週刊現代、やっと見てきました。
162ページ、魚住明さんの「わき道をゆく」というコラム。
「こんな私のジュリー熱」という題名です。
かいつまんで書いてみます。
まず冒頭。
いまジュリーに夢中だ。あのジュリーである。年老い、メタボになり、最近テレビにも顔を出さなくなった、かつてのスーバースター沢田研二だ。我ながら何を血迷ったか、彼のことが頭を離れない
というこんな書き出しから始まります。
魚住明さん、1951年生まれのフリージャーナリストだそうです。
この「わき道をゆく」というタイトルとか、上司から都合の悪い(?)記事を書き換えるよう指示されて反発してフリーになったとか、なんとなく~って感じですよね。
魚住さん、先日のフォーラムに来られてたそうです。ジュリーのコンサート初めてだったのかしら。
9割が中高年の女性という客層に、
「しまった。場違いなところにきた」と思ったそうで
「これほど性別・年齢の偏った大集団のなかに身を置いたことがない」って。
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そうかなぁ。ずいぶん若い人も男性も増えたと思うけど、まだまだかしらね。
ジュリーは、往年のとろけるような甘さに、渋い厚みが加わった素敵な声で歌う。そして、ポコッと突き出たお腹を揺らしながらステージを駆け巡る。そんなに走ったらこけちゃうよ、とヒヤヒヤするほど走る、歌う、叫ぶ
魚住さんがジュリーの存在を思い出したのは、斎藤美奈子さんのコラムだったそうです。そして去年の秋の山本太郎さんの応援演説の映像をご覧になり、「スポンサーの意向の前に尻込みするタレントばかりの芸能界では勇気のいる行動である」とおっしゃっています。
このときのことを、こんな風に。
真剣だった。しかし、山本太郎のような気負いは微塵も感じさせない。人の魂にさりげなく、深く届く声だ。いくつもの浮き沈みを経験し、豊かな年輪を重ねてきた者だけが持つ余裕があった。私が周回遅れのジュリー熱に浮かされるようになったのはそれからだ
さらに、「太陽を盗んだ男」にも触れ、
命がけの集中力と表現力を感じた。きっと彼は核兵器や原発について深く学び、そのエッセンスを我が物にして撮影に臨んだにちがいない。 でなければ、ぞっとするようなリアリティを出せるはずがない
ジュリーの朝日新聞のインタビューのことも。
かつてのアイドル時代は、表現の自由がなかったが、還暦を過ぎて、言いたいことを言うようになり、好きなことをコツコツやっていこうと思っている、と、とにかくジュリーのこと、大絶賛
再び、フォーラムのステージ。
その姿は、まるで老いたボクサーが打たれても打たれても倒れず、ファイティングポーズをとる姿に似ていた。彼は人生のラストスパートをかけている。その真摯さが私の魂を揺さぶる。頑張れ、ジュリー。誰が何を言おうとあんたを応援するぞーっ
あ、「頑張れ」は禁句ですけどね。でもこういう男性、けっこういるんじゃないかな。
アイドル時代のジュリーは、男性にはちょっと目障りかもしれないけど、いまみんな、きっと、どこか自分にもあるような親しみと、やっぱりジュリーだっていうオーラみたいなものを感じてる同世代の男性たち、多い気がします。
わたし、この記事、ちょこっとだけかと思ったら、なんとまぁ、2ページに渡って全部ジュリーへの賛歌でした