ゆかりんご

沢田研二さん、ジュリーについてのブログです。GREEもどうぞ。
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STVラジオ 白夜の騎士は時を超えて2

2014-05-01 08:55:57 | ジュリー
続きです。
昨年の、ピーが出演したときのテープが少し流れました。
そのあとは再び女性パーソナリティーのナレーションです。

2013年11月10日、日曜日、2時間の生放送番組STVラジオ、河村通夫のももくりサンデーに、ザ・タイガースのドラマー瞳みのるさんがゲストとして出演しました。ザ・タイガースは44年ぶりの復活をはたし、全国8ヶ所でのコンサートツアーの実施も決定、ザ・タイガースの話題が日本全国で大きく取り上げられた年でした。
パーソナリティーの河村通夫は、以前から、瞳さんの生き方やザ・タイガースの復活に至るまで、どんな思いだったのか、お話を聞きたいと強く望んでいて出演を依頼しました。

河村さん「若いときから瞳みのるさんに何かひかれるというか、引っかかるものがあったんですね。タイガースが解散して、そのあと、森本タローさんとか、岸部一徳さん、加橋かつみさん、もちろん沢田研二さん、みなさん、一応芸能の活動をなさってきたわけですね。そのなかで瞳みのるさんは、ほんとにすごいアイドルだったグループ、それを離れて学校に行った、そのとき、この人はどういうことを考えて勉強しようと思ったのか、そういうことが40年くらい前に感じてたんですね。沢田研二さんが歌ったロンググッバイという曲がありますね。
これは瞳みのるさんに向けて歌った歌です。そしてそれを聞いた瞳さんがいて、そのあと瞳さんが、ロンググッバイのあとで、という本をお書きになりました。その本を読んだというのは大きかったですね。その本を読んだなかで、自分の中でなぜだろうと思っていたことが、かなりの部分ほぐれました。でもご本人の口から聞きたかったというのが大きかったし、ラジオ聞いてるみんなに伝えたかったです」

11月10日の放送でそれが実現します。
この二人の出会いが45年の空白を埋めるきっかけとなります。それは放送前日のできごとでした。

河村さん「ゲストに来ていただく前日の日に、千歳の飛行場までお迎えに行ったんですね。僕の車に乗っていただいて、運転し始めたんですけど、しぱらくすると、瞳さんが、河村さん、まことに申し訳ないんですが、実は北海道にいらっしゃると思われる有川正子さんというかたを探していると。ずっと探してるんだけどなかなかわからないと。そういう話をラジオの中ですることはできるでしょうか?ということでした。その有川正子さんというかたはどういうかたかと言いますと、タイガースが一般の人たちから公募をして詞を募り、それに曲をつけて歌ったという歌が2曲あったそうです。で、1曲が有名な花の首飾りですね、もうひとつが白夜の騎士という曲があって、有川正子さんというかたが応募されて、その詞が採用された、しかしその有川正子さんがどこにいらっしゃるかがわからないと。
ぜひその方に会いたいということだったんですね。それはなぜかというと、演奏してるミュージシャンが作られた方の本当のことを知らないで演奏するっていうのは、なにか自分にとってぎこちなさがあると。それが瞳さんの人となりということなんでしょうね。
そういうお話があって、それは放送のなかで取り上げることができるものですからと申し上げたんですけど、そして、翌日の放送で、有川正子さんをご存じの方ということで、瞳さんに呼び掛けをしていただきました」

再び、11月の放送のテープが流れました。
喉に詰まった骨みたいなもので、なにか気になってしかたがない。ところがこの有川正子さんがようとしてわからない。
堺正章さんなどの作詞をしてる方だと思ったら、同姓同名のちがう人だった、ということを、ピーが話しています。

ザ・タイガースのドラマー瞳みのるさんが45年間探し続けても会うことができなかった有川正子さん。パーソナリティーの河村通夫も、ラジオの生放送で呼び掛けたとはいえ、正直なところ、長期戦になるだろうという思いでした。

