濃丸さん、candyさん、お知らせありがとうございます
見出しは、「沢田研二 苦難を乗り越え タイガース全員であの武道館に立つんだ の執念」
以下、要約します。
①芸能レポーターの話
「沢田研二と田中裕子夫妻はガードが固くて、私生活は全く公にしていない。
沢田はマスコミ嫌いで、取材もほとんど受け付けない」
②沢田夫妻の友人の話
「 今でも仲良くて、よくふたりで散歩しているみたい。
ハロウィンには夕方5時くらいから子どもたちにお菓子をあげていたらしい。
1000人くらい来たそう」
↓
あそこらへんは、外国人の方も多そうだから、そういう習慣があるのかな。
それにしても1000人ってすごいね
③今のツアーの紹介。
チケットはほとんど完売。
ジュリー人気はまだまだ健在。
ピーが40年ぶりに戻ってきた。
ピーはドラマーだから、ステージではいつも後ろで目立たないポジションにいたが、当時はジュリーに次いで、2番目の人気者だった。
↓
なるほど~
④コンサートのお客さまの話
「 ヒット曲を次々と披露して、興奮は最高潮。
指差しポーズをすると、40年前に女子高生だった人たちは今も黄色い声援をあげていた。
ジュリーが、トッポやシローもいっしょに…と話すと、拍手喝采でした」
⑤1960年代後半、タイガースの人気は絶頂に。
影響力は音楽界だけにとどまらず、社会現象にまでなった。
⑥当時を知るレコード会社関係者の話
「タイガースはグループサウンズの中でも、特別な存在でした。
ジュリーのルックスは飛び抜けたもので気品もあった。今のS○APや○をはるかに上回る熱狂だった」
↓
○には漢字一文字のグループが入ります。
⑦またレコード会社関係者の話
「花の首飾りで、トッポが初めてリードボーカルをとった。この頃からメンバーの中に問題が生じてきた。音楽的な食い違いが表面化した」
↓
そんなに早い時期からいろいろあったのかな
⑧1969年3月、加橋かつみ失踪事件、シローがその穴を埋めたが、メンバーのソロ活動が目立つようになる。
そして、ピーが脱退を申し入れ、1971年1月24日解散した。
⑨1月24日は沢田の 現在のツアーの最終日と同じ日。
同じ場所、同じ日にメンバー全員が一同に会することを彼は強く願っている。
↓
これはほんとにそうですね。
いつもMCでジュリーが話すの聞いてるとそう思います。
⑩音楽関係者の話
「この機会に何としてもメンバー全員でステージに立ちたいという思いがジュリーの中で大きくなっていった。
シローが体調を崩しているから、シローのことを考えるとこれがラストチャンスかも…とジュリーは言っていました。
車椅子でもいいから、シローをお客さんの前に出すことで元気づけたい…という思いが強い。
サリーは反対していたようだが、ジュリーが説得したそう。
1月のステージにシローとトッポを呼ぶというのが、ジュリーの執念に近い思いです」
↓
サリーの反対もなんとなく気持ちわかるような…。
⑪1981年の「サヨナラ日劇ウエスタンカーニバル」、1982年「タイガース同窓会」、1989年紅白出場…と、事実上の再結成はあったが、ピーがいなかったから「再結成」という言葉は使っていない。
⑫別の音楽関係者の話
「最近のジュリーは、タイガース自体に恩返しをしたい…と口癖のように言っている。
元気なうちにメンバーを一堂に集めるのがジュリーの長年の夢。
一番遠い存在だと思われていたピーが戻ってきて、夢は一気に現象味を帯びた。
今回のツアーに、ザ・タイガースという言葉をあえて使わなかったのは、トッポとシローが戻らないうちはタイガースではない…というジュリーの覚悟ですよ」
⑬ジュリーとトッポを知るミュージシャンの話
「紅白にもトッポは出ていたが、その間にジュリーやそのスタッフと確執があったと言われています。
トッポもタイガースとして歌いたいという思いは強いと思います。
あとは、男同士の意地の問題というか… 」
↓
いろいろ難しいのかしら…。
2人ともちょっと頑固そうだし…。
このあと、かつみさんのインタビューがあります。
ちょっと休憩します。
それにしても、なんでこの写真なの~
見出しは、「沢田研二 苦難を乗り越え タイガース全員であの武道館に立つんだ の執念」
以下、要約します。
①芸能レポーターの話
「沢田研二と田中裕子夫妻はガードが固くて、私生活は全く公にしていない。
沢田はマスコミ嫌いで、取材もほとんど受け付けない」
