ピー生出演、最終日です。
きょうはまた、シックで、ちょっぴりラフで、おしゃれな感じ
胸元のボタンをちょっと外してる感じがいいですね。
きょうはミュージシャンとしての瞳みのるさんの面にスポットだそうです。
「みなさんこんにちは」と中国語でご挨拶。
ほぼタイガースツアーのときに、聞いたことある音だわ
「3日目だけど、いまだにドキドキしてます」
ふたつの名前を使い分けている。
ミュージシャンとして、芸能人としては瞳みのる。ピー。
研究家としては人見豊。
老虎再来が流れてます。
意味は「トラが再びやってきた」
「老」は「愛情込めていうときのことばで、熟練とかベテラン」という意味。
老酒とかに使われてる。中国では「先生
」にもこの字が使われている。
SONGSの映像から君だけに愛を
40年ぶりだけど、
ドラムはなんとかなった。リハビリ兼ねてなんとか戻った。
あまり恥ずかしい部分見せたくないから。
1月24日武道館でコンサート。解散して41年。
38公演、もたないんじゃないかと思ったけど、みなさんの熱い声援と、仲間に支えられてなんとかできた。
たくさんのお客様で忘れずに来てくれてうれしい。
武道館に入る方々の映像
ファンのみなさんのお便り。
中国語に興味を持ったというお便りに
「そりゃよかった」
中国語の勉強を再開しようかというお便りには「頑張ってください」
40年近く、関係の方とは誰とも会ってなかった。メンバーとも会う機会がなくて。自分のことで精いっぱいだった。
2008年に「ロンググッバイ」をみんなが書いてくれて、熱いラブコールをもらい、いつまでも忘れない、変わらない友情がうれしかった。
全国で9万人を動員。
自分たちもそうだけど、ファンの方々もそれぞれの道を歩いてこられて、そういう思いが重なったと思う。
ツアーが終わって、みなさんの期待に応えなきゃいけない、僕になにができるのかと思ったときに、
音楽か、文章書くことかと思う。
日本の明治時代の音楽を研究している。それが中国文学にもつながる。
自分たちがやっていたグループサウンズの音楽は、明治期に入ってきたものから発展したもの。そのルーツを知れば、われわれがやってきたことを解き明かせるのではないかと思う。
旅愁
僕らの年代はみんな知ってる歌。
もともと150年くらい前にアメリカで生まれ、日本の方が訳され、清朝の留学生によって中国に渡る。アメリカの人はほとんど知らない。日本では年代によって違う。
中国の方は老若男女みんな知ってる。中国のドラマや映画など見ていると、これが流れてきて、どうしてだろうと調べてみた。
アメリカ、日本、中国と、文化はつながっている。
もともとみんないっしょなんだという、それがわかれば、もっと仲良くできる。
「仰げば尊し」や「蛍の光」など、知られ方や伝わり方は違うけど、中国でも日本でも紹介していきたい。
歌詞は旧態依然だけど、もともとメロディーがとてもきれい。美人をもとの姿に戻してあげたい。
日本の旅愁と、ピーが訳詞作詞した中国の晩秋の比較。
旅愁は、友人が旅に出るのを見送る歌。
僕が作ったのは、テーマを変えて、故郷、友人、自分の人生について歌っている。中国語で韻をふんで工夫している。
日本にも同じ漢字を使って、こんなことをする人がいるってことを、中国の人にもわかってほしい。
晩秋
中国語で歌うピー。ちょっと緊張しているかな。
ドラムも踊りもないから、ちょっと手持ち無沙汰
「お恥ずかしいです」
お便り。
「瞳さんの原動力は何ですか」
たぶん母親かな。エネルギーたくさんもらった。
「練習で苦労されたことはありますか」
練習はやったらやっただけ、結果が出るから、あまり苦労したことは覚えてない。やればこれだけできるんだということがうれしい。
ミュージシャンとしては、できればたくさんやりたい。
秋には、森本タローとやる。
日本の歌のカバーも中国の歌のカバーも、唱歌だけでなくポップスもやっていきたい。
台湾も香港も大陸もシンガポールなど、アジア中心にやっていきたい。
最後は「また呼んでください」
「またお会いしましょう。再見」
きょうはまた、シックで、ちょっぴりラフで、おしゃれな感じ
胸元のボタンをちょっと外してる感じがいいですね。
