松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

練習メモ_導引三調08

2015-08-28 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
太極拳導引の鍛錬内容は
調身・調心・調息の3つを称して導引三調と
呼んでいます。


「やわらかさ」と「かたさ」について

調身で求める動きのやわらかさが
「柔」であることはわかった。
ついでといってはなんだけど、
やわらかさの対語でもある「かたさ」についても
ちょっと調べてみた。(新選漢和辞典・第5版・小学館より)


柔の対語となるかたさは「剛」。
軟の対語は「硬」。

剛…かたい・こわい、くじけない
【解字】リットウは形、岡が音をあらわす形声文字で
リットウは刀であり、岡には堅いの意味がある。
剛は刀の刃がかたいことを表わし「かたい」「つよい」の意味となった。


硬…かたい・つよい
【解字】石が形と音をあらわし(形声文字)、
更には固くてつかえるとの意味がある。
硬はかたい石をいう。

両者ともにかたいのだが、
形声文字としての成り立ちの形の部分が
はっきりと違うことがわかる。

剛は「刀のようなかたさ」
硬は「石のようなかたさ」のイメージか。


そして刀にもしなりと呼ばれるような弾性がある。
ということは調身が求めるやわらかさ(柔)とも
関係性がありそうだ。

用意不用力を理解するためのヒントがここにもありそう。
柔らかな動きにはいくつものレベルがある。
そしてより柔らかな動きを求めていくことは
かたさからはどんどん遠のいていくようにみえるが、
柔らかさへの理解が深まることで
かたさの種類やレベルなどがわかってきたりする。
そうやって練習を続けて行けば、
あるときふっと剛なるものを体感したりするのだろう。



「天下水より柔弱なるはなし」
道徳経・老子のなかの一節にもあるように
柔弱なることからのアプローチは
まさに導引的だなと思う。


練習メモ_導引三調07

2015-08-17 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
太極拳導引の鍛錬内容は
調身・調心・調息の3つを称して導引三調と
呼んでいます。


調身が目指す「やわらかさ」

導引は全身をまんべんなく動かす体操に近いのかもしれない。
つまり動くようにできているところは
くまなく動かすように意識して行う。
ふだん動かしていない、動きの少ない部位に気づいたら
意識しながら動かしてみようというもの。

太極拳導引は、ゆっくりと動くことで
全身の動きの状態を自らの意識を用いて確認する。
具体的には関節と筋肉を意識的に導いて動かして行く。

導引が目指す動きの様態は「やわらかさ」といわれる。
それは「柔らかさ」であって「軟らかさ」ではない。
「柔」と「軟」とでは、やわかさの意味あい(質)が違うのだ。

ということで、久々に新選漢和辞典(第5版・小学館)で調べてみた。


柔…やわらかい・安らかにする・やわらげる・弱い・もろい

【解字】木が形を表わし矛が音を示す(形声文字)
(矛は音に関係はなく)柔を会意文字とする考え方もある

矛とはいわゆる「ほこ」(武器)のことで、
ほこには弾力のあることが求められる。
また、矛は新しく芽の出る意味ともいわれ
木の芽が初めて出てやわらかく弱々しい様をいうことも。


軟…やわらかい・ぐにゃぐにゃなこと・かたくるしくない・かよわい

【解字】クルマへんが形を表わす。車の振動をやわかくするために
車輪に蒲(ガマ)を巻き付けた(タイヤの起源か)ことによる


どうやら両者の特徴と思しきポイントは
柔=弾力のあるやわらかさ
軟=ぐにゃぐにゃしたやわらかさ となるようだ。

弾力を感じさせるやわらかなイメージは
風船やボールのようなやわらかさ。

一方のぐにゃぐにゃしたやわらかさのイメージには
一度へこんだらへこんだままになる
たとえば粘土のようなやわらかさなのかなと。



太極拳導引に求められる
動きの柔らかさ(調身の目標)とは
どういうものなのか。

師にいわせれば円であると。
円をイメージさせるような動きだと。
曲線であったり螺旋であったり。
たとえば書家の筆使いのようなものかなと
個人的には思ったりしている。

弾力…弾むような力とは何か。
単にやわらかいのではなく力強さがある。
武器の「ほこ」とはまさに矛先と言われるように
最先端にあって相手と直に交わる。
矛の性質をフルにいかすための身体操作を練り上げる。
筆先も同様の柔らかさ・しなり・張り感があり
それを自在に操っているのも書家の身体操作かと。

けっして手先の動きだけではないはず。
身体操作の巧拙が矛や筆の動きとなって現れる。
そして身体操作には意が反映されている。
表現を通して伝わっているものは
各人の意ということになるのかもしれない。

柔らかさは意の柔らかさでもあるのか。
円は意のイメージでもあるのか。
円心とはそういうことでもあるのかもしれない。
ならば円心力とは? 円心力で動くとは?




久々の更新となってしまいました。
書き留めたいことはいくらでもあるのに
なかなか向き合うことができませんでした。
心理的にも時間的にも落ち着いていられなかった。
すべて余裕がなかったんですね。
こういうときこそ導引三調が肝要なのですが…
まだまだです。