②沢田夫妻の友人の話
「 今でも仲良くて、よくふたりで散歩しているみたい。
ハロウィンには夕方5時くらいから子どもたちにお菓子をあげていたらしい。
1000人くらい来たそう」
↓
あそこらへんは、外国人の方も多そうだから、そういう習慣があるのかな。
それにしても1000人ってすごいね
③今のツアーの紹介。
チケットはほとんど完売。
ジュリー人気はまだまだ健在。
ピーが40年ぶりに戻ってきた。
ピーはドラマーだから、ステージではいつも後ろで目立たないポジションにいたが、当時はジュリーに次いで、2番目の人気者だった。
↓
なるほど~
④コンサートのお客さまの話
「 ヒット曲を次々と披露して、興奮は最高潮。
指差しポーズをすると、40年前に女子高生だった人たちは今も黄色い声援をあげていた。
ジュリーが、トッポやシローもいっしょに…と話すと、拍手喝采でした」
⑤1960年代後半、タイガースの人気は絶頂に。
影響力は音楽界だけにとどまらず、社会現象にまでなった。
⑥当時を知るレコード会社関係者の話
「タイガースはグループサウンズの中でも、特別な存在でした。
ジュリーのルックスは飛び抜けたもので気品もあった。今のS○APや○をはるかに上回る熱狂だった」
↓
○には漢字一文字のグループが入ります。
⑦またレコード会社関係者の話
「花の首飾りで、トッポが初めてリードボーカルをとった。この頃からメンバーの中に問題が生じてきた。音楽的な食い違いが表面化した」
↓
そんなに早い時期からいろいろあったのかな
⑧1969年3月、加橋かつみ失踪事件、シローがその穴を埋めたが、メンバーのソロ活動が目立つようになる。
そして、ピーが脱退を申し入れ、1971年1月24日解散した。
⑨1月24日は沢田の 現在のツアーの最終日と同じ日。
同じ場所、同じ日にメンバー全員が一同に会することを彼は強く願っている。
↓
これはほんとにそうですね。
いつもMCでジュリーが話すの聞いてるとそう思います。
⑩音楽関係者の話
「この機会に何としてもメンバー全員でステージに立ちたいという思いがジュリーの中で大きくなっていった。
シローが体調を崩しているから、シローのことを考えるとこれがラストチャンスかも…とジュリーは言っていました。
車椅子でもいいから、シローをお客さんの前に出すことで元気づけたい…という思いが強い。
サリーは反対していたようだが、ジュリーが説得したそう。
1月のステージにシローとトッポを呼ぶというのが、ジュリーの執念に近い思いです」
↓
サリーの反対もなんとなく気持ちわかるような…。
⑪1981年の「サヨナラ日劇ウエスタンカーニバル」、1982年「タイガース同窓会」、1989年紅白出場…と、事実上の再結成はあったが、ピーがいなかったから「再結成」という言葉は使っていない。
⑫別の音楽関係者の話
「最近のジュリーは、タイガース自体に恩返しをしたい…と口癖のように言っている。
元気なうちにメンバーを一堂に集めるのがジュリーの長年の夢。
一番遠い存在だと思われていたピーが戻ってきて、夢は一気に現象味を帯びた。
今回のツアーに、ザ・タイガースという言葉をあえて使わなかったのは、トッポとシローが戻らないうちはタイガースではない…というジュリーの覚悟ですよ」
⑬ジュリーとトッポを知るミュージシャンの話
「紅白にもトッポは出ていたが、その間にジュリーやそのスタッフと確執があったと言われています。
トッポもタイガースとして歌いたいという思いは強いと思います。
あとは、男同士の意地の問題というか… 」
↓
いろいろ難しいのかしら…。
2人ともちょっと頑固そうだし…。
このあと、かつみさんのインタビューがあります。
ちょっと休憩します。
それにしても、なんでこの写真なの~
せめてドームん時のとかにしてくれよー。
過去のTG記事にそうだそうだと思いにふけってたっけ
だけどこの写真はいただけない
かなり前にこの顔でもっとまん丸な顔でTV画面いっぱいに映った時はかなり凹んだ
暫く呆然と成り立ちあがれなかった
大げさではなくね
中抜けがながかったせいかも><
トッポとシロー参加できるといいのにね
いや、してもらいたい!!
ジュリー毎回ステージで、タイガースを!!って言ってるもんね~
もういい加減、思いが通じてもよさそうなもんよね
ファンは、どんなことでも知りたいのに、
ジュリーは、マスコミぎらい…こまったものですね。