ちょっと古いお話ですが、Walker'sという雑誌に載っていました。
電子書籍でも読めます。
サリー、岸部一徳さんのインタビュー。
ただし、これは俳優のではなく、ミュージシャンとしてのインタビューになっています。
インタビューされたのは8月16日、六本木だそうです。
サリーは「もう音楽をやめてるのに、音楽についてのインタビューなんて大丈夫かな」と謙遜してたようですが、
「今の自分と繋がるものがあれば」と応じてくれたそうです。
★最初に手にした楽器がベース。当時はギターをやるのが流行ってたけど、すでにギターとドラムは決まってたので。
最初に手にしたのは16歳のとき。
★最初はいろんなものを聴いていたけど、ビートルズが登場して、コーラスしながら全員で歌うというのに興味をもって、ポール・マッカートニーに注目していた。
当時は洋楽のコピーばかりやってた。
★サリーとプレイボーイズの頃は、エレキインストバンドで、ベンチャーズなどインストの曲をやってた。
その頃はテスコの中古のベースを弾いてた。それが初めて手にしたベース。
★ファニーズのころに、ポール・マッカートニーと同じヘフナーのヴァイオリンベースを70000円で買った。
軽いので、タイガースで飛んだり跳ねたりするのにも楽だった。
★PYGや井上尭之バンドのときは、フェンダーのジャズベースを弾いてた。
今、息子が同じのを弾いてるかも。
自分たちが10代のころはジャズがはやってて、ジャズ喫茶に行くのもちょっと不良っぽい雰囲気で、はやってた。
「スイングジャーナル」を持ち歩いたり。ジャズを演奏したことはないけど、ジャズとの関わりはあった。
★井上尭之バンドのときは、スタジオミュージシャン的な要素が強くなり、スタジオで譜面を見せられて演奏するというスタイルに。
それまであまりそういう経験がなかったので、もっと勉強しておけばよかったと思ったけど、こういうのも楽しいなと思いながらやっていた。
「太陽にほえろ」のときもコードだけが書いてあって、あとはアドリブみたいな感じで弾いてた。
短い時間で何曲もとるので、次から次へとやっていかないと間に合わなかった。
★Wikipediaに、後藤次利さんにベースの手ほどきをした、とあるけど、それは全然違う。どういう経緯でそれが載ってるのかもわからない。
★レッド・ツェッペリンのベーシストがテレビでPYGを見て、ベースに感動して、会いたがってたという話はあとから聞いたけど、その情報も定かじゃないかも。
★タイガースで「ドッグ・オブ・ザ・ベイ」を歌ってたけど、当時、みんなが何か1曲ずつ歌うことになって、どうせ歌うなら好きな歌を歌わせてくれ、とそれを歌った。もともと歌は苦手で、無理やり歌わされた感じ。
ダイアナロスなどのR&Bもタイガースのイメージには合わないけど、好きでよく聞いていた。
★タイガースの中で思い出に残ってるライブは、武道館の解散コンサート。
あとは初めて日劇のウエスタンカーニバルに出たとき。タイガースという名前になった直後で、東京ではまだ誰にも知られてなかったころで、初めての大きなおころでのライブなので、思い出に残ってる。
まだまだ続きますが、明日早いので、きょうはこのあたりで。
電子書籍でも読めます。
サリー、岸部一徳さんのインタビュー。
ただし、これは俳優のではなく、ミュージシャンとしてのインタビューになっています。
インタビューされたのは8月16日、六本木だそうです。
サリーは「もう音楽をやめてるのに、音楽についてのインタビューなんて大丈夫かな」と謙遜してたようですが、
「今の自分と繋がるものがあれば」と応じてくれたそうです。
★最初に手にした楽器がベース。当時はギターをやるのが流行ってたけど、すでにギターとドラムは決まってたので。
最初に手にしたのは16歳のとき。
★最初はいろんなものを聴いていたけど、ビートルズが登場して、コーラスしながら全員で歌うというのに興味をもって、ポール・マッカートニーに注目していた。
当時は洋楽のコピーばかりやってた。
★サリーとプレイボーイズの頃は、エレキインストバンドで、ベンチャーズなどインストの曲をやってた。
その頃はテスコの中古のベースを弾いてた。それが初めて手にしたベース。
★ファニーズのころに、ポール・マッカートニーと同じヘフナーのヴァイオリンベースを70000円で買った。
軽いので、タイガースで飛んだり跳ねたりするのにも楽だった。
★PYGや井上尭之バンドのときは、フェンダーのジャズベースを弾いてた。
今、息子が同じのを弾いてるかも。
自分たちが10代のころはジャズがはやってて、ジャズ喫茶に行くのもちょっと不良っぽい雰囲気で、はやってた。
「スイングジャーナル」を持ち歩いたり。ジャズを演奏したことはないけど、ジャズとの関わりはあった。
★井上尭之バンドのときは、スタジオミュージシャン的な要素が強くなり、スタジオで譜面を見せられて演奏するというスタイルに。
それまであまりそういう経験がなかったので、もっと勉強しておけばよかったと思ったけど、こういうのも楽しいなと思いながらやっていた。
「太陽にほえろ」のときもコードだけが書いてあって、あとはアドリブみたいな感じで弾いてた。
短い時間で何曲もとるので、次から次へとやっていかないと間に合わなかった。
★Wikipediaに、後藤次利さんにベースの手ほどきをした、とあるけど、それは全然違う。どういう経緯でそれが載ってるのかもわからない。
★レッド・ツェッペリンのベーシストがテレビでPYGを見て、ベースに感動して、会いたがってたという話はあとから聞いたけど、その情報も定かじゃないかも。
★タイガースで「ドッグ・オブ・ザ・ベイ」を歌ってたけど、当時、みんなが何か1曲ずつ歌うことになって、どうせ歌うなら好きな歌を歌わせてくれ、とそれを歌った。もともと歌は苦手で、無理やり歌わされた感じ。
ダイアナロスなどのR&Bもタイガースのイメージには合わないけど、好きでよく聞いていた。
★タイガースの中で思い出に残ってるライブは、武道館の解散コンサート。
あとは初めて日劇のウエスタンカーニバルに出たとき。タイガースという名前になった直後で、東京ではまだ誰にも知られてなかったころで、初めての大きなおころでのライブなので、思い出に残ってる。
まだまだ続きますが、明日早いので、きょうはこのあたりで。