松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

気勢を意識する

2005-01-28 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
26日の練習で先生から
気勢について指導があった。
個人表演では、気勢が表現力として
表に現れてくるのだそうだ。
例えば同じ套路を演じていても
ひとりひとりが違った印象に見えてくるのは、
この気勢の違いなのだ。
その人がその套路で表現しようとしているものが
見る者にも伝わってくるのだ。
ただし演ずる側と見る側が
全く同じ印象(イメージ)を持っているかどうかは
わからない。
おそらく表演者からすれば
何らかのイメージが伝わることに、
まず意味があるのではないか。
そして両者のイメージが近づいてくるほどに、
より確かな表現力があるということになるのだろう。

それにしても、その場で
いきなり表現したいものを決めて表演するというのは、
けっこう大変だった。
あまりに漠然として
何をイメージしていいのかよくわからなかった。
この日、初めて気勢を意識して表演するにあたり、
自分なりに考えたイメージとは?

表演演目の18式は動きの変化がある。
そこで絶え間なく姿を変える雲をまずイメージ。
変幻自在な雲の姿に
もう少し活力が欲しかったので
「雲竜」をイメージしてみることにした。

そしてただ、雲竜、雲のことだけを思い描いて
準備姿勢を取った。
すると今までにない光景が目の前に広がった。
何も見えなくなった。
目は開いているけれど何も見えてこない状態。
雲竜のイメージをずっと描き追っているみたいな、
そのくらいに集中していたんだと思う。
なんだ、もっと深く集中できたんじゃないかと思った。
もったいない。
普段からちゃんと集中しなきゃダメだなあ。

また、先生の話によれば、
気勢の「勢」が最初から最後まで
途切れることなく続けることが大切なんだそうだ。
つまり動きが止まっているように見えても
勢は動き続けている状態を維持することなのだ。
太極拳の美しさ、力強さは
内面から導き出されるものであって、
つまり内面の状態が表に現れるということだと思う。

 ところで後で気がついたことだが、
 雲竜のイメージってどんなだったんだろう?
 その場でとっさに決めたイメージの雲竜なんだけれど、
 自分が描き追っていた雲竜が思い出せない(笑)。
 はたしてこれでいいのだろうか? 疑問は残る……。


個人演目も形になってきたかな

2005-01-27 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
26日は1月最終の個人種目練習日。
残すところあと2回。
18式はようやく自分なりに全体の動作ペースを
イメージできるようになってきた。
まだばらつきが目立つし、
動きの足りない部分もある。
もう少し時間があればとも思うが、
欲をいえばキリがないので
現状でできることをやるだけ。

腕の振りがどうもいけない。
肩から手先まで力が入っている。
手の動きだけで制御しようとするからだ。
腰と上体を旋回させることで
導かれるようなイメージで動き出しができると
イメージに近い動きができるような気がする。
でも、なかなかうまくいかない。

この1カ月、孫式だけではなく18式も
練習してきたわけだが、体に変化が出てきている。
孫式だけでは調身が足りないらしい。
18式を練習してきて
いちばん気がかりだった緊張感が、
動きの大きさやスピード変化に対応しようとすることで
体の奥で何か変化が起きつつある感じがする。
固まっていたものが常に揺さぶられることで
少し溶け始めた感じとでもいうのかな。
ほんの些細なものなのだけれど、
指先の感覚が少し改善されてきている。
血行不良のために
指先が痛く感じることもあるので、
この変化は嬉しい。
単なる気のせいで終わらないといいなあ。

要するに改善を求めるためには
動き方の質を工夫する必要があるらしい。
孫式でゆるゆるした後に、
今度は変化の幅が大きくて変化し続ける18式で
体の芯から凝り固まっている緊張を
解きほぐしているのかもしれない。
それでもまだしっかり緊張していることには
変わりはないのだけれど、
たとえ小さな変化でも、
ある状態から転じたことには変わりはないわけで
停滞よりはいいことだろう。
少しでも良い方向へ考えていきたい。

2月からはちょっと無理しても
午前中に練習時間をとるつもりでいる。
本番の時間帯に体が動くようにするための準備に
どのくらい時間を要するか
把握しておいた方がいいと思うからだ。
とくに腰は朝は動きが悪く緊張感が高い。
冷やさないようにするなど工夫も必要。
用意周到を目指すのはあくまで目標(笑)。
いろんなところに意識が向けられるようになると、
またそれだけ新しい発見があるような気がする。

後方への体重移動の改善点

2005-01-21 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
18式は前後半に分けて
リズムと動きの確認をしている。
後半部はとくにリズムの変動が多くなる。
転身双擺蓮に辿り着く前に
腰が伸びきってしまう。
つまりそれだけ筋肉も緊張させているから
最後にきて力が入らなくなってしまうのだろう。
時間が許す限り
自分にとって無理なく流れるスタイルを作り上げたい。

