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松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

オキシトシンはすごいらしい(NHK-SP「人体ミクロの大冒険」を視聴して-2-)

2014-04-27 | からだの風景-みる・さわる・かんじる-
からだ大好きな私としては
細胞のしくみとはたらきへの驚きと感動は
その後も続いています。
少し前にも“細胞って意志を持っているの!?”
という驚きをアップしたのですが、
もう少し書きたくなってきてしまいました。


細胞の使命は誕生時の未熟な体を成長させて
次代へ命をつなぐ生殖ができる
成熟した体をつくりあげることです。
そして体の成長と生殖に深くかかわっているのが
オキシトシンというホルモンです。
ちなみにホルモンは内分泌細胞でつくられたのち
血液内に放出され、全身をくまなく巡って
神経伝達物質を送り届ける
メッセンジャー役を担っています。

オキシトシンの受容体を数多く持っているのが
筋細胞と脳細胞です。
思春期を迎えるとヒトの体は大きく変わります。
その変化に貢献するのがオキシトシンです。
思春期前の筋細胞は体を大きく成長させるのですが、
体が出来上がってくると
内分泌細胞はオキシトシンをたくさん送り出し始めます。
するとオキシトシンを受容した筋細胞は
生殖を可能にする体をつくるための成長へと
スイッチを切り替え、体つきが一変するというわけです。

脳細胞のなかにもオキシトシンを受け取る部位があります。
側座核と扁桃体です。
側座核の神経細胞は快楽中枢とも呼ばれ
幸せホルモン・癒しホルモンを出すことが知られています。
オキシトシンが作用することで
それらのホルモンの産生が促されます。
扁桃体は本来、警戒・緊張をつかさどっていて
心身の危機を察知するために
つねにある程度の警戒、緊張を保っています。
何らかの要因により扁桃体が過度の緊張状態に陥り
神経伝達に支障が出たり精神の安定を保てなくなると
オキシトシンが扁桃体に取り込まれることで
過緊張が低減され、神経伝達や精神安定のバランスが
調整されるのだそうです。
ちなみに出産や育児の場面などでも貢献しているのだとか。
たとえば陣痛を起こしたり母乳を出したりするのも、
さらには授乳など赤ん坊とふれあい世話をする際にも
オキシトシンがかかわっているのだとか。


細胞が意志を持っているらしいという話のあとに
今度は幸福感や安らぎといった感情や情緒のようなものも
ホルモンを介して細胞にコントロールされているわけ?
との展開に、思わずなんだかなあと複雑な気持ちに
なってしまったりするわけですが、
でもどうやらそういうわけでもないらしいのです。
このあたりについては
老いというテーマにも関連してくるのでした。
これはまた次の機会にでも…

練習メモ(部位09)

2014-04-18 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
今月の部位からのアプローチは
意識の精度を上げるための練習かな。
中身を濃くするというのか
質の向上というのか…。
そういえば最近
意識の仕方に変化がみえてるような
感じがしている。

鬆の状態にあるときの体感に
変化を感じる。
部位と鬆とのかかわり。
鬆の状態にも段階がある。
初期段階は力みや強ばりといった
筋緊張や心理的緊張を解放する
リラックス状態。
次の段階はリラックスからうまれた
ゆとりをいかして
体内を巡っているものの流れをととのえる。
体感的には膨張するような状態。
最終段階では膨張体感が広がり続け
しだいに内外の境界が曖昧となり
やがて内外融合の状態へと進むといわれる。

自分が感じている変化は
たぶん膨張感の段階における
ひとつの現象じゃないかと思っている。
膨張という場合は
中心から外へと向かう視点での現象で
自分の感覚でも身体の内部側から外側へと
張り出すような感じがしている。
これまでも張り出す感じはしていたのだが
現段階で感じている状態を基準とすれば
いままでのそれは外側に近い層(浅い層)で
起こっていたのだとわかる。
これが何を意味するかというと
中心と外側に近い層の二層しか
(自分の内部には)なかったのかってこと。
中間層が意識できていなかったのか、
イメージとは言えないほど脆弱な想念だったのか。
いってみれば一層の塊みたいだったんだなと。

いまは中心のサイズを意識的に変えられるように
なってきつつあり(まだまだ未熟だけど)
それにつれて中間層も少しずつ明解に
イメージできるようになってきてると思うのだが
これが正しいイメージなのかどうか、
自分ではわからない。(もう少し味わってみてから
師に確認してみようと思っている)
張り出し感は主に中間層で感じているかな。
膨らもうという意識もないことはないが、
自分の場合は中心を意識することをメインに
状況に応じて中心を変動変化していれば
勝手に張りがでてるように感じている。
中間層が内外の調和をとる現場のような感じかな。
そうなると、いちばん外側の層は
まさに内外の境界だよなと思えてくる。
層から膜へ、膜から皮へ…
確かに内外を隔てる層が薄く感じられるようになれば
溶け込むイメージも描きやすくなるだろうな。

練習メモ(部位08)

2014-04-16 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
身体の動きは
全体と部分との連携によるつりあい
意識については
全体と部分の間での切り替えと
意識濃度のバランス

