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沈黙のファイル

2009-12-30 10:17:09 | 成功するための教養本
「不毛地帯の主人公の知られざる一面を描いた一級の資料」
出版社/共同通信社社会部 660円

◆目次
第1章 戦後賠償のからくり
・プロローグ
・インドネシア賠償ビジネス
・大統領夫人の後見人
・西イリアン進攻作戦
・消えた大統領への献金
・韓国からの密使
・KCIA部長邸の密会
・朴政権の政治資金ルート
・おれにも3パーセントよこせ
・黒幕からの親書
・日韓軍人脈
・現物賠償

第2章 参謀本部作戦課
・陸軍の独立王国
・東京裁判証言の謎
・挫折した「北進」の野望
・日本は滅びる
・南進論
・作戦課長更迭
・焦土と化しても
・天皇を啓蒙せよ
・マレー半島上陸作戦
・命知らずの男
・権力の下降
・暗い予感

第3章 天皇の軍隊
・敗戦、そして国家の崩壊
・飢餓の島ガダルカナル
・だれも言い出せない撤退
・悲痛なるもの
・ずばり天皇の決心を書け
・はげ落ちた神秘性
・永遠に証拠を隠滅せよ
・生体実験
・東条英機の怒り
・満州国の瓦解
・悲劇の逃避行
・戦車の地響き
・タオルで首を絞めろ
・不発原爆をソ連に渡せ
・関東軍幹部シベリアへ

第4章 スターリンの慮囚たち(Part2)
・語りだした「闇の司祭」
・サムライの強気
・ポツダム宣言第九項
・改竄された電文
・幻の密約説
・スターリン極秘指令
・シベリアダンス
・兵士の夢とリンチ
・踏み絵
・シベリア天皇
・夏の闇
・偉大なる指導者
・尋問調書


第5章 よみがえる参謀たち
・対ソ「誓約」
・スパイの報酬
・米ソ情報戦のおとり
・ロシア語で「自殺しろ」
・戦犯解除
・挫折した服部機関
・11年ぶりの祖国
・1,000億円の空中戦
・防衛庁データ流出事件
・逆転勝利
・外相の家庭教師
・防衛族のドン
・裏臨調
・国家のために
・今なお終わらない戦後


最近毎週木曜日の夜10時は、『不毛地帯』タイムです(笑)。

唐沢寿明演じる壱岐正の動向に目が離せないビジネスマンは、かなりいるのではないでしょうか。

主人公の壱岐正は伊藤忠会長まで上り詰めた瀬島隆三氏だと言われていますが、その人生をジャーナリスティックに分析したのがこの『沈黙のファイル―「瀬島龍三とは何だったのか』です。

ドラマにも出てくる数々の商談の原型を思わせるエピソードも満載で、戦後の日本の経済史を学ぶには貴重な資料だと思います。

興味深かったポイントを、いくつか御紹介します。

◆インドネシア賠償ビジネス

戦時中の日本軍のインドネシア占領支配に対する賠償問題は57年11月、首相岸信介とインドネシア共和国初代大統領スカルノの会談で、総額803億円を日本側が支払うことで決着していた。

ただし12年間に毎年2000万ドル相当を「現物」で支払うという条件付きだ。インドネシア政府が必要な物資などを日本企業に注文し、代金の支払いは日本政府が保証する。日本の商社にとってはインドネシア政府からの注文を取り付けさえすえば代金のとりはぐれはなく、うまみの多い商売だ。各商社はその巨額利権をめぐって争奪戦を繰り広げた。

「伊藤忠はそれまでインドネシア政府にほとんどツテがなくて、僕が一人で悪戦苦闘していた。それを見かねたセーさんが、辻正信からスカルノ政権へのパイプを聞き出してきたようだった」(※中略)

久保正雄の仲介で最初の大仕事が転がり込んだ。インドネシア国家警察に日本製ジープなど車両約1,000台800万ドル相当を納めることだ。(※中略)

