸賞のフジテレビの公募で当たって、それでヨーロッパの方に旅行なさったと聞いてるんですけど、行かれました?」
有川さん「ヨーロッパ21日間」
ピー「すごい。360円の時代ですよ」
ピー「あのとき、応募なされようとした主たる動機っていうか?」
有川さん「意外と詩を書くの好きでしたけど、どこにも応募しなかったので、だから、1回応募したいと思ってたんです。応募するならタイガースだなぁと」
有川さん「ピーちゃんって言ってたんです。かわいくてね、わたしたちの年齢からすれば、ピーちゃん最高でした。変わらないでね、いつもね、ピーちゃんピーちゃんってみんなで言ってました。明るくて優しくてね、なんていっていいか、弟みたいでした。失礼ですけど、大好きでした。今も変わらない、イメージもなにも全部変わらない」
妹さん「びっくりしました。ほんとに。こんなに何十年も無名の姉をこんなに探してくれたんだって。ありがたかったです。ラジオでも、何回も呼び掛けてくださって。こんなに呼んでもらっていいの?ラジオ使っていいのかしらって」
河村さん「ラジオ聞いてる人からも、有川さん見つかってよかったね、って。白夜の騎士もラジオでかけてね。素晴らしい詞ですよ」
有川さん「ありがとうございます。忘れないよ、絶対に。強い手だね」
ピー「ドラム叩いて、こちらの手もすごいでしょ。マメとかいっぱいできてるから」
有川さん「気をつけてね」
2013年12月23日、ザ・タイガースのドラマー瞳みのるさんは、ずっと会いたいと願い、探し続けていた有川正子さんと念願の対面をはたしました。それは有川さんにとって、45年間待ち続けた白夜の騎士が現れた瞬間でした。
ピー「河村さんのおかげです。ありがとうございました。こんなに早くこんな形で実現するとは夢にも、想像だにもしなかったことですし、ほんとに今年有終の美を飾れたと思っております」
河村さん「どうでした?会えて」
ピー「会えてね、ほんとうれしいですね。ちょっとは果たせたかなと思ってます。ほんと会えてよかった。ありがとうございます」
河村さん「瞳さんにとってもね、自分の人生今まで気になっていたことをきちんと整理したいという思いがあったと思うんだけど、やっぱり自分たちが演奏していたその詞を書いてくれた人、それも公募で1等賞になった人が、その当時は忙しいからなかなか人間的なおつきあいできなかったけれども、ずっと瞳さんのなかに気になる人としてね」
ピー「ほとんどレコードや、カラオケなんかいきますと名前が出るわけですよ。曲はいってますから。そのときに僕らの曲だと曲は別としてもね、詞を書いた人は、橋本淳だったり、なかにし礼、山上路夫とか安井かずみとか。そのなかで有川正子って出てくるんですよね。でも、誰もそれを気にしない。プロではないから、そのまま光が当てられないっていうのは、なんかおかしいんじゃないかなという思いがあったわけです。ぜひとも僕ら曲がりなりにも一応はタイガースとして、活動させていただいたので、それをみなさんに知ってもらいたいなと思うわけです」
河村さん「今回の作詞者有川正子さんを訪ねて、必ず会いたいんだという思いが伝わってきましたから、やっぱり瞳さんの思いじゃないですか?」
ピー「いえいえ、そんなたいしたもんじゃないですけど。でも思いは通じるんだと、思わない限りは通じないんだと。僕ら人間は言葉で生きてるわけですから。やっぱり言葉にしてみないと。音声にしてみないと。特にラジオですから。音声は大事です」
河村さん「有川正子さんが喜んでくださったというのがね、瞳さんと最初に会われたときの表情見てぐっと、きましたよ。瞳さんの思いが有川さんに通じたんだなぁと。踏み出せばその一足がその一足が道となる。一休さん?」
ピー「サンキューです。ありがとうございます」
なんだかとても感激しました。
当時、ザ・タイガースの曲の作詞なんてすごいことだったと思うけど、よほど謙虚な方だったのでしょうね。
ここから、ピーが実際に有川正子さんと対面するとのことで、ピーのお声がはいってます。
放送での呼び掛けから5日。45年間、その居所も、正しい名前の読み方すらわからなかった有川正子さんについにたどり着くことができました。
2013年12月22日日曜日。札幌市中央区のニトリ文化ホールで、ザ・タイガースの復活コンサートが開催されました。初期のメンバー5人が集まるのは44年ぶり。超満員のニトリ文化ホールは熱気に包まれました。
夕方4時からおよそ2時間半のコンサート。コンサート終了後、瞳みのるさん以外のメンバー4人は予定通りその日のうちに、札幌を発ちました。
そして、瞳みのるさんは。
北海道での滞在を1日延ばし、コンサートの翌日、12月23日、河村通夫といっしょに、有川正子さんのいる旭川に向かいました。
