goo blog サービス終了のお知らせ 

松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

理論講座 備忘録ー連綿不断に意識ー

2011-07-24 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
■はじめに

いよいよ今講座も2回を残すのみ。
これまでとりあげてきたものを
総合的に意識している状態が
いったいどのようなものなのか。

今回は、動作を途切れさせることなく
連続させていく状態がテーマ。

これまでの内容は
 1.鬆・静に意識する
 2.重心移動に意識する
 3.動作を行う部位に意識する
 4.動作方向に意識する
 5.動作の主従配分に意識する

1回めは、体内環境をつくる(ととのえる)こと
に意識すること
2~5回めは実際に動作を行う際に
意識する内容について
実際に練習しながら確認してきた。

そして今回は、
立体的動作を行う場である「空間」に加え
動作を連続して行う、つまり「時間」を意識する。




■連綿不断は連続(止まらない)の意味

時間が止まらないように動作も止まらない

☆重心は変動する
  →具体的には「前、後、左、右、転」


☆動作は変化する

 仮に同じ動作を繰り返す場合にも
 その都度動作への意識を変えることで
 動作も変化する
  →練習でも積極的に試してみるとよい

 
☆主従は変換する
  →意識によって主従は変わる

 同じ動作でも意識の仕方が変われば
 主従が変わり表現も変わる。




連綿不断には時間の概念は欠かせない。
連続する=時が経過するということだから。
そして止まらないことは動き続けること、
つまり「変わる」ことである。
変動、変化、変換というように
変わり続けること。

そんなことできるものなのかと
不安に思うようならば、
たとえば少なくとも身体は
生を受けてからこのかた
休みなく動き続けていることを思ってみる。

生きてる限りは連綿不断。
もともとそうなっているのだから
大丈夫なんじゃないか。
乱暴すぎるスタンスではあるかもしれないが、
そういうことなんだろうなと思う。

連続して動き続けることは
自ずと整体(全体のバランスをととのえる)となるそうだ。
変動・変化・変換することによって
全体のバランスがととのうようになっているものと
考えているらしい。
このあたりは当然のことながら
中医学の整体観念(統一性と完整性)に
通じてるような気がするなあ。

なにもこれは中医学に限ったことではなく、
実生活のなかでもよくあることかと。
たとえばちょっと調子がよくないときに
“ある程度の時間をかけて”歩いたり家事をしたりと、
何かしら身体を動かし続けているうちに
じょじょに本来の調子が戻ってきたりすることは
誰でも経験してるのではないかと思う。

日常的な生活習慣のなかにこそ
カギとなる要因がさりげなく隠れてたりするのだろう。

理論講座 備忘録ー主従に意識ー

2011-07-21 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
■はじめに

今回のテーマは主と従に意識する。
主と従とはこれまでの部位や方向と同じく
動作する際に意識すべきこと。

動作にはメインとなる動き(主)と
それを応援する動き(従)がある。
「主」の対語は「従」であるが、
ここでは「輔」や「次」との意味とのこと。
主は目指す方向の先頭にはあるけれど、
他を従えている(支配・従属)わけではない。
つねに入れ替わっている。
動作の主は一つであるのが鉄則だから
主が決まれば他は自ずと従になる。


講座の終盤ともなると
抽象的な概念そのものが
少しずつ複合的な要素を持ち始めたのかな。
導引的視点にたった意識の仕方、方向性など
先生の現在における考え方に基づいて
練習していることを改めて認識。




■主とするものはひとつしかない

☆一身之主→心(からだの主は心)

 心とは導引的には意識のこと
  →意識(心)があってこその導引

 「行屍走肉(意識がなければ走る肉)」
 ということばに象徴されるように、
 意識をなくす(失神)ことは重篤なことと
 考えられている。

☆一動之主→腰脊(動きの主は体幹)