これを機に瀬島・小林コンビのインドネシア賠償ビジネスは急速に拡大し始めた。


「瀬島さんを公共事業者の大臣とかインドネシア政府の要人2、3人に紹介した記憶はあるけど、別に瀬島さんが直接注文を取って回ったわけじゃない。実際のビジネスの手順は僕がテレビ局の設備やデパート建設など賠償絡みの仕事をまとめて、東京の久保さんに連絡する。久保さんがそれを瀬島さんにつなぐ。

東日のような会社じゃ日本のメーカーに信用がなくて大きな賠償プロジェクトの主体になれないからね。瀬島さんがジャカルタに来るようになってから東日と伊藤忠の連携がスムーズにいき始めた」(※中略)


朴政権を支えた巨額の政治資金調達システム。日本企業がそれに深くかかわっていたことも報告書は明らかにした。

「1965年6月、日韓条約が調印されて初めて韓国では政党の資金を集め、官僚を太らせるための政治資金調達システムが出来上がった。大半を日本企業に依存する(朴政権与党の)民主共和党の政治資金調達システムは、韓国政府の権力構造に大きな変化を引き起こした。

米政府のソウルの出先機関からの報告によると、日韓条約が調印されてから日本の商業借款の流入が韓国政界の権力バランスを左右するようになった。与野党の政治家がその政治力を維持できるかどうかは、安定した政治資金を確保できるかに直接結びついている」


◆作戦本部作戦課

1928年4月、瀬島は陸軍士官学校に進学した。陸軍主流の歩兵科を首席で卒業し、36年、陸軍大学校へ。戦術や戦史のスパルタ教育を受け、図上演習を行い教官と質疑応答を繰り返した。

「瀬島には他人にまねできない緻密さがあってね。彼に『この方がいいと思う』と突き付けられると、反ぱくできる能力のある人はあまりいなかった。参謀本部の教官が『瀬島にはまいった』と頭を下げたことがあったよ」

同期の首藤忠男(95年2月、86歳で死去)の証言だ。


◆よみがえる参謀たち

「それでは民営化の意味がない。NTTが本当に軌道に乗るまでは真藤でいく」

6日後、田中は脳梗塞で倒れ、翌月28日、真藤社長―北原副社長の新体制人事が決定した。

臨調は81年からの2年間で5回の答申を提出した。瀬島は「裏臨調」と呼ばれる作戦本部を設け、政官財界の利害調整を一手に引き受けた。その結果、電電公社、国鉄など3公社の民営化が実現した。だが中央官庁の改革はほとんど手付かずのまま残された。臨調会長土光敏夫の秘書だった居林次雄が言う。

「行革の目的は利権と許認可権が集まる官庁本体にメスを入れることだった。だが瀬島さんは中曽根さんの意向を受け『実行可能な案でなければ』と土光さんを説き伏せ、公社民営化だけで済ませてしまった。組織の動かし方や根回しが怖いほどうまい。瀬島さんこそ参謀の中の参謀だと思ったよ」


◆インタビュー イワン・コワレンコ

「秦総参謀長は関東軍の武装解除の責任者の名前を伝えた。それに対して元帥は『関東軍の責任者はソ連側から武装解除の担当者であることを認めた身分証明書をつけてくれ』と、また自動車などの連絡手段を確保しておくように秦総参謀長に伝えた。

それがジャリコーワの会見のすべてだ。瀬島が言っているのは事実ではない。瀬島はソ連軍の即時停戦、関東軍将兵の帰還とかを要望したとか言っているが、勝手に
そう説明しているだけだ。(※中略)

しかし私は二度目の関東軍との会見の時、ソ連側の会見を聞いた。彼の通訳は分かりやすく十分に理解できた。宮川も秦も既に亡くなり、当時のことを知るのは瀬島以外ほとんどいない。それで勝手に事実をゆがめて言っている。だがワシレフスキー元帥の副官だったコワレンコがいる。1990年に心臓病で倒れ1年間治療を受けたが、私が生き残っているのは瀬島にとっては不幸なことだよ」


テレビでは出てこない戦後の日本の隠れた一面が、渾身の取材によって明かされている本書は、一級の資料と言えるでしょう。


沈黙のファイル―「瀬島 龍三」とは何だったのか 新潮文庫
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