身体動作の動力源は重心移動。
重心が動くことで運動が生まれる。

意識は情報伝達のようなイメージと
自分では思っているので
基本的に全身を巡っている(流れている)ものと
考えている。
これもまた運動現象のひとつだから
身体の内部での運動と位置づけている。
そして外見から確認できる
身体的運動の有無にかかわりなく
つねに動いている(巡っている)と思っている。

意識については部分集中の程度によって
意識濃度の濃淡(集中度の高低)が
生まれるようなイメージかな。
意識の集中部分を移動させる場合、
身体のあちこちに飛ぶように移動してると
いいたくなるくらいに速い。
瞬時に切り替わるようなイメージ。
意識を自在に移動させたり
移動先との情報交信の感度のよさ等は
意識導引の成果だろうな。



細胞は意志を持っている!?(NHK-SP「人体ミクロの大冒険」を視聴して)

2014-04-11 | からだの風景-みる・さわる・かんじる-
プロローグ編を含めて4回シリーズで放送された
「人体ミクロの大冒険」(NHK-SP:3/29,30,4/5,6)は
ひじょうに興味深い内容でした。


シリーズを通して印象に残ったというか
いちばん驚いたことは
細胞が意志を持っているということ。
ヒトの体は60兆個ほどの細胞から
つくられているといいます。
最近の研究でわかってきたことだそうですが
その60兆もの細胞のひとつひとつが
それぞれ意志をもって活動しているらしい
というのです。

なんですと!?

ヒトの細胞は1個の受精卵から
細胞分裂を繰り返して増殖します。
ある時期までの細胞達は何ものになるのか、
まだ役割が決まっていません。
何にでもなれる(変化できる)万能細胞です。
それがある時期から
細胞達が周囲の環境を察しながら
自ら遺伝子を選択し変化していくのです。

つまり他の細胞が何ものかへと
次々と変化していく状況を察知して
自分がどの遺伝子を選べばよいのかを
自ら判断しているというのです。
いのちが生き延びるためのシステムの一環として
細胞に与えられた役割なのだそうです。

驚きです。
意志を持っているのは私だと思ってたのに。
なんと私をつくっている細胞ひとつひとつが
それぞれ意志を持っていて活動してるのだという。
そうやって私を存在させているのだと。
私の意志とは
じつは60兆個の意志の総意だっていうことなの?

生きて生かされてという考え方は
もしかしたらいのちの原理そのものなのかもと
改めて思うのでした。


練習メモ(部位07)

2014-04-08 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
☆部位(部・位)

師はいつも部位を部と位に分けて解説している。
部については部分、位は層と考える。
部は全体のなかの一部分に
スポットをあてるような感じか。
層は年輪のような
輪切りの断面層のイメージなのかな。
一般的に層となっているものには
ある程度の厚み(立体・空間)がある。
厚みには深さ、奥行きがある。
表層(浅)から中心層(深)まで
一層ごとの厚みも均等というよりも
むしろ多様であるだろうし
層の数も決まってるわけではなさそうだ。
だとすれば層にも部位があるのではないかと
思ったりもするのだが、
へたに質問すれば混乱しそうなので
流してしまった。

自分の理解を超えたと感じたら
そこには踏み込まない。
落ち着いて練習することを優先するために
そうしている。

それでも練習する段になると
これでいいのかと
イマイチ曖昧になったりする。
わかったようでわからない。
部位には特定の部分が
全体からみたらどの位置にあるのか
という情報がある。
部分と全体との位置関係。
これは当然のことながら
方向という課題にもつながっていく。

とりあえず今回の課題でいえば
自分の選んだ部の内部に
幾つかの層をイメージしてみること。
さらにそのなかから意識する層を選ぶ。
それが部位となるわけだ。
意識を集めた動きを
そこからつくりだしていく。
それを味わってみることが
この課題のテーマなのかなとも
思ったりしている。

練習メモ(重心06)

2014-04-04 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
重心を意識できるようになるにつれて
運動に対する理解も深くなってくる。
重心を動かし移動させることで
身体が動き移動する。
重心運動が身体の動きの素だということが
実感をともなって理解できている。

重心が自在に運動できる状態を実現するために
できることをやってみる。
重心を意識して動作練習をしてみると
安定感のある動きとはどういうものなのか、
どのような動き方をすればよいのか、
より具体的にわかってくる。
重心を拠り所とすれば
動き方はととのえられてくる。

時間的な変遷(加齢なども含む)によって
四肢の可動域や姿勢、体型など
外的条件はさまざまに変わってくるが、
重心で動く意識は変わらず持ち続ける。
そういうスタンスが大切なのかも。

個人的な解釈では
不動は固定(安定)であり
静は不動と動の中間にある状態と思っている。
静には微かな動きがある
もしくはその予兆が感じられる様子なのかなと。
これは安定とはいえない。
動くことには不安定要素がついて回るのだ。

その意味あいでいけば
生命活動は動から不動へと向かう一方向運動であり
その中身は静と動の双方向運動ということか。
なんだか螺旋運動みたいだ。

生命活動がそういうものだとしたら
身体には安定にも不安定にも対応できる仕組みが
ある程度備わっているのではなかろうか。
その仕組みがうまく機能できる状況に
なるべくととのえられるようになることが
より快適な生き方につながるのではないのかな。