
今回の木更津行きは突然やってきました。
この湯浅家ルーツを遡ると”藤原鎌足”となったわけですが、千葉のくろさん
からコメントいただき、木更津の高倉寺に鎌足の生誕の秘密ありと教えてい
ただき、早速訪れた次第です。いまや東京湾にはアクアラインが走り、
横浜⇒木更津はすごく便利になってます。
横浜をバスで9:30にでれば10:30には木更津駅に到着しました。
そこからバスで25分、すぐにバス停に向かうも、高倉寺方面行きは出発した
あと、じゃ次にしましょうと時刻表を見ると、何と13:30までないではあ
りませんか。じゃあ歩くかと検索するも、約2時間この猛暑炎天下を歩かなく
てはなりません。タクシーは高いし大嫌い、さて・・・と。と思いレンタサイ
クルを探すこととしました。
ところが、うろうろするも全くサイクル屋なし。仕方なくおまわりさんに相談。
すると、駅横の自転車預かり所で貸してくれるらしい。すぐに交渉すると、
一日200円で借りられるよし、すぐにチャーターしました。おんぼろ自転車
でした。
まあ、炎天下歩くよりはましかと、iphoneの地図でできる限り裏道を探し、
久しぶりのドライブを試みました。やはり久しぶり、最初はふらふらしながら
運転、徐々になれてきました。ただおんぼろ車、サドルも堅く股、尻と痛くな
りました。
ご覧ください。素敵な道がありました。木更津ええとこです。
この風景を自撮り。
早速発見、鎌足小学校。
続いて鎌足公民館
やはりありました。”鎌足を考える会”
検索したらホームページありました。
http://www.asahi-net.or.jp/~QA7K-SITU/
ここは飛鳥の地ではございません。房総半島です。
鎌足中学校
鎌足大橋
ここらは”かずさアカデミアパーク”として開発されてます。
矢那川ダムの景観です。
案内板はかすれていました。
向こうに見えるビルは暁星学園?娘をと思いましたが授業料高くやめました。
かずさ鎌足という地名
次は高倉寺の鎌足生誕伝説です。鎌足の祖父がこの地の出身、よって母も
同じ、やはり鎌足はこの地で生まれたようです。ただ根拠はありませんが。
母が鹿島に行って日天を拝みなさい・・そして鎌足が生まれた。この鹿島は
今の鹿島神宮でしょうか?
下記は鹿島神宮の表記です。神霊を鹿が奈良へ運び春日大社創建
とあります。その春日大社は藤原家の氏神です。
春日大社:春日大社は、今からおよそ1300年前、奈良に都ができた頃、
日本の国の繁栄と国民の幸せを願って、遠く鹿島神宮から武甕槌命
(タケミカヅチノミコト)様を神山御蓋山(ミカサヤマ)山頂浮雲峰
(ウキグモノミネ)にお迎えした。
やがて天平の文化華やかなる神護景雲2年(768年)11月9日、称徳
天皇の勅命により左大臣 藤原永手によって、中腹となる今の地に壮麗
な社殿を造営して香取神宮から経津主命様、また枚岡神社から天児屋根
命様・比売神様の尊い神々様をお招きし、あわせてお祀り申しあげたの
が始まりです。
藤原 永手(ふじわら の ながて、和銅7年(714年)奈良時代の貴族。
藤原北家の祖・参議藤原房前の次男。官位は正一位・左大臣
藤原北家は湯浅の先祖、こうして藤原繋がりが見えてきました。
やはりヤマト王権が大和に基盤をつくるころ、遠く東国には多くの人々が生活し、東西交流が
あったと思われます。
下記は高倉寺の鎌足伝説です。
高倉寺正面です。
熊野神社です。藤原の末裔湯浅党党首 湯浅宗重は紀州の熊野本宮への参詣道を
守っていました。これもご縁でしょうか?
本堂です。
う~ん、鎌足が腰掛けたようです。1300年前の石?
