ゆーぼん街道歩きブログ(欧州カミーノ、東海道他(五街道)、熊野古道、北国街道他)

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奥州街道 1日目 宇都宮宿 →氏家宿 19.0km 2017.10.1

2017-10-01 | 街道歩き

 やっと最終街道の奥州街道にスタートできるようになりました。
長くかかりましたが、すでに東海道・中山道・甲州街道・日光街道と踏破。
五街道最後の道です。日光街道と奥州街道との分岐点を目指して宇都宮へ。
名物餃子の像にご挨拶。


 駅から15分くらい歩くと右手に二荒山神社。前回日光街道のとき、きちっと
ご挨拶申し上げたので、軽く頭を下げ通過。



 二荒山神社を通り過ぎて5分くらいのところににありました。
日光街道・奥州街道の追分です。



 追分よりできるだけ当時の街道を探し探しのスタートです。さっそくありました。
奥の細道でしょうか、宮の細道でしょうか??琴平神社です。ご祭神は大物主命。
江戸中期の創立、古い物ではないようです。道中の安全祈願をしました。






 旧篠原家住宅です。醤油・醸造・肥料を扱う江戸期の豪商の家です。まわりは
ビル・マンションだらけ、前の道路は交通量大、写真が撮りづらかった。






 日本全国にありますね・・八坂神社 ご祭神はスサノオ。


 鳥居の右端に”神の光”が差し込んだが、さてさて・・・。


 久しぶりの自画像。周りを神の光で包まれました。何かいいことあるのかな?


 県道の横道・・雰囲気のある道を維持してくれてます。ただ並木の右側は車激しく
動いてます。



 蕎麦の花でしょうか?





 最初の宿場町、白沢宿が近づきました。


 地蔵堂、どこにでもあるような伝説です。








 薬研坂です。





 白沢宿です。この写真は江戸時代の公衆便所跡として掘っ立て小屋がありましたので
写真にとりました。そうですよね。当時も便所は必要。そこらあたりに垂れ流しかと
思いきや、ちゃんと公衆便所があったんですね。



 やはり屋号がありました。みなさん伝承されていますね。


 綺麗に整備された白沢宿の町並みです。道路両側に水路があり、綺麗な水が流れ
水車までありました。












 本陣跡もあります。








 向こうに神社があり、綺麗な小川が流れています。電柱と車がなければ・・・。





 コンクリートの土手のない小川、、幼少のみぎりを思い出します。
めだか、ザリガニ・・etc



 かろうじて一里塚の跡がありました。江戸時代五街道は絶えず整備してたん
ですね。





 白沢宿を出ます。振り返ると白沢宿入り口の表示がありました。


 鬼怒川の土手を歩きます。向かって左手に鬼怒川が流れています。右手は広々
とした田園風景です。






 これより鬼怒川を渡ります。


 大河鬼怒川です。二年ほど前大氾濫をおこしました。現代ですら大洪水になるんですから、
江戸の昔は怖い川だったんでしょう。各所にある神社は治水を祈願しています。



 えっ?シジミ?それもシルビアシジミです。調べてみました。
http://www.city.tochigi-sakura.lg.jp/site/shittoku/shirubia.html
シジミはてっきり貝だと思いました。・・・が蝶の名前でした。



 いろいろ神社がありましたが、やはり鬼怒川洪水避けで祀ってあるようです。
当時は橋を架けてないので渡しが多いこと。船で物資を江戸へ運ぶこと、田畑を
守ることなどで祀っているようです。



























 なかなか昼食をとる店がなく、やっと見つけたスタミナ定食。美味かったです。


 いろいろと伝説があるようです。






 この奥州街道にお伊勢の表示、まさか天照大神?


 やはりそうでした。伊勢内宮外宮の勧請です。奥州街道を歩いていた人々が
お詣りしている姿を感じます。






 東北本線の踏切です。奥州街道と表示があります。


 いろいろ建っていますが、おそらく道標でしょう。


 こうして氏家宿に到着。本日はこれまで。ここらに宿泊施設ないので氏家駅から
電車で宇都宮へ戻り宿泊。


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