河村さん「内心ですね、そう簡単に有川正子さんが見つかるとは思っていませんでした。でも、ラジオというものは繰り返すことができます。半年間くらい毎週毎週、有川正子さんについてご存じのかたというのを続けていけば、ラジオから始まった口コミですから、ラジオでこんなこと言ってたよというのが広がっていけば、半年ぐらいあればなんとかたどり着くのではないかと、最初は思っておりました」

しかし、放送での呼び掛けからわずか30分後、午前10時20分、番組に1本の電話がかかってきました。

士別の男性から、小学校のときの先生の娘さんが有川正子さんで、一度作詞をしてテレビにも出たことがあると。

その後も2件の情報が寄せられました。
42歳の女性。
わたしは有川正子さんの友人です。いつからというのはわかりませんが、現在、道内のどこかの病院に入院されているようです。なので、今は家にいないと思いますが、おそらくここではないかというご自宅の住所を知っていますので、お伝えします。今でも詩を書いているという話を聞いたことがあります。

そしてもうひとり。
70代の女性も番組に情報を寄せてくれました。
有川正子さんって、同姓同名の人がいらっしゃるのかなぁと思いまして、同期会の名簿を出して確認して、同級生で同姓同名のかたがいるんですけど、ってことで、STVさんにお電話させていただいたんですね。卒業してから、一度お会いしたことあるんですね。そのときにお話ししたら、有川さんが今、こういう文章作って、市の広報とかそういうものに書いて文章作ったりすると自分でおっしゃってたものだから、物を書いたりするのお好きなな方だったら、もしかしたらそうでないかなぁと思って、STVさんの方に、こういう方おりますよってお電話させていただいたんですね。

3件の情報は共通している部分が多く、いずれも非常に信憑性の高いものでした。早速、番組スタッフが有川さんの捜索を開始。情報を寄せていただいた聴取者のみなさんの協力で、有川さんの勤務先、お友だちと、その距離が徐々に縮まります。しかし、なかなか本人にたどり着くまでは至らず、スタッフがいつか本人の目に止まれば、と自宅に手紙を郵送。祈るように返事を待ちます。それから数日後の11月15日金曜日。STVラジオに1本の電話がかかってきました。有川正子さんの妹さんからの電話でした。

「あれは確か11月の上旬だったと思うんですけど、姉の実家に行きまして、冬囲いをしているときに手紙を見まして、そのなかにSTVラジオさんのお手紙が入ってました。それを見て姉のタイガースの白夜の騎士のことが書いてありましたので、びっくりして、姉は病院にちょっと入院してましたので、病院に行きまして、手紙を見せました。そしたら、姉もびっくりしまして、手紙を読みながらふたりで泣きました。
こんなに思ってくれているんだということを、もう、何年も前になりますので、本当に感謝、えー、こんなことがあるんだって思ったこと覚えてます。
すぐにSTVの方にお電話をしまして、これが本当に現実だったんだと思ってまた感謝感激したのを覚えてます。テープのなかで呼び掛けてくださってることを知りまして、こんなにもみなさんに呼び掛けてくださった気持ち、みなさんが呼び掛けて教えてくれたこと、ほんとに感謝で、何回も何回も言ってくださったことを、姉とよかったね~って言って、ほんとに感謝です」

2013年11月17日のももくりサンデー。
花の首飾り、それも公募だった。もう一曲白夜の騎士という公募があって、その作詞者のかたに会いたいということで呼び掛けたら、何人かのかたから知ってるよという人がいて、有川正子さんの同期のかたからご住所教えていただいて、手紙を送らせてもらった。
妹さんが手紙を読んでくださって、正子さんに手紙を持っていってくださって、非常に喜んでくださった。
瞳さんも、ネットワークが素晴らしいと喜んでくださった。きちんと有川さんと連絡を取りたいとおっしゃってた。
瞳さんもまさかその日のうちに、そんなお話が聞けるとは思わなかった。
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