ゆーぼん街道歩きブログ(欧州カミーノ、東海道他(五街道)、熊野古道、北国街道他)

 西国街道(長崎への道)、山陰街道、塩の道、四国お遍路、奥の細道他、生きてる限り、歩ける限り・・。

日光街道4日目 幸手宿➡️間々田宿 2016.5.18

2016-05-18 | 街道歩き

 一年ぶりに日光街道へ戻ってまいりました。今年は家庭の事情でカミーノ中止、
国内の道、街道を歩くこととしました。
まずは昨年幸手宿までで留まっていた日光街道について再開することとしました。
幸い好天に恵まれ、新たなスタートを切ることができました。本日から日光東照宮
までの連続行脚。東武鉄道幸手駅から出発です。



 すぐに日光街道表示を見つけました。宿場の街はなんらかの表示があります。
しかし宿場町だけ。少し過ぎると何も痕跡がなくなります。
五街道のなかでも日光街道が昔の街並みが消えています。
埼玉県という交通の要衝、仕方のないことかもしれません。



 幸手宿はぽつぽつと昔・・といっても明治以降かな・・・古い建物がありました。


 これは松尾芭蕉でしょうか?





 ところどころにこのような立て看板が・・・。


 正福寺、境内に日光道中の道しるべがありました。





 右の脊柱は道しるべです。


 八幡神社です。説明書きが石造り、よく読めません。





 権現堂川の堤です。よく整備できており公園となっています。


 明治天皇来られてます。五街道には明治天皇の足跡が非常に多い。











 道中空き地にあった灯篭、屋根に猛獣、怪獣か?不思議な灯篭それも放置状態。


 自画像です。


 昔の道しるべの横に、現代版道しるべ。右はつくばへ。





 田園風景、もう田植えが終わってます。お花畑が続きます。
















 栗原宿に入りました。旗に栗原宿と。これがなければ宿場とは思えません。


 顕正寺、ここに下記の名言がありました。そろそろみんなで地球を救わないと。








 八坂神社です。縁起が見にくくて読めません。





 大河、利根川を渡ります。埼玉から一旦茨城へ・・そして栃木へ。





 鶴峯八幡宮、鎌倉の鶴岡八幡宮の分家ですね。











 消えかかった道中案内。江戸から17里、日光へ20里。


 古河宿に入りました。現代版ですが、昔風に整備してあります。


 長谷寺です。日本三大長谷観音があります。隙間から少し撮影できました。








 古河城とありますが、お城は見当たりません。
古河城の起源は、平安時代末期あるいは鎌倉時代初期に、下河辺行平が古河の立崎(竜崎)
に築いた城館とされている。室町時代には、古河公方足利成氏が本拠とし、
以後、戦国時代の関東における中心の一つとなった。江戸時代には、多くの譜代大名が入れ
替わりで城主を務め、近代城郭として整備された。古河藩庁が置かれ、行政機能を担うとともに、
将軍日光社参時の宿として、あるいは江戸城の北方の守りとしても機能した。
明治時代初期の廃城令により廃城となり、明治末に開始された渡良瀬川の改修工事により、
残された城跡も大半が消滅した。






 古そうなお味噌屋さん。


 古河宿の道標です。




 野木宿です。松並木と案内板にありますが、松はすべて消滅しておりました。
なぜ残さないのか・・・・。











 野木宿道標です。道標以外昔の面影は全くありません。


 仏光寺です。なかなか立派な門構え。


 間々田宿間々田駅到着です。これからネグラ探しです。






コメント    この記事についてブログを書く
« カミーノ、熊野古道 Dual P... | トップ | 日光街道 5日目 間々田宿➡️石橋... »

コメントを投稿

街道歩き」カテゴリの最新記事