また、このところ疲労がたまってきている。
ここで無理をしてケガしてしまったら
個人はおろか団体にも迷惑をかけてしまうので、
少し様子を見ながら練習している。

ところで、8式や16式は
体の使い方や意識の仕方を目的とした
練習には重宝している。
最近改めて納得したものは
攬雀尾や如封似閉の
後方への体重移動の際の股関節の状態がある。
体重移動は
腰の位置が上下動しないで水平に動くのが原則だと
認識しているのだが、
確かに前方への体重移動は要求を満たせていると思うが、
後方への場合は腰が一緒に沈みがちになる傾向がある。
攬雀尾や如封似閉の場合は、
両手を体側に寄せながら体重を後方にかけ移すので、
とくにその傾向が著しくなる。
なぜかと言えば、自分の場合、
最優先に意識しているのは上体の姿勢を
真っ直ぐに維持することであり、
腰が沈みがちになることへの意識は
もう少し下位にあったから。
このところの18式の練習では動作が激しい分、
どうしても上下動を意識せざるを得なくなってきていて、
そのために意識レベルが少し上がってきているのだろう。
こういうことがあるから、
多様な套路を練習している方が
全体的な意識バランスも発達してくるような気がする。

今回気がついた改善点は、いまよりも
もう少し股関節を開くこと。
こうすると股関節の可動域が広がって、
上体の姿勢を維持しながら腰を沈めることなく
体重移動ができるのではないかと思っているのだが。
体重移動が甘くなると、
すべてが中途半端になるように感じている。
ひとつひとつの動きを
限界まで到ることで調整ができるのではないか。
だからこそ無駄な緊張は
それを阻むことになるのだと思う。

表演服が到着

2005-01-20 | 日常雑記-暮らしの逸話(エピソード)-
昨日、上海から
交流競技会用の表演服が届きました。
今回は奮発して(笑)赤と青と2着発注、
演目ごとにお色直しをすることにしました。
大人数だと難しいことかもしれませんが、
今回は少人数ですし、色の好みも共通してましたので
ちょっとお楽しみ的要素も盛り込んでみました。

早速着用して練習してみましたが、
それぞれが“こんなに似合ってしまって
ごめんなさ~い”状態でした。
よかった、よかった。
初めて表演服に袖を通した初参加の人達も
笑みがこぼれます。
そうですとも、私だってこれを着ただけで
うまくなったような気がしたもんです。
何しろ憧れの表演服でしたから。

これで交流競技会の練習もいよいよ後半に入っていきます。
次は自分達が楽しく輝く番です。

疲労性ぼやき症候群

2005-01-18 | 日常雑記-暮らしの逸話(エピソード)-
このところ疲労感があります。
気を消耗している感じです。
もともと陰虚の傾向があるので、
陰が弱れば弱るほど
眠りが浅くなったり寝不足感が出てくるし、
妙に気持ちが高ぶってみたりと
不安定になってきます。
おそらく自律神経のバランスが
崩れているためではないかと思います。

仕事柄座った姿勢が続くのですが、
休憩して体を休めるにしても
限界がありますから、
腰痛は出てきますし背中や肩のコリのために
呼吸も浅くなってきます。
こうなると導引に頼るというよりも休養が必要です。

しかし思い切って休むことを
状況が許してくれません。
結局、蓄積疲労をこれ以上ためないように
しないと回復は望めないでしょう。
そのやりくりを考えるだけでも精神的に消耗してきます。
仕事しても消耗、考えてても消耗ならば、
とりあえず目の前の仕事に走ってしまいます。
フリーは不安定さも含めて自由を得る
ようなものですから。

本来の自分の性格は働き者ではない
と思うのですが、なぜかマメに見えるらしいです。
おそらく独自の世界というか領域を
他人に脅かされたくない思いが強いのでしょう。
そのために先手を打って
積極的に外に働きかけているのではないかと
自己分析しています。
小さい頃から子供同士のいさかいなどに
巻き込まれるのが嫌いで、
自分からさっさとその場を収拾したりしていました。
周囲から頼られるようになると、
それがまた負担になるので
これが自分の持ち分でありカラーなのだと
思い込むようにしてきました。
いつのまにか素の自分を
どこかに放置してきてしまったのかもしれません。

でも長年培ってきた表面上の性分を
偽りの自分だとは思っていません。
これはこれで自分の一面だと理解しています。
ただ、ずっと奥底にしまい込んで
表に出してやる機会がなくなっていた
本来の怠け者で人見知りで臆病な自分も、
もう少し慈しんでやりたい気がしています。

交流競技会まであと1カ月

2005-01-15 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
交流競技会まであと1カ月を切った。
初参加の人達も含めて
全体的に落ち着いているように思う。
この調子で着実に練習を積み重ねていきたいもの。
また、主体性も少しずつ出てきたような気がする。
例えば先生の指導だけではなく、
自分達でも考えて試してみたりしている。

