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再びポルトガル リスボア・ポルトの旅へ

2013-05-04 | 街道歩き

  ポルトガルは好きな国です。どこが好きかというと、滞在していて外国にいるような
気がしない。日本と似たような雰囲気があります。
それが何か?と問われても的確な答えはわかりません。いわゆる何となくです。
街並み、言葉、人種すべて異なります。しかし雰囲気が日本なんです。
こんぺいとうだとかパンという外来語のせいか?このユーラシアの東の果てと西の果てが
どこかで繋がっているような気がします。
遠い過去に、大航海時代が日本にもたらしたDNAが、日本人、いや小生の心に
残っている。ひょっとすると前世はポルトガル人かな?
 外来語の主なもの
  カルタ(歌留多)   carta[カルタ] 手紙、トランプ。英語のcard。
  カッパ(合羽)    capa[カパ] マント、カバー
    コンペイトー       confeito[コンフェイトー] 砂糖菓子
    ビードロ            vidro[ヴィドロ] ガラス
        「ピンからキリまで」の…
    ピン                 pinta[ピンタ] 小さな点。英語のpoint。
    キリ                 cruz[クルス] 十字架
    シャボン            sabao[サボン] 石鹸
    じゅばん(襦袢)    gibao[ジバン] 胴衣、上衣
    チャルメラ          charamela[シャラメラ] 木管楽器の一種
    バッテラ            bateira[バテイラ] 舟、ボート。舟型の入れ物に入れて作るから。
    ボーロ              bolo[ボル] 球、ケーキ
    ボタン(釦)          botao[ボタン]  ボタン、芽、つぼみ
だそうです。日本人にとって近しい。

 
今回はサンティアゴ大学スペイン語ショート留学、サンティアゴからムシアへの
100kmウォーキングが目的です。
ポルトガル訪問はドイツから比較的安い旅費で行けるコースとして選択し、折角なので
通過せず2日程度は滞在して観光した記録です。

観光:これは光を観ると書きます。観光も巡礼か・・・。

 まずはサンティアゴへの往きに、ドイツ ケルンボン→リスボア→電車→ポルトで
一泊しました。昨年も滞在したポルトの街です。赤い屋根が素敵です。



 川の名前はドウロ川。





 エンリケ航海王子の像、広場になっています。


  ドン・ルイス1世橋です。

ドン・ルイス1世橋(ポルトガル語:Ponte Dom Luís I)はポルトガルポルトにある道路・鉄道併用橋
ドウロ川に架かっている。

ポルトの中心部とヴィラ・ノヴァ・デ・ガイア地区を結んでいる。 ギュスターヴ・エッフェルの弟子の一人、
テオフィロ・セイリグが設計し、1881年から1886年の間に建設された。
ポルトガル王ルイス1世が出席して開通式を迎えた。

ドン・ルイス1世橋は幅8mの2階建て構造になっている。上層の長さは395mで、下層の長さは174mである。
現在上層は歩行者とメトロ用に、下層は自動車と歩行者用になっている。




  ドウロ川の河畔は切り立った崖が多く、ここはケーブルカーが設置されている。























 アズレージョです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%BA%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A7





  ポルトのメイン、アリアドス通りの真ん中にあります。市役所です。


  これは街から少し外れたところにあるロータリーの中央にあるライオン像。
バスターミナルの近くにあり、目じるしになります。



 バスターミナル近くで朝食代わりに食べたスイーツ。安くてうまかった。


 こうしてバスに乗りサンティアゴに向かいました。

以下は帰りのリスボアです。昨年とあまり写真は変わりませんが、今回は事件が
ありました。リスボア・・・昨年は巡礼の帰りに4日間滞在しました。
よって街の地理がわかります。どうしても慣れた街という感覚のもとで行動しました。
甘いですねぇ・・地理さえわかれば、言葉は話せなくとも、俺はあの大東京から来たんだ、
人口200万くらいのリスボアは任せて!横浜市だって400万と調子に乗り、舐めてかかって行動しました。
そして当然のごとくヤコブさまの鉄槌が下りました。天罰です。
 ああ、やられた!! スリだぁ!!
昨年は慎重に財布には少量のお金を入れ、紐でズボンに結び付けておりました。
クレジット・日本円・パスポート・他の€はきちっとわからない場所に保管しておりました。
 ところが、今年は€、¥、カードを財布に入れ、紐で結び付けてない。

 事件はサンジョルジェ城に行く満員のトラムの中でした。スリだ!!

 最悪!!盗られたという悔しさいっぱい、その後の処置の大変さ、激しい精神的ショック
等々・・・・今ブログを書きながらも腹が立つ。一緒にいたS氏にもいろいろ協力いただき、
お金は戻りませんが、何とか処置はできました。
ペロー・・・ああ、腹立つぅ!!!

 今夏の北の道は厳重に注意しよう。決意新たです。

 ということで下はケーブルカー グロリア線です。サンロケ教会に行けます。
もちろん、勿体ないので歩いて登りましたが・・・。



  リスボアの街に夕日です。綺麗だ。翌日正面の丘の上のお城に行くとき
トラムの中で摺られました。まさかねぇ・・この時はこの景色を眺めながらビールです。



 トラムの夜景。狭い道路なのにトラムを残している。
我が故郷、京都も市電を再開すべきと思います。京都も観光都市。
市電の趣は平安京に合うといつも思っています。
そう、今やんないと!今でしょう!!早くしないと、古都が益々近代化しちゃう。
京都市どの・・・。古いものを大切に!!



 この川はテージョ川、このあたりは河口にあたります。
正面の小高い丘の上、キリスト像です。行けなかった。
次回は必ず行こうと思っています。







  ベレンの塔です。昨年は中に入れなかったんですあ、今年は入れました。
中は要塞です。



























  発見のモニュメント。先頭はもちろんエンリケ航海王子。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BA%E8%A6%8B%E3%81%AE%E3%83%A2%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88


 発見のモニュメントの前の地面に描かれた地図。日本です。
1541となってます。この時にポルトガル人が渡来したんでしょうか。
鉄砲伝来のころですね。



  これは世界遺産ジェロニモス修道院。




 昨年入らなかった内部です。














 この網目のような仕組みで高い天井をささえています。昔の人はすごいね。











 これは確かロシオ広場だったような・・・。前の車三菱マーク。


 これはサンタ・ジュスタのエレベーターといいます。100年以上前のエレベーター、
怖いので乗りませんでした。地震来たらアウトだよねぇ。



  さて、これがサンジョルジェ城です。すでに摺られたあと・・茫然自失の状態です。








 でも綺麗だった。








  ポルトガル海軍がいた。





 以上でポルトガルの旅は思い出一杯胸に秘め、一路孫の待つドイツはボンに向かいました。
ボンで一泊して明後日は「プラハの春」へ向かいます。



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