ゆーぼん街道歩きブログ(欧州カミーノ、東海道他(五街道)、熊野古道、北国街道他)

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空海巡礼 四国お遍路 下見旅

2019-05-31 | 街道歩き

 そろそろ四国お遍路かと思い、老老介護の間隙を縫って一番札所「霊山寺」
を訪れました。羽田から徳島阿波おどり空港へ、空港にはお遍路より阿波踊り
を薦めているのか、阿波踊りの像がありました。早速インフォーメーションへ。
霊山寺へはどう行くの?と問いかけましたが、お嬢さん曰く、徳島駅までリム
ジンバスで行き、徳島駅からは汽車かバスでというお言葉・・・。空港から
霊山寺へ行く直通バスはないんだと、意外にお遍路が徳島経済に貢献していな
いのかと思った次第です。スタートで少しがっかりです。歩く人は飛行機で来ず
、淡路島から鳴門の方へ上陸してから歩くのかな・・・?




 仕方なくリムジンバスで徳島駅へ、ちょうどお昼なんで早速徳島ラーメンを
視察しました。写真ではわかりませんが、とんこつで、生卵が上に乗って
います。チャーシューでなく豚肉炒めが存在しました。あまり好きではないラ
ーメンでしたが、空腹であり、完食しました。



 では徳島駅より霊山寺のある板東駅へ。高徳線・単線・ディーゼルでした。
ああ懐かしき汽車。板東駅前です。なんかさびれた感じの駅です。人も少なく
少し寂しき・・。さあ、お遍路行くぞぉーと言う気持ちがそがれる感じです。



 標識がありました。確かに一番札所です。


 お遍路おもてなしステーションとありますが、なんか入りづらい。玄関先が
ごちゃごちゃしてますね。入りませんでした。



 今回は霊山寺のみ、ただ大麻比古神社、ドイツ橋とか気になります。行って
みましょう。
霊山寺の近くに二番札所、三番札所とありますが、今回はやめて
おきます。いつかまた来るでしょう。



 まもなく、苦もなく到着しました。これが一番札所です。山門にはお遍路の
マネキンが迎えてくれます。写真には写りませんが雨がパラパラ降ってきまし
た。仕方ありません。雨を味わいましょう。



 三鈷の松、空海ゆかりのお寺には多く見られます。


 これは太子堂。前の池にたっている小さな小僧さん、何でしょうか?よくわか
りませんでしたが可愛いです。



 こちらは本堂、設えは高野山に似ています。


 こんな感じで納札箱、写経奉納箱が置いてあります。


 不動明王です。大日如来のまたの姿、この世の悪を懲らしめるべく最大の恐い
お顔です。



 私が子年なんで写真に収めました。観世音菩薩です。


 五智如来とありますが・・よくわかりません。
五仏ともいい,その構成にはおよそ2種ある。金剛界五仏は大日,阿 閦,宝生
阿弥陀,不空成就の五如来,胎蔵界五仏は,大日,宝幢,開敷華王,無量寿
天鼓雷音の五如来である。五智如来5体のそろった古い遺品は少いが,
京都安祥寺には9世紀のものが伝わる。五智如来像は塔内に安置される場合も
多く,高野山金剛三昧院の像は鎌倉時代作例
である。
 だそうですが、勉強しないとね・・。



 ここは、お遍路用具の販売所です。お遍路は道具をそろえないといけないよ
うです。高くつきますね。カミーノ巡礼ではせいぜいホタテ貝を購入するくらい。
あとはトレッキングの道具あれば事足ります。どうなんでしょうね。
お金をかける必要があるのでしょうか?
白装束とか杖とか袈裟とか菅笠がないと、お接待を受けられないんですが
(お遍路とわからないから)、お接待を受けるためにお遍路するわけではない
のにねぇ。ここいらはよくわかりません。
空海はこんなこと求めているのかなと素朴な疑問に突き当たりました。
 尚、この霊山寺はこの用具販売所でご朱印をいただきます。お坊さんか、
お店の人かよくわからない人?に御朱印をいただきます。



 用具販売所の店先です。


 裏庭の駐車場の奥にありました。天国への橋でしょうか、意味がわかりませ
んでした。



 太子堂正面です。これで霊山寺、一番札所の雰囲気を味わって、次は古事記
巡礼、大麻比古神社へ向かいます。






 なかなか立派な鳥居と長く続く参道です。














 面白い狛犬、涎掛けしてます。顔はなんでしょう?犬ではないような・・。
阿吽にはなっています。






 日本の神社・仏閣には立派な樹があります。いつまでも残してほしいですね。





 本殿です。少し引用させていただきます。
大昔阿波国を開拓した阿波の忌部氏(いんべし)の大祖先の神様です。

神武天皇の御代に忌部氏の子孫が阿波国に入り国土を開拓して麻とか楮(かじ)の種を
播いて麻布とか木綿をつくり郷土の産業の基を開いて人々の福利を進められました。

その氏族は今の吉野川市 元の麻植郡を拠点として開拓をされましたが国土開発の事業
が漸く成った後に御先祖の神様 天日鷲命(あめのひわしのみこと)をおまつりしました。
この神社が今徳島市に忌部神社としてまつられており、この神様の御神徳をたたえて麻植
の神と申して敬ってきました。

忌部神社の御祭神天日鷲命様の大先祖の神様が天太玉命(あめのふとたまのみこと)
で此の神様を大麻比古神社と申し上げ郷土の守り神としてこの地におまつりしたのが
大麻比古神社と伝えられています。



 本殿の前に一匹というか一対でない狛犬的な物がありました。
説明がありません。何でしょう?



 この神社の奥にめがね橋、ドイツ橋と称する建造物があります。
第一次世界大戦時のドイツ兵捕虜の人たちが建造されました。後の第二次世界
大戦では同盟国なのに、当時の日本は連合国側、中国で捕虜となったドイツ兵が
日本へ連れてこられ収容されたようです。お互い個人はみんな良い人なのに、
国対国となると殺し合いろする、そして現在も続いている哀れな人類です。
 当時の四国の方々はドイツ兵にやさしくしてあげたようです。おもてなしは
日本の文化ですね。









 綺麗な水の色でした。カミーノでよく見た造りの石橋です。
































 大麻比古神社の近くにありました。鳴門市ドイツ館です。日本で初めて
ベートーベン第九が演奏された場所だそうです。息子が住んでいるのが
ドイツのボン、そこはベートーベンの生家があります。この四国でベートーベン
にお会いできるのは、やはりお遍路のご縁でしょうか?












 ベートーベン像がありました。


 以下博物館の中、ドイツ兵収容施設、環境が模型で造られていました。
なかなか素敵です。

































 ドイツ兵の慰霊碑です。














 久しぶりの自撮りです。ミラーの右隅にちらっと・・。











 最後に阿波踊会館を訪れました。



 こうして徳島のお遍路の雰囲気を味わいました。感想としては一番札所に
次から次と巡礼者が訪れる感じではありませんでした。カミーノなら毎日
サンジャンピエドポーの街に観光客含め多くの巡礼者が集まっていますが、
ここ一番札所はさびれた感じを受けました。たまたまかもしれませんが・・。
やはり空港名にもあるように、ここは阿波踊りのようです。
街中にもほとんど巡礼者には会えませんでした。少しお遍路への意欲をそが
れたような気がします。


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