 すべての動きは体幹の回転から
  *懐かしの冷蔵庫理論がこれに相当する。
   動きの基準でもある。

☆一勢之主→十三勢(勢の主は十三勢)

 勢は動作であり動きの表現である
  →ひとつの動きに勢はひとつ

 十三勢の「勢」は勢いであり
 勢いには方向がある
  →十三勢…勢い(方向)の13のイメージ
 
 前、後、左、右、定…向の勢
 掤、履、擠、按、採、捋、肘、靠…方の勢






■従は主たる勢を応援する

「ひとつの動きに勢はひとつ」だから
そのメイン(主)となる動きの勢いを
応援するような動きのすべてが従となる。

・同主…メイン動作と同じ動き(一緒)
・輔主…メイン動作を補う動き(補佐)
・合主…メイン動作と合わせる動き(複合)
・制主…メイン動作と正反対の意識(クルマのブレーキに似たイメージ)





十三勢はどれも主になり得るもの。
実際の動作では一つのみが勢として表現され
残り12の方向は外見上は勢いとして反映されない。
しかし動作は常に変化しているので
変化の度に勢は入れ替わっているといえるだろう。
つまり動き始めの勢と動き終わりの勢は
同じではないということ。

ということは、一連なりの動作には
最初から十三の勢が備わっていて
主の立場を交代しながら動いているということかな。
そしてその交代のタイミングや
次なる勢を決定するのが心(意識)なのだろう。

ただ主を意識するあまり
従の存在を忘れてしまうと協調性が破綻する。
従があって主もいきるということかと。
これもまたバランスか。
改めて協調の概念についても
考えずにはいられなくなりそうな予感。


今回の内容は、具体的に考えようとすると
どうも物理学の方向へ発展してしまう。
物理学が実験を重ねていくように
これは実践、練習で理解していく他にないだろう。


器械で実践練習してみたら

2011-07-15 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
このところの理論講座の内容を
久々に剣で実践練習してみたところ
まあビックリ。
これまでとは全く体感が違い
起式(起勢)から戸惑ってしまいました。

左手に剣を持っているので
右と同じように動かすことができません。
左肘関節辺りは剣身と接してますから
ゆるめるとはいいつつも
右肘とは微妙に違うのです。
というか、同じ動きにはならないわけで。

そんなこと、
今までだって了解はしていたはずなんですが
改めて意識し直してみると
あらら動けなくなっちゃった。

師匠から動きやすい方向を求めるように
アドバイスされ、
ひとりあれこれ試行してはチェック。

最終的には師匠が
参考例を示演してくださり
何とか確認はできたかなといったところ。

器械を使って確認するのも
じつにおもしろいです。
武器の特性を活かした動きでもあり
できるかぎり制約を受けない
自然な動きになるような身体運用を
身につける。

今後も機会をみつけては
少しずつ練習していきたいなあ。



理論講座 備忘録ー方向に意識ー

2011-07-10 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
■はじめに

前回、部位についての確認をする際
「部」と「位」に分けて考えたが
今回の方向についても
同じく「方」と「向」とに分けていった。

こうして漢字の成り立ちにまで遡って
意味を確認したりするのは
古代中国の人々の考え方などが
想像できておもしろい。
私個人にとって
太極拳は興味深い学びの宝庫。
出会えてよかったなと改めて思う。



■方向の「方」は八方

太極拳では八方のことを「四正四隅」という

方は空間内の固定した静止状態における中心(「中」)を
意識することで認識される。
すなわち
  前方=中の前(に位置する)
  後方=中の後(  〃  )
  右方=中の右(  〃  )
  左方=中の左(  〃  )
  上方=中の上(  〃  )
  下方=中の下(  〃  )
というように、
中心(中)が定まっていないと
方も定まらない。
だからこそ、つねに中心(中)を意識することが重要。
なぜなら「方」が定まらねば
そこに向かうことはできないから。