河村さん「ドキドキしますよ。瞳さん探して探して探していたんだもの」
ピー「これはね、だけど、すぎやまさんもすごく喜びますよ」
河村さん「瞳さんが会いたくて、会いたくて」
有川さん「ありがとうございます」
河村さん「正子さんを探して、正子さんの知り合いの方が教えてくださったんです。ディレクターのこの子が手紙書きまして。お宅にいらっしゃらなかったので、妹さんがその手紙を持ってってくれて、連絡が取れて。瞳さんも喜んでぜひお会いしたいということで」
有川さん「なんてことでしょう。夢のようです」
ピー「これ最近出したもので、12月に出たばかりの本なんですけど、花の首飾りで申し訳ありません。白夜の騎士でなくて」
有川さん「ありがとうございます」
河村さん「懸賞のフジテレビの公募で当たって、それでヨーロッパの方に旅行なさったと聞いてるんですけど、行かれました?」
有川さん「ヨーロッパ21日間」
ピー「すごい。360円の時代ですよ」
ピー「あのとき、応募なされようとした主たる動機っていうか?」
有川さん「意外と詩を書くの好きでしたけど、どこにも応募しなかったので、だから、1回応募したいと思ってたんです。応募するならタイガースだなぁと」
有川さん「ピーちゃんって言ってたんです。かわいくてね、わたしたちの年齢からすれば、ピーちゃん最高でした。変わらないでね、いつもね、ピーちゃんピーちゃんってみんなで言ってました。明るくて優しくてね、なんていっていいか、弟みたいでした。失礼ですけど、大好きでした。今も変わらない、イメージもなにも全部変わらない」
妹さん「びっくりしました。ほんとに。こんなに何十年も無名の姉をこんなに探してくれたんだって。ありがたかったです。ラジオでも、何回も呼び掛けてくださって。こんなに呼んでもらっていいの?ラジオ使っていいのかしらって」
河村さん「ラジオ聞いてる人からも、有川さん見つかってよかったね、って。白夜の騎士もラジオでかけてね。素晴らしい詞ですよ」
有川さん「ありがとうございます。忘れないよ、絶対に。強い手だね」
ピー「ドラム叩いて、こちらの手もすごいでしょ。マメとかいっぱいできてるから」
有川さん「気をつけてね」
2013年12月23日、ザ・タイガースのドラマー瞳みのるさんは、ずっと会いたいと願い、探し続けていた有川正子さんと念願の対面をはたしました。それは有川さんにとって、45年間待ち続けた白夜の騎士が現れた瞬間でした。
ピー「河村さんのおかげです。ありがとうございました。こんなに早くこんな形で実現するとは夢にも、想像だにもしなかったことですし、ほんとに今年有終の美を飾れたと思っております」
河村さん「どうでした?会えて」
ピー「会えてね、ほんとうれしいですね。ちょっとは果たせたかなと思ってます。ほんと会えてよかった。ありがとうございます」
河村さん「瞳さんにとってもね、自分の人生今まで気になっていたことをきちんと整理したいという思いがあったと思うんだけど、やっぱり自分たちが演奏していたその詞を書いてくれた人、それも公募で1等賞になった人が、その当時は忙しいからなかなか人間的なおつきあいできなかったけれども、ずっと瞳さんのなかに気になる人としてね」
ピー「ほとんどレコードや、カラオケなんかいきますと名前が出るわけですよ。曲はいってますから。そのときに僕らの曲だと曲は別としてもね、詞を書いた人は、橋本淳だったり、なかにし礼、山上路夫とか安井かずみとか。そのなかで有川正子って出てくるんですよね。でも、誰もそれを気にしない。プロではないから、そのまま光が当てられないっていうのは、なんかおかしいんじゃないかなという思いがあったわけです。ぜひとも僕ら曲がりなりにも一応はタイガースとして、活動させていただいたので、それをみなさんに知ってもらいたいなと思うわけです」
河村さん「今回の作詞者有川正子さんを訪ねて、必ず会いたいんだという思いが伝わってきましたから、やっぱり瞳さんの思いじゃないですか?」
ピー「いえいえ、そんなたいしたもんじゃないですけど。でも思いは通じるんだと、思わない限りは通じないんだと。僕ら人間は言葉で生きてるわけですから。やっぱり言葉にしてみないと。音声にしてみないと。特にラジオですから。音声は大事です」
河村さん「有川正子さんが喜んでくださったというのがね、瞳さんと最初に会われたときの表情見てぐっと、きましたよ。瞳さんの思いが有川さんに通じたんだなぁと。踏み出せばその一足がその一足が道となる。一休さん?」
ピー「サンキューです。ありがとうございます」
なんだかとても感激しました。
当時、ザ・タイガースの曲の作詞なんてすごいことだったと思うけど、よほど謙虚な方だったのでしょうね。