鎌足桜です。
高野槇です。
こうして、高倉寺をあとにし、次は古事記巡礼です。ただし自転車行脚、
自転車は歩きに比し楽な方法と考えましたが大変でした。そう、登り坂です。
おんぼろ自転車を借りたわけですから、電動はついていません。自分の老化を痛感、
登り坂は歩いて押しました。やはり小生はウォーキングがええ。
ということで、海岸近くにある吾妻神社を訪れました。ご祭神は弟橘媛
(オトタチバナヒメ)、ヤマトタケルの奥さんです。確か二番目だったと・・。
富士信仰の富士塚がありました。ご祭神は木花咲耶姫
以下は木更津市太田山公園にあります。ここには郷土博物館があり、立ち寄りま
したが本日月曜日で休み。またの機会に。
これは橘神社、これもご祭神は弟橘媛(オトタチバナヒメ)
博物館の横にありました。”なぎの木”です。速玉大社にありました。
速玉大社の梛の木は平重盛お手植え、当時湯浅党は平家方、源義朝クーデターの
おり、湯浅党は清盛、重盛を助けた逸話が残っています。
この太田山公園には日本武尊、弟橘媛の伝説で満ちあふれています。
きみさらずタワーの塔の名前「きみさらず」は、木更津市が市名の由来として広めて
いる日本武尊と弟橘媛の悲恋伝説。全高28mで、タワーの一番上には、日本武尊
と弟橘媛のブロンズ像が設置されています。タワーからは、木更津市を中心に東京湾
や遠く横浜のみなとみらい、新宿副都心などを眺めることが出来ます。
高所恐怖症の小生は登りません、いや登れませんでした。下でも絶景です。
見てください、東京湾挟んで対岸に横浜ランドマークタワーが見えました。
これは木更津駅東口のロータリーにある時計塔、日本武尊、弟橘媛がいました。
さあ、一日の木更津鎌足の里訪問、なかなか素敵なところでした。また訪れたいと思
います。帰り道東京湾横断道路からの海が綺麗でした。バスの窓からですのでかすれて
ますが・・・これより横浜に向け海底に潜ります。
次回はいよいよ紀伊湯浅訪問です。
しかもこの暑さの中、木更津駅から自転車で。
さすがです。自分だったら熱中症で倒れてます。(笑)
横浜駅からだと木更津金田BTで安房鴨川方面行き乗り換えれば、かずさアカデミアパークで降りられたと思います。しかし、結果的には途中の風景とか写真に撮られたので良かったかも。
次回、木更津方面の来られるときは君津の白山神社をお勧めします。https://ja.wikipedia.org/wiki/白山神社_(君津市俵田)
ここも、鎌足と関係しているとえば関係しています。
ここの古墳は壬申の乱で敗れた大友皇子の墓という伝説があります。大友皇子の妃は鎌足の娘で
あり、父親の中大兄皇子はともに乙巳の変で
蘇我氏を討ち果たした同志ですから。
千葉の内房は古代からヤマト政権と
海路で深く結びついていたようです。
千葉には文字通り「蘇我」の地名も残って
ますし・・・。
次回の紀伊湯浅氏巡礼も楽しみですね。
では!
結構、勧められるのですがそのうちと思っていて。
いまだにガラケーだし。
自分は50代ですが、ゆーぽんさんのように早く
悠々自適な生活がしてみたいです。
7月末に熊野三社に行く予定なのでゆーぽんさんの
ブログを参考にさせていただきます。
これからもよろしくお願いします。
日曜日にかけて熊野三山へ行く予定です。
神倉神社のゴトビキ岩情報ありがとうございました。天気次第ですが、行けたら必ず立ち寄ろうと思います。私も神社仏閣巡りが好きなので。
湯浅時哉文書で書き忘れたのですが、時哉氏は
明確に出自が藤原氏ということを意識していた
ようです。ネットで調べたところ大津の三井寺
(園城寺)に菅原道真公の肖像画を寄進して
います。現在、この絵はセンチュリー文化財団
が保管しているようです。
http://www.ccf.or.jp/jp/04collection/item_view.cfm?P_no=1727
自分の先祖(藤原時平)が権力争いの末
道真を左遷させたことを自覚して怨霊を鎮める
ために寄進したのでしょうか?
湯浅家の文書からいろんなことを勉強させて
もらってます。
メアドwbgtcare@yahoo.co.jpです。
今後ともよろしくお願いします。