■方向の「向」は
 「方」に向かって動く状態にあること

向は動きのある状態であり
つねに中心(中)とともにある
 →方に向かって中心(中)が移動する

中心(中)がある限り、
方はあり続け、どこまでも動き続けることができる。
 →始まりがあって終わりのない状態

中心(中)を意識できる状態にあれば
あらゆる方(球面八方)に向かって
動ける体勢がととのったといえるのかも。
そして中心(中)を意識できる状態といえば
やはり鬆(松)・静が大前提だろう。


*動きのなかで違和感を生じるときがある。
 そんなときは動きの方向を再確認してみる。
 通常と異なる場合があるそうだ。
 不自然な無理のある方向を意識しているようなら
 中心(中)のありかも要確認か。

理論講座 備忘録ー部位に意識ー

2011-07-07 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
■はじめに

今回は動作を行う部位に意識してみよう
というのがテーマ。

部位といえば、頭、首、腕、肘…などというように
ひとつの体をポジションごとに
複数のパーツに分けたものといったイメージを
もっている。
でも今回は、それとはまた少し違った捉え方を
していたようだ。
部位を「部」と「位」とわけて
それぞれの意味することを確認することから
はじまった。



■「部」は体を構成している部分・パーツ
「位」は段階・レベル・ポジション

体には
頭、首、肩、上腕、前腕、手
胸、腹、背、大腿、下腿、足など
いわば単品としての部分の他に
パーツどうしを繋ぎ合わせている関節がある

基本科(初級)には動きを伴わない
意識導引という静功があり、
導引の目的や要求を比較的わかりやすく体験できる。
ここでの「部」の要求は
関節を除外した各部分に意識すること

そして専科(中級)では当然のことながら
要求の「位」も上がり、
「部」の要求は関節に意識するとなる。

だから専科での練習では
関節以外の「部」を意識することはしない。
基本科内容の部位は捨てるということ。
先生はそのように明言された。
いつまでも意識導引で
留まっているのではなく
次の段階を目指せよとの教示に
他ならないのではなかろうか。


■関節について

関節はその仕組みゆえに
動きの中でしかその状態をチェックできない。
言い換えれば関節のある部位の動きは
関節の動き方しだいともいえる。

主要関節の動きを確認してみると
伸、曲がほとんどで他には転くらい。
肩関節と股関節は
ほぼ同じような動きをする。
いわば五体の要所(関所)のようなもの。



■要求されている「位」とは
体の深部(奥)に達していく段階のこと

表層(皮)
  ↓
中層(筋・肉)
  ↓
深層(骨・関節)


中医学でいうところの経絡が
各層間をくまなく行き来している。
鬆(松)の状態にあれば
経絡を通じ全身を巡っている
気血水(津)の状態も良好となると考えられる。
 (この辺りは中医学的概念によるところが多い)


鬆(松)の要求には三段階(緩→膨→溶)あり
基本科、専科を問わず一貫して要求される。

専科では、関節が鬆(松)の状態になること
関節に意識して動くということは
関節の状態を確認しながら動くことに他ならず、
動作はゆっくりとなるだろうし
時間もそれなりにかけることになるだろう。
だからこそ、ある一定の時間連続して動き続けるようにと
指導され続けてきたわけだ。

また、鬆(松)の最終段階である「溶」のレベルでは
体の内外の境界となる皮が最後まで残るが
最終的には内外の境界が消滅するようになるそうだ。


『外反母趾のケアと靴選びのポイント』セミナーはお勧め! -からだの風景番外編-

2011-07-05 | からだの風景-みる・さわる・かんじる-
導引仲間であり指鍼整体師仲間でもあり
この拙いブログの常連さんでもある
pantayaさん。
彼女がこの度、整体スクールが開催している
東日本大震災チャリティー・セミナーの
講師をつとめることになりました。

内容はもちろん、彼女自身のライフワークでもある
外反母趾のケアと靴選びのポイントに的を絞ったものです。
開催日時は7月30日(土)14:30から2時間ほど。
定員があるので、お早めにお申し込みくださいね。

