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松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

養生の究極目的は「益寿延年不老春」

2009-11-27 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
先日、教室で話題になったのが
王宗岳の『十三勢歌』の一節である「益寿延年不老春」です。

太極拳を長く続けていらっしゃる方には
おなじみの経典です。
しかし私達の教室の現状では
先生の理論解説を座学形式のように
集中して聴ける機会はほとんどありません。

したがって太極拳套路を練習する際に
これだけは(理解しているのが望ましい)と思われる
原理原則(基本となる概念や考え方)を、
個々の練習段階を超えた共通認識として
皆に持ち合わせてほしいとの考えから
先生はくり返し解説されているように思われます。

今回の「益寿延年不老春」についても、
この一節を先生はいま、どのように解釈し
理解されているのかを話してくださいました。
その内容を少し紹介してみようと思います。



益寿延年とは「本来の寿命を全うする、
天年(日本の“天寿”に相当するのかも)に到る」こと。
不老の老とは「衰える、衰弱する」ことですが、
それを否定しているので「衰えない、弱くならない」ことに。
春はあらゆるものの生命力が旺盛となる時期なので、
ここでは「気力が盛んである」ことの象徴として
とらえることができます。

したがって益寿延年不老春とは
「時々刻々と変化する体と心(精神)状態なりの
気力を充たし活き活きと過ごしてゆけば本来の寿命に到る」と
読み解くことができます。


さらに益寿延年不老春を「益寿延年」と「不老春」とに分け、
「益寿延年」を終極の目標とすれば
「不老春」は益寿延年を目指すための日々の目標と
考えることもできます。
長期的な壮大な目標に到達するためには
間断なく継続していくべきことがあることを
示しているとの解釈です。

そしてこの「不老春」の部分を
さらに理解しやすく、より具体的に言い換えたものが
「導引養生」なのではないかとも思います。


寒い、寒い

2009-11-03 | 養生の栞-食・眠・動-
山が近くにあるような所に
住んでいるわけではないのですが、
木枯らしとともに
冬が山から転がり落ちるようにして
やって来たみたいで、
今朝の冷え込みも厳しかったです。

体のあちこちが固まって
緊張しているのがわかります。
とくに右顎から首筋にかけては
例の噛み合わせ異変以来
どうも敏感になっているらしく
気温や気圧の変化などは
たちどころに反応してしまいます。

それにしても、です。
夏日を記録した直後にこの寒さというのは
どうなんでしょうねぇ。
これが株価だったりしたら
乱高下に大騒ぎとなっているのかも。

季節の巡り方としては
たしかに秋から冬へと移っていることには
変わりはないのですが、
その変化の仕方が
少しばかり揺れ過ぎではないかと。
この時期に小春日和はあっても
夏日っていうのは…


晩秋となる秋の土用も終盤、
草木が葉を枯らして
外気との接触を閉ざし始めるように、
人の体もまた皮膚や粘膜が
乾燥しはじめる時期です。
外界に対しては心身を閉ざし
ひっそりと内にこもるための準備が
はじまったということですね。

冷えやすい傾向にある人は
首のつく部位(首、手首、足首)を
外気にさらすことを控えるようにするのも
おすすめです。
表皮の近くを血管が通っているので
それだけ外気の影響を受けやすいといえます。
一度冷やされた血液を再び温めるために
肉体は余計に熱をつくります。
冷えやすい人は、ある意味、
熱をつくりにくい人でもあるわけですから
けっこうな肉体労働になりそう。
それなりに余裕があればよいのですが、
疲れていたり空腹だったりと
いわゆる心身が消耗状態にあると
過重労働というか負担になってしまうと
考えられます。

でも、だからといって最初から
ヌクヌクと保温につとめ過ぎれば
汗をかくなどして、
かえって寒気を体内に呼び込むことに
なってしまいかねません。
いたわるとか大事にすることと
過保護とは違いますよね。


手洗い、うがい、できれば洗顔も

2009-11-01 | 養生の栞-食・眠・動-
新型インフルエンザワクチンの一般接種が
始まったそうですね。

以前にも書きましたけど自分でできる予防策
外から戻ったら、手洗い、うがい、できれば洗顔も。
この3ステップを励行するだけでも
随分と違ってくるそうです。

そこで今回はお医者さんが指導した
「正しい手洗いとうがいのしかた」を紹介します。
(動画の提供元はおなじみの『ほぼ日刊イトイ新聞』です)


 『お医者さんから教わった正しい手洗いとうがいのしかた』
  http://www.youtube.com/watch?v=N_kY0r--O-k


やってみれば即実感。
ほんとにスッキリと洗い上がります。気持ちいい。

うがいをするときは、なるべく首の力を抜いて
後頭部が自らの重さで自然に落ちてくようなイメージに。
すると顔側が鼻から自然に上を向いていくような…
そして両肩を落とすようにできると
さらによいかもしれませんね。
というのも、背骨を後方に反らせるようにして
上を向いてしまうと喉が詰まって苦しくなりますし、
うがいもうまくできなくなってしまうような
気がするんですよね。



それと……これって個人的見解なんですが、
予防と養生って、ちょっと観点が違うようなんですね。
予防とは「あらかじめ(予)め防ぐ」という意味で
たとえば病気やケガなどのように
何か特定の対抗すべき対象が想定されているような印象。
で、対する養生はといえば
そういうことではないような気がするんですね。
長生きする、年齢なりの瑞々しさを保ち活き活きと過ごすとか、
そのようにありたいとするのが養生なのかなって。

つまり予防は、より具体的な対象に絞った対処法で
その意味では養生の一部ともいえるのかもしれませんが、
だからといって養生=予防としてとらえること
つまり予防さえしていれば養生なんだと考えるのは
どうなのかなと。

養生はもっと根源的なところから
行うもののように思うんです。
だから仮に養生的予防策を考えるとすれば
手洗い、うがい、洗顔にとどまらず
たとえば人の集まる所にはなるべく行かない
心身を疲労させない、疲労を残さないとか、
あえて自らリスクに近寄らない
(リスクから遠ざかる)といった
積極的な回避行為も含まれると思います。
と同時に常日頃から十分な栄養と休養を重んじて
心身の内側から保護し英気を養うように
心がけることのような気がします。
そうした恒常的なはたらきかけが
養生なのではないのかなと。

ちなみに人が適正範囲内と感じている
ほとんどのケースが養生的視点からみれば
“やり過ぎ”の状態となるらしく…
うむむ~ やっぱり意識変革かなぁ