今回の参加者内訳は、
3回目が2名、2回目が2名、初参加が3名と、
程良くまとまった感じ。
参加者が多くなれば表演の迫力はあるが、
統一感を出すこともそれだけ難しくなるから
細かな確認作業も増えてくる。
その点、今回くらいの人数だと
初めての人にとっても負担が少なくて
良い経験ができそう。

1回目はとにかく経験することがそのまま自信になるし、
楽しんでもらえればいいなと思う。
自分達の時は全員が初めてだったから
経験者に混じって表演する心理はわからない。
その意味では前回初参加、今回が2回目となる人達にも
期待している。
こうしてそれぞれの役割分担みたいなものが
自然にできてくるからおもしろい。
毎年前年とは少し違う自分達を確認できたら嬉しいと思う。
いずれ、複数のグループに分かれて
互いの表演を楽しみ合うというのも楽しいだろうなあ。

個人種目もそれぞれ調整が進んでいると思う。
こちらは一応競技種目なので
制限時間などの制約があるけれど、
基本的にはマイペース。
個人練習は言ってみればキリのないものだ。
去年の経験から、やはり集中力がカギになるんだろう
と思っている。
動作だけに深く集中することは
自分には決して簡単なことではない。
どうしても散漫になる。
会場でその場に立ったときの集中状態を、
少しでも好ましい方向に持っていけるようにしたいのだが。

18式の練習で

2005-01-12 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
個人練習で表演用バージョンの18式を
一通り動いてみる。
細かなところまでは覚え切れていないが、
とにかく大まかな形にせよ
全体のイメージを頭にたたき込まなければ。

それにしても数十分の練習だけなのに足腰が疲れる。
余計な力が入っているせいもあるのだけれど、
年末処理で頑張ってしまったツケが
蓄積している感じだ。
こんな時はつまらないケガをしやすいから
気をつけないと。

今回の練習で先生から指摘され続けたのは
「動作をもっと大きく」ということ。
もっと力を抜いて、のびのびと柔らかく
筋肉が動ける状態にするためにも
精神的な放松が必要だ。
いくら気持ちで手足を大きく動かしてみても、
おそらく体のバランスを崩すだけだと思う。
それよりはまず、
落ち着いた穏やかな精神状態に整えること。
その上ではじめて、バランスのとれた
大きな動きが可能になるような気がしている。
そうでないと、動作を大きくしたいがために、
また力に頼るような気がするのだ。

仕事中の集中状態は、どうしても緊張する。
その緊張感の矛先が体内へと
向いているような気がする。
つまり体を小さくする、収縮させるような方向に
力が入る感じなのだ。
例えば、精神分析関連の本などによれば、
ズバ抜けた集中力のある人は
小柄だったり痩せていて太れない
といった体型上の傾向があったりするらしい。
やはり内へと向かうエネルギーが過度に働くのだろうか。

一方、太極導引で要求される集中は
正反対のものかもしれない。
集中するけれど力は入れない。
自分にとって必要最低限の力が
どのくらいのものなのか、
これを探っているのが練習目的とも思えてくる。
そうなると、いろんな動きの状態を
くりかえし体験した方がいい。
だから長く続ければ続けるほど
発見も増えてくるということなのかな。


さて、18式の練習に話題を戻そう。
正直まだ余裕がないのでアップアップしている。
久しぶりだと基本的なことすら曖昧になっていて、
積み重ねるどころか基礎固めみたいな状態だ。
しばらくは陳式のことばかり考えていることになるなあ。
今のところは腰や首に違和感は出てきていない。
これはよいことだ。

孫式の2期目が始まる

2005-01-08 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
今年の専科クラスの練習が始まった。
去年に引き続き
孫式太極拳97式よりアレンジした組み合わせで
2期目が始まる。
去年にはなかったトウ脚をはじめとする
足技が出てくるのでちょっと楽しみ。

個人種目の18式を練習し出してから
改めて流派の違いを感じるようになった。
去年まで練習してきた孫式は、
あまり動きに大きな変化がなく淡々と進む感じ。
一方の18式は正反対みたいな動き方に感じてしまう。
18式の動きに慣れてくると、
久しぶりに体を大きく動かすことが快感になってきた。
陰陽の関係ではないけれど、
個人的にはもう少し動きの変化がほしいなと
思っていたのだ。
だから2期目の孫式には期待してしまう。

そういえば、今年最初の練習にあたり、
站トウ功の型が変わった。
今までの三円式ではなく
孫式の「開合手」と「懶扎衣」の型で行った。
手始めに行った「開合手」はラクだったけれど、
「懶扎衣」はちょっと大変だった。
全体重を右足にかけて
左足は右足近くに踵をあげた状態で爪先だち。
両手は体の前で上下相対において
掌を前に向けているので
脇を少しでも締めると途端に肩が緊張してくる。

