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ゆーぼん街道歩きブログ(欧州カミーノ、東海道他(五街道)、熊野古道、西国街道他)

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まほろば・・大和路彷徨 2015.01.24

2015-01-26 | 街道歩き

 さあ、戻ってまいりました。箸墓古墳です。昨年末に訪れた時には、すでに夕闇濃く
どこが正面かもわからなかったが、今回は朝、はっきりと確認できました。
この古墳は卑弥呼の墓伝説があり、非常に興味深い。

ここいらは向遺跡(まきむく)と言い、箸墓は古墳群の盟主的古墳であり、出現期古墳の中でも最古級
と考えられている3世紀半ばすぎの大型の前方後円墳
この古墳を、『魏志』倭人伝が伝える国の女王、「卑弥呼」の墓とする(一部の邪馬台国畿内説)説もある。

現在は宮内庁により陵墓として管理されており、研究者や国民の墳丘への自由な立ち入りが禁止されている。
何故もっと発掘調査しないのか疑問が残る。
一応、
宮内庁によって第7代孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓、
崇神天皇の女官として管理されているが、この古墳を卑弥呼の墓とする研究者もいる。
その根拠としては、
  ・
この古墳の後円部の直径が『魏志倭人伝』にある卑弥呼の円墳の直径「百余歩」にほぼ一致すること
  ・
後円部にある段構造が前方部で消失することから、前方部が後世に付け加えられた可能性があること
  ・
大規模な古墳の中では、全国でももっとも早い時期に築造されたものであること
       
現時点では正確なことは分からない。

写真は観光案内にあった上空からの写真をお借りしました。
確かに前方後円墳だ。
 


  箸墓の横にある池・・お堀にあたるのかな?箸墓の向こうに見える山、大神神社の
ご神体、三輪山です。



 これが正面。古墳・陵墓の正面は同じ形です。それに何の説明もありません。
これは宮内庁で決めた形なのか、大昔よりの形か?



 この辺りは古墳も多く纏向遺跡だそうです。
卑弥呼の里・・・早く解明してほしい。



 畝傍方面に移動します。
少し歩くと発見しました。新しく整備された古い街並みです。
鳥川の流れにかかった蘇武橋を渡ると、現在も江戸時代そのままのたたずまいと情緒を
残す町・今井町です。

江戸時代のまま残され、時代劇の撮影などにも使われる町並みは、平成5年には「重要伝統的建造物群保存地区」
と指定されたようです。大きな榎木がありました。










  が、江戸時代の雰囲気ではないな・・。中山道、馬籠・妻籠・奈良井の方が
味があると思う。



 今井町を過ぎ、広々とした整備された公園のような場所にさしかかりました。
そう、畝傍山の麓に広がる陵墓と神社エリアに入りました。
その中でも、日本創始者「神武天皇陵」とその神武天皇がご祭神の「橿原神宮」
は大きい。
 早速神武天皇にお参りです。



 これが正面。広々とはしていますが、鳥居があって、垣根があるパターンは
陵墓・古墳みな同じです。







 しかし広い!!この道は参道です。遠くに鳥居が見えます。


 ここが入口に当たります。


 神武天皇で気になること。今は神様かもしれないが、当時は人間だったらしい。
もとは神話時代、伊弉諾から神武天皇に至るは神、神武天皇からは人間、なんでそうなった
のか??まあ、現在の明治神宮のご祭神は明治天皇だし・・・。



 そして隣にあるのが橿原神宮。ここも広い。








 本殿です。


 深田池・・土曜日なのにこの人出、冬だからかな?


 これが橿原神宮正面の鳥居です。


 さあ、次は当麻寺を訪問。ここは最古がいっぱい。
當麻寺は、古代大和の“西方”に位置し、白鳳・天平様式の大伽藍を有する古刹。
いわゆる奈良時代になるのかな。
金堂の弥勒仏や四天王、梵鐘などの白鳳美術を今に伝えるほか、古代の三重塔が東西一対で
残る全国唯一の寺としても知られています。

本尊として祀られる「當麻曼荼羅(たいま・まんだら)」は、奈良時代、藤原家の郎女・中将姫さまが
写経の功徳によって目の当たりにした極楽浄土の光景を壮大な規模で表したもの。
残念ながら写真は撮れません。HPをご覧ください。
http://www.taimadera.org/cultural/index.html





 最古の梵鐘





 最古の燈籠


 西塔


 東塔


 この当麻寺の近くから大阪は堺に伸びる古道があります。
山の辺の道が南北にある最古の官道、この道「竹内街道」は堺から大和への最古の
官道となります。まあ、この辺りは最古のオンパレードです。
どうやらこの長尾神社が東の起点らしい。一度堺まで歩いて見たいものだ。



 長尾神社です。やはりご祭神は天照大神、豊受大神・・伊勢神宮・内宮、外宮の
神様です。










 さて、折角奈良まで来たのだから、古事記を編纂した、語り部 稗田阿礼がご祭神
ときく売太神社があると聞き訪れました。
だいぶ夕闇が迫ってきて、前回の箸墓古墳到達時のように真っ暗になるかと思いつつ
何とか日没前に到着できました。
ついでに古事記を文字で完成させた太安万侶の墓があるということですが、少し遠く
時間的に無理と思いあきらめました。


















 大和路彷徨と書きましたが、この奈良はもっともっと歩いてみたいと思いました。
今回は電車を利用しての旅、次回は巡礼者として訪れたいと・・・。
ちょうど夕日が沈みます。夕日を見るとスペイン・北西端ムシアの夕日を思い出します。
さあ、今年のカミーノどうするか?戦後70年、世の中が、世界が徐々に騒がしくなって
来ています。日本人が人質に・・って事件、エボラ熱・・気になるところです。

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