この前の白河と仙台ではすっかり落ちこんでいたわたしだけど、やっぱりジュリーしかいないやと思って、☔のなかジュリーに会いにいった😃
結局、行ってよかった~😆
(白河と仙台は思い出したとこだけあとから書くことにしようっと)
最初のご挨拶。
まいどお江戸の連発からはじまって
「どうしたの❓みんな、元気ないね、ぼくはつかれたけど」
「☔すごいね~、神奈川のほうがすごくって青じゃないのよ、紺なのよ。
こんな足元の悪いなかたくさん来てくれてありがとうございます」
「初めてここでやったのは師走ロマンティックスってステージのときで、こんな広いところではもう二度とやらないだろうと思ってたら、それから何回やってるか」
ほぼ休みなしの公演とは思われないほど声も出ててパワフル😃
🎤おまえにチェックイン🎤では歌詞がめちゃくちゃだったけど、ちゃんとおさめた😉
最後のご挨拶。
いつもの旗を使ってのパフォーマンスのあと、
「1月31日にここでやったとき、熱がひどくて、点滴うってやって、後半もうなにやってるかわからなくなって」
(そんな状態でやったなんて、中止にしてもだれも文句なんか言わないと思うよ、そういえばあのときすごく弱気なこと言ってた)
「京都会館でね、ファニーズのころ、山城新伍さんのマネージャーだった沢井さんって人が面倒みてくれて」
「社長に言ったの、ファンクラブの会費とるな、それで商売なんかするな、って。
あぁ、これでもうやめるのかなぁ、なんて思ってたら、なんとなくできるかもってことになって。
それからまずここへ電話かけてどうしたらできますか?って聞いたら、歌謡曲って言ってもらえば、マスク着用、私語禁止で座って静かに、って言われて」
「みんなよく我慢したよね、新潟でいつもどおりってなったときにはすごかったね、みんな立ってもとのとおりにもどって」
「それから今の社長に岸部一徳なんやけど、6月25日の日曜日やりたいんや、って言ったら、じゃあちこち声かけてみるわ、ってことになって」
「あと2年で喜寿で、80になったら傘寿で、そのまま勢いで85までできるかなぁと考えてる。
それにはみなさんが元気でいてくれないと、責任とってくださいよ」
(こんなわたしでもよかったらいくらでも責任とるわ)
最後までごきげんなジュリーでした~😉