「脱獄王 白鳥由栄の証言」
筆者/斎藤充功 出版社/幻冬舎アウトロー文庫 533円
◆目次
府中刑務所出所
白鳥との出会い
事件を追って
青森脱獄
秋田脱獄
網走脱獄
札幌脱獄
東京へ護送
府中在監
人間・白鳥
出所後の白鳥
あとがき
解説 見沢知廉
犯罪史上稀に見る4回の脱獄の成功した男。その男のインタビューをまとめたのが、この本です。
昭和23年、白鳥40歳の時
ただ白鳥氏の性格は極悪非道ではなく、誠実な側面もあります。
印象深かった箇所を、いくつか紹介します。
◆秋田脱獄
白鳥を知る証言者の一人に、斎藤忠雄がいる。白鳥が北海道の砂川町で殺人事件(後述)を起こしたとき、官選弁護人になった人で、脱獄の理由を次のように語る。
「たしかに彼は、ドロップ・アウトした人間で脱獄ではいろいろ世間を騒がせました。しかし白鳥君が刑務所を逃げたのは、こう、なんというのか、脱獄の哲学…それも純粋に役人に対する反抗心から出ているんだな。それと“人間の作ったものは必ず壊せる”という信念、それは、まあ、彼なりに脱獄を正当化する方便であったかも知れない。
だが、別の意味では監獄改良を身を以って実践してきたわけだから、それなりに彼の脱獄は意義のあったことで、私は評価してますよ。
秋田のときはたしか、白鳥君が容れられていたのは鎮静房でしたが、あの脱獄の一件以来、廃止されたはずなんです」
(※中略)
秋田を逃げたのも青森のときと同じ初夏の頃(6月)で、真冬は絶対に避けたもんだ。冬は“寒さ”と“行動の自由”が利かず、それに“食料の確保”が難しいので、俺の脱獄は4回とも冬の季節は逃げていないんだ。
脱獄の計画を立てたのは、3月頃だった。
天井を見上げてばかりいたのは、腐りかけていた天窓に狙いをつけていたからで、秋田の鎮静房は扉も壁も破ることは不可能だった。そして、次に準備したことは銅板張りの壁と壁が直角に交わる角に両手、両足を踏ん張って体を押しつけるようにして、天井まで登ることが出来るかどうかニ、三十回は練習してみたんだ。自信がついたのは、一刻息を詰めて指先に力を入れて登ると成功したんで、それで、脱獄をはじめたわけだ。
そして次に用意したものは、天窓の枠に取り付けてあったブリキ片と錆びた釘で、釘はブリキ片を交互に突き差してギザギザにとがらす道具に使ったんだな。ブリキ片は即席の鋸として利用したわけだ。
天窓は壁際にあり、ガラスには金網がおおってあったが、足で壁を踏ん張り体を支えて右手で天窓の枠を握り、左手でブリキのノコを握って木枠の四方に切り筋を入れると、腐っていたせいで頭突きで五、六回突き上げると天窓の枠は簡単に外れてしまった。その作業が完成するまで十日ぐらいかかったが、看守に発見されないために、一日の作業は時間にしてせいぜい十分くらいで、昼間の看守の交代時間を狙い、少しずつ進めていった。昼間の時間を作業に利用したのは、夜だと静かすぎて音が外に漏れてしまうので、音がまぎれる昼間の時間を作業にあてたというわけだ。
房の点検は一日一回必ずあったが、天窓は高いので検査はなかった。それと、釘とブリキ片の隠し場所だが、作業が終わるたびに天窓の木枠に、うすべりから抜いた紐で結えておいたので発見されることはなかった。(※中略)
前出の斎藤弁護士は白鳥の身体的特徴について話す。
「白鳥君は強靭な肉体の持ち主であると同時に、特異な体質を持っていたんです。彼は関節筋と靭帯の可動域が異常に広く、あたかも猫と同じように首さえ入るところがあると肩、手足、腰、脚部の関節を自由に脱臼できるんです。それと、手足の裏の皮膚を伸縮させ、吸盤のようにできるんですな。
まあ、そんな特異体質を持っていたからこそ、常識外の脱獄を成功させることが出来たと思うんです。」(※中略)
青森刑務所脱獄から連れ戻される白鳥。顔には笑みを浮かべている
◆網走脱獄
又、脱獄の方法について白鳥はいう。
