孫式2期めが始まって1ヵ月。
今期のポイントが徐々に浸透してきた感じがする。
毎回意識しているのは松(ソン)の状態に近づくこと。
どうして「維持」ではなくて
「近づく」と表現しているかというと、
ソンの状態を守ろうとする(受け身になる)あまり、
どうも緊張してくることが多いから。
どうせ力んでしまうのならば、
逆に能動的なポジションで行く方が
自分のなかでは自然に思えたこともある。
やってみてダメだな、無理だなとわかれば、
また次の手を考えることにも少し慣れてきたような。
今期の練習でひじょうに参考になっているのは、
ついこないだまで練習してきた陳式。
体の使い方が変わってきているなあと感じることが多い。
もうちょっと(陳式を)やりたかったなぁ(笑
発力動作や纒絲について練習したことで、
例えば地面からの圧みたいなもの(反発?反作用の力?)を
感じるようになった。
これが管のイメージを、より強くしてくれている気がする。
孫式のコンパクトな動きの中で
体重移動を明確にする時には
この管のイメージが役立っているように感じる。
そのために姿勢の状態を意識しやすくなってきている
と感じている
(これは孫式に限らず楊式でも同じことがいえる)。
体重を移動させる、体重をかけるという動作は
今まで以上に微妙な感覚で調節していることにも
気づいてきた。
単純な移動はしてないぞという気づき。
動き方のヒントらしきものが少しずつわかってきたかも。
はたしてそれが正しいのかどうかも含めて、
これからの練習が楽しみになってきた。
体重移動に限らず、例えば「開合手」の動きにみる
手首と前腕部を意識することを覚えたことで、
さらに円の感覚に目覚めたような気がしている。
これも陳式の纒絲の仕組みで教わったことに
照らし合わせてみると
理にかなっているように思うのだが。
はたしてそれで正しいのかどうか、
こちらもこれからの練習でわかってくると思う。
とにもかくにも不要な力はどんどん捨てること。
そうしないとゆっくり動けないし、
ゆっくり動くことで学べることがあるのに、
そこへなかなか入っていけない。
これはたぶん目の前に宝ものがあるのに
気づけないでいるのと同じことなのだろう。
たとえ薄皮でもいいから
力みを少しずつ脱ぎ捨てていけたらと思う。
今期のポイントが徐々に浸透してきた感じがする。
毎回意識しているのは松(ソン)の状態に近づくこと。
どうして「維持」ではなくて
「近づく」と表現しているかというと、
ソンの状態を守ろうとする(受け身になる)あまり、
どうも緊張してくることが多いから。
どうせ力んでしまうのならば、
逆に能動的なポジションで行く方が
自分のなかでは自然に思えたこともある。
やってみてダメだな、無理だなとわかれば、
また次の手を考えることにも少し慣れてきたような。
今期の練習でひじょうに参考になっているのは、
ついこないだまで練習してきた陳式。
体の使い方が変わってきているなあと感じることが多い。
もうちょっと(陳式を)やりたかったなぁ(笑
発力動作や纒絲について練習したことで、
例えば地面からの圧みたいなもの(反発?反作用の力?)を
感じるようになった。
これが管のイメージを、より強くしてくれている気がする。
孫式のコンパクトな動きの中で
体重移動を明確にする時には
この管のイメージが役立っているように感じる。
そのために姿勢の状態を意識しやすくなってきている
と感じている
(これは孫式に限らず楊式でも同じことがいえる)。
体重を移動させる、体重をかけるという動作は
今まで以上に微妙な感覚で調節していることにも
気づいてきた。
単純な移動はしてないぞという気づき。
動き方のヒントらしきものが少しずつわかってきたかも。
はたしてそれが正しいのかどうかも含めて、
これからの練習が楽しみになってきた。
体重移動に限らず、例えば「開合手」の動きにみる
手首と前腕部を意識することを覚えたことで、
さらに円の感覚に目覚めたような気がしている。
これも陳式の纒絲の仕組みで教わったことに
照らし合わせてみると
理にかなっているように思うのだが。
はたしてそれで正しいのかどうか、
こちらもこれからの練習でわかってくると思う。
とにもかくにも不要な力はどんどん捨てること。
そうしないとゆっくり動けないし、
ゆっくり動くことで学べることがあるのに、
そこへなかなか入っていけない。
これはたぶん目の前に宝ものがあるのに
気づけないでいるのと同じことなのだろう。
たとえ薄皮でもいいから
力みを少しずつ脱ぎ捨てていけたらと思う。
最近になってふと
「意は動き、動作は動く」なのかなあと思ったりしています。
動かそうと思うと動けない。
意識することが即コントロールと直結してしまうと、
力による制御になってしまいやすいのでは?
意識すること=感じることに置き換えてみています。
たとえば「開合手」だったら
意識することを覚えた手首と前腕部から
実際に動いているときに伝わってくる感じをまず受け取ります。
それから動きたいイメージを頭に入れてもう一度動いてみます。
素の動きとイメージした時の動きの感触ってちょっと違うんですよ。
これを“力み”といっていいのか、よくわからないけれども、
ちょっとした硬さ、不自由さみたいなものを感じる箇所と
割とスムースに流れる箇所があったりするんです。
左右での感覚の違いもありますね。
どうも初めからイメージ通りに動こうとすると
自分が本来持っている動き方も含めて
まるごと意識で制御しようとしちゃうらしいです。
実はちょっとした部分の修正だけでも良かったりすることも
あったりするのに、大仕事にしてしまっている?
「意のままに」が意味しているものを
ちょっと誤解していたのかなあという気がしてきているこの頃です。