きょうはミュージシャンとしての瞳みのるさんの面にスポットだそうです。
「みなさんこんにちは」と中国語でご挨拶。
ほぼタイガースツアーのときに、聞いたことある音だわ
「3日目だけど、いまだにドキドキしてます」
ふたつの名前を使い分けている。
ミュージシャンとして、芸能人としては瞳みのる。ピー。
研究家としては人見豊。
老虎再来が流れてます。
意味は「トラが再びやってきた」
「老」は「愛情込めていうときのことばで、熟練とかベテラン」という意味。
老酒とかに使われてる。中国では「先生
」にもこの字が使われている。
SONGSの映像から君だけに愛を
40年ぶりだけど、
ドラムはなんとかなった。リハビリ兼ねてなんとか戻った。
あまり恥ずかしい部分見せたくないから。
1月24日武道館でコンサート。解散して41年。
38公演、もたないんじゃないかと思ったけど、みなさんの熱い声援と、仲間に支えられてなんとかできた。
たくさんのお客様で忘れずに来てくれてうれしい。
武道館に入る方々の映像
ファンのみなさんのお便り。
中国語に興味を持ったというお便りに
「そりゃよかった」
中国語の勉強を再開しようかというお便りには「頑張ってください」
40年近く、関係の方とは誰とも会ってなかった。メンバーとも会う機会がなくて。自分のことで精いっぱいだった。
2008年に「ロンググッバイ」をみんなが書いてくれて、熱いラブコールをもらい、いつまでも忘れない、変わらない友情がうれしかった。
全国で9万人を動員。
自分たちもそうだけど、ファンの方々もそれぞれの道を歩いてこられて、そういう思いが重なったと思う。
ツアーが終わって、みなさんの期待に応えなきゃいけない、僕になにができるのかと思ったときに、
音楽か、文章書くことかと思う。
日本の明治時代の音楽を研究している。それが中国文学にもつながる。
自分たちがやっていたグループサウンズの音楽は、明治期に入ってきたものから発展したもの。そのルーツを知れば、われわれがやってきたことを解き明かせるのではないかと思う。
旅愁
僕らの年代はみんな知ってる歌。
もともと150年くらい前にアメリカで生まれ、日本の方が訳され、清朝の留学生によって中国に渡る。アメリカの人はほとんど知らない。日本では年代によって違う。
中国の方は老若男女みんな知ってる。中国のドラマや映画など見ていると、これが流れてきて、どうしてだろうと調べてみた。
アメリカ、日本、中国と、文化はつながっている。
もともとみんないっしょなんだという、それがわかれば、もっと仲良くできる。
「仰げば尊し」や「蛍の光」など、知られ方や伝わり方は違うけど、中国でも日本でも紹介していきたい。
歌詞は旧態依然だけど、もともとメロディーがとてもきれい。美人をもとの姿に戻してあげたい。
日本の旅愁と、ピーが訳詞作詞した中国の晩秋の比較。
旅愁は、友人が旅に出るのを見送る歌。
僕が作ったのは、テーマを変えて、故郷、友人、自分の人生について歌っている。中国語で韻をふんで工夫している。
日本にも同じ漢字を使って、こんなことをする人がいるってことを、中国の人にもわかってほしい。
晩秋
中国語で歌うピー。ちょっと緊張しているかな。
ドラムも踊りもないから、ちょっと手持ち無沙汰
「お恥ずかしいです」
お便り。
「瞳さんの原動力は何ですか」
たぶん母親かな。エネルギーたくさんもらった。
「練習で苦労されたことはありますか」
練習はやったらやっただけ、結果が出るから、あまり苦労したことは覚えてない。やればこれだけできるんだということがうれしい。
ミュージシャンとしては、できればたくさんやりたい。
秋には、森本タローとやる。
日本の歌のカバーも中国の歌のカバーも、唱歌だけでなくポップスもやっていきたい。
台湾も香港も大陸もシンガポールなど、アジア中心にやっていきたい。
最後は「また呼んでください」
「またお会いしましょう。再見」
お召し物もいつも素敵なんですね(#^_^#)ますますファンになりました。
コメントありがとうございます
ピー先生、最初は緊張気味でしたが、話すにつれてだんだん饒舌に
おしゃれで知的ですてきですよね。