最近は目的意識が曖昧な漫然とした状態にあると
容赦なく教育的指導が入ります。
(これはあくまで個人的印象ですが…)
主次動作の確認が入ったり
何を課題として取り組んでいるのかなど
細かくチェックされます。
意識していたはずの課題が抜け落ちていたことに
ようやく気づくわけです。
それどころか課題を意識することもなく
漫然と練習を始めてしまうこともあります。
なぜそんなことになるかといえば、
落ち着きがないからです。
こころ此処に在らずといった状態です。
松、静、自然。
容赦なく教育的指導が入ります。
(これはあくまで個人的印象ですが…)
主次動作の確認が入ったり
何を課題として取り組んでいるのかなど
細かくチェックされます。
意識していたはずの課題が抜け落ちていたことに
ようやく気づくわけです。
それどころか課題を意識することもなく
漫然と練習を始めてしまうこともあります。
なぜそんなことになるかといえば、
落ち着きがないからです。
こころ此処に在らずといった状態です。
松、静、自然。
一概にマイナスとはいえないのではないかと
考えています。
少なくともそこには動があるから。
動あるところに変化は起きます。
不安定状態が続くのは
安定を求めてあてもなく彷徨っているから。
もし変化の方向を示すことができれば
それなりに落ち着いてくるのではないかとも思います。
だったらなるべく自然のリズムにそった方向へと
働きかけられればいいのかな。
自分の中の自然のリズムは
外界の自然のリズムと共振したがっているのでは?
自分の潜在エネルギーを
信じてもいいのではないかなぁ。