緊張感を手っ取り早く消すには、
両手を体側に近づければいいみたい。
脇が弛むから。
ただし下半身の姿勢からしても
「懶扎衣」の最終姿勢になるわけだから、
両手の姿勢は前に押し出した状態になる。
だから両手を極端に体には近づけることはできない。
これらの条件を満たしながら
一番緊張感が少ない状態を探し続ける。
コツがつかめたのは終了間際だった、残念。

交流競技会の練習始まる

2005-01-05 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
5日は教室としての稽古初め。
水曜日は個人練習を中心にして、
個人種目の演目を練習したり
集体(団体)種目の演目を個人練習するなど、
先生とのマンツーマン方式に近い。
ここで個人的な疑問を解明したり
課題を見つけたりして練習する。
土曜日は集体練習が中心となるらしい。

個人的には、たいへんなことになったぞ
というのが率直な感想。
陳式は個人練習で薄々感じてきた通り、
緊張があると動作の様式にすぐに反映されるとのこと。
力が抜けていないと
陳式独特のしなるような上体の躍動感が出ない。
もちろん上体に限らず
膝や腰の関節が弛んでいないと
安定した姿勢が維持できない。
自分が感じていたことは
間違っていなかったんだなあと納得。

表演用にメリハリの効いた動きを、
先生から直接指導を受ける。
他人は「(教室で)練習していたものと
見違えるくらいにステキ」と、
先生の動きに感動しているけれど、
やる方はたまったもんじゃないぞ(笑
今までの18式をスパッと忘れて
新しいものを1カ月で仕込むようなものなんだから。
実際、まだ何回も練習していないうちから
体の使い方を変えなきゃならないことを実感している。
腰を大きく旋回させる感じがまだ思い出せない。
腰がガチガチに硬い。
こうなると限られた時間で
どれだけ体にしみ込ませられるかだろう。

帰りに寄った近所のスーパーの駐車場でも
懶扎衣をやってきた。
警備のお兄さんが笑いながら見ていた。
どうせなら交流競技会が終わるまで
営業前の駐車場で練習させてくれたら
いいんだけどなぁ。

我欲と向き合ってみよう

2005-01-04 | 日常雑記-暮らしの逸話(エピソード)-
年末年始は珍しくTVを見ていました。
年末と年始に特番があるんですから
細木数子さんはほんとに人気なんですね。

私には陰陽理論や五行理論の考え方の
基礎知識くらいしかないのですが、
それでも細木さんが説く真理は
納得しながら聞くことができました。
例えば男女の質の違いを説く場面では
陰陽のバランスを、
運気の変動については
陰陽や五行の運動や連係方式を思ったりと、
陰陽五行の考え方と共通するものを感じたりして、
おもしろかったです。

自然の理というのは宇宙規模です。
目の前に起こっている現象と
宇宙規模で起こっている現象が
同じ理(原理)をもって説明ができるのだと、
頭のどこかではわかっているのですが、
その理で我が身を解析するとなると
サッパリなんですね。
自分のことがいちばんわからない
というのは本当だなと思います。

我が身に起こることというのは、
なかなか客観的に判断できません。
つまり本意、不本意という
感情的判定が思考の邪魔をするのです。
要するに我欲です。
自分にとって都合の良いことか、
悪いことか、だけです。
そこには自然の理に基づいた
考察は存在しません。
下手をすれば我欲によって
本来の理をねじ曲げて解釈することだって
しかねないのが人間ですから。
「愚か者」と書くのは
人間にきまっているからなのかも?

誰だって悪いことよりも
良いことを望むにきまっています。
でも、もし悪いことがなくなってしまったら
良いこともなくなってしまいます。
変動は常のことであり
非常でも異常でもありません。
ある現象に対していたずらに踊らされ動揺する
こころの弱さの方が問題なのでは?
どうして我欲をコントロールすることは
難しいのでしょうか?

今年のテーマとして掲げた
「無理をしない」というのは我欲と向き合おう
との意味です。
現状維持できれば御の字というのも、
変動にも何とか順応できて
大きな精神的な葛藤もなく過ごせれば御の字
という意味です。

どうやら去年あたりから
変動の波が体調に出て来ているようなのです。
体調をカバーするために
何らかの影響があちこちに出てきますから、
今年あたりはそのへんをちょっと意識して
様子をみながら観察してみようと思っているわけです。

はたしてこういう試みを
応用といえるのかどうかはわかりませんが、
せっかく勉強しているのだから
実生活にもいかせたらいいなと思ったのです。

しかし、これもまた我欲になるのかも?
いやいや、コントロールを覚えるための
試行経験だと思うことにします。