セミナーの詳細はこちらから…
  ☆てあて整体スクール 東日本大震災チャリティー・セミナー

こちらには彼女自身のことばでセミナーの告知がアップされてます
  ☆pantaya2_カエルの体操





☆ここからは彼女自身が自らの外反母趾と向き合い
自分の足の改善をめざしてこつこつと積み重ねてきた取り組みを
ほんの少し見知っている者からの個人的広報です。


彼女はリフレクソロジスト・健康靴店販売員・指鍼整体師という
いわば足、靴、全身のバランス調整に関する専門家です。
参加者お一人お一人の足の状態を実際に拝見しながら
ご本人に適したケアの仕方から靴の選び方、履き方まで
さまざまなアドバイスを受けられるチャンスです。

いままでありそうでなかった足のことなら何でもという
“トータル・フットフィット・セミナー”。
同じように足のことで悩んでいらっしゃる皆さんと一緒に
考えてみたり動いてみたりしてみませんか?
意外と楽しいかもしれませんよ。
ご自分の足に悩みや不安のある方はぜひ!


じつは彼女は既に「スタジオかえる」という場を用意してます。
そして足に悩みを抱える方々とともに
自らも歩んで行くそうです。
今回の出会いが皆様の明日につながりますように


推手練習にて

2011-07-03 | からだの風景-みる・さわる・かんじる-
6月最終週は推手練習でした。

対人練習では相手のあることなので
自分の意のままにとはいきません。
ところが、お互いの動きを
いい感じに引き出せるような状況にあると
流れるような動きとなります。
対抗とはならない程度で
相手のことは意識されている状態。
集中のバランスもよいかげんなのでしょうね。

でもこういう調子が
いつまでも続くかといえば、そうともいえず…。

というか、状況は常に変化してるものです。
それが一定してるようにみえるのは
変化に合わせて体勢も変わっているからです。
動く相手と同じように動けば
動いてないような感覚になるのと似ていますね。

では、変化に順応できないでいるときは
どんな感じかといえば、
たいていの場合、硬直した動きになりますかね。
滑らかで柔らかな動きからは遠く、
ギクシャクした感じに見えるし、体感も同様。

さあ、どうしましょ?
まずは動き続けることが大前提。
動きを止めないようにします。
へろへろになりながらも動き続けていく中で
好転のきっかけを互いに探り合います。

でも、そうはいっても心理的には
なかなか…。
なぜならば自分の状態よりも
相手の状態の方が目に見えてわかりやすい。
硬くなってるのもバランスの崩れも。
見える(視認できる)からこそ
つい自分が手を貸せそうな(協力できそうな)
気持ちになってしまう。
でも、冷静かつ客観的にみれば
相手が不安定になっていれば
自分だってその影響を受けているんです。
そこの意識が薄いがために
自分の体勢が整っていないのに
動き続けて総崩れになってしまうこと、
私はよくあります。


頭で五体をコントロールしようと
するからなのでしょうか。
頭は身体の状態を
チェックするのが仕事。
それに相手の立場からみれば
体勢の整っていない相手と対するなんて
いい迷惑かもしれないですよね。

対人練習で動きが流れていないときは
お互いに自分自身の状態に集中することが
いちばんということなのかな。
自身の内なる動きが好転すれば
相手との協調も回復することになるのかな。

どんなときでも主体的であれというのは
そういうことなんでしょうね。



ということは…
たとえば体調が崩れてしまったとき、
もしかしたら身体の内部では
推手と同じようなことが行われているのかも。
状態は状態として
ひとまず受け入れた上で
からだはそれぞれの役割を粛々と
果たしているのかも。
そうそう、睡眠中でも
からだの内部では休み無しに働き続けてますもんね。

いきものは常に活動し続ける中で
活路を見出すようにできているってことですね。
それが自然の理なんですね。