「体はバンドで縛られ、重さ四貫目ぐらいはある太い鎖でつながれた手錠と足錠は、看守が二人がかりでナット締めをしたもんだ。俺はそれを外すのに苦心したんだ。
だけど、“人間が作ったものは必ず壊せる”という信念が俺にはあったから、毎日、看守のすきを見ては手錠と手錠をぶっつけ合わせ、ナットを歯で何万回となくかんだんだ。同じ作業を昼も夜も、半年ぐらいやってたな。歯が2本折れたけど、そのうちナットがゆるんできたんで、歯でナットを回して手錠を外し、足錠の方も同じようにぶっつけて壊したが、案外簡単に外れたな。」(※中略)
白鳥が目を付けたのはその視察口で、鉄枠を外すことができれば体を抜くことが出来ると計算し、先ず実行したのは松材にボルトで留めた鉄枠の隙間に味噌汁の塩汁を垂らすことで、時間をかけ松材を腐らせ、鉄枠を留めてあるボルトを浮かすことだった。
毎日、朝と晩のニ回、塩汁を垂らす作業を半年余り続けると、さしもの頑丈なボルト留めの鉄棒もボルトの部分が浮きはじめ、両手で鉄棒を数十回、強く揺するとズレるようになった。作業は一ヶ月、二ヶ月…と鉄枠を外すことに専念した。
網走在監中に白鳥が壊した手錠
とにかくこの本は、読めば読むほど白鳥氏の知恵と生命力の圧倒されます。
まだITなどなかった時代に、こんな凄い日本人がいたのかと驚愕します。
人間のパワーの可能性について、深く考えさせられる本だと思います。
最後に著者のプロフィールを、以下に記します。
◆斎藤充功(サイトウミチノリ)
1941年東京都生まれ。東北大学工学部中退。国際機械振動研究所勤務を経てノンフィクションライターに。新聞、雑誌などに社会問題の分野でルポを執筆。著書に『ドキュメント謀略戦-陸軍登戸研究所』『伊藤博文を撃った男-革命義士安重根の原像』他多数。
◆リンク集
・歴史に残る6つの脱獄事件
・アルカトラズと脱獄囚から学ぶ、ミッションを成し遂げる人間の強さと自由の素晴らしさ
・脱獄王:犯罪者の名言(迷言)集~歴史に刻まれた負の言葉~
筆者/斎藤充功 出版社/幻冬舎アウトロー文庫 533円
◆目次
府中刑務所出所
白鳥との出会い
事件を追って
青森脱獄
秋田脱獄
網走脱獄
札幌脱獄
東京へ護送
府中在監
人間・白鳥
出所後の白鳥
あとがき
解説 見沢知廉
犯罪史上稀に見る4回の脱獄の成功した男。その男のインタビューをまとめたのが、この本です。
昭和23年、白鳥40歳の時
ただ白鳥氏の性格は極悪非道ではなく、誠実な側面もあります。
印象深かった箇所を、いくつか紹介します。
◆秋田脱獄
白鳥を知る証言者の一人に、斎藤忠雄がいる。白鳥が北海道の砂川町で殺人事件(後述)を起こしたとき、官選弁護人になった人で、脱獄の理由を次のように語る。
「たしかに彼は、ドロップ・アウトした人間で脱獄ではいろいろ世間を騒がせました。しかし白鳥君が刑務所を逃げたのは、こう、なんというのか、脱獄の哲学…それも純粋に役人に対する反抗心から出ているんだな。それと“人間の作ったものは必ず壊せる”という信念、それは、まあ、彼なりに脱獄を正当化する方便であったかも知れない。
だが、別の意味では監獄改良を身を以って実践してきたわけだから、それなりに彼の脱獄は意義のあったことで、私は評価してますよ。
秋田のときはたしか、白鳥君が容れられていたのは鎮静房でしたが、あの脱獄の一件以来、廃止されたはずなんです」
(※中略)
秋田を逃げたのも青森のときと同じ初夏の頃(6月)で、真冬は絶対に避けたもんだ。冬は“寒さ”と“行動の自由”が利かず、それに“食料の確保”が難しいので、俺の脱獄は4回とも冬の季節は逃げていないんだ。
脱獄の計画を立てたのは、3月頃だった。
天井を見上げてばかりいたのは、腐りかけていた天窓に狙いをつけていたからで、秋田の鎮静房は扉も壁も破ることは不可能だった。そして、次に準備したことは銅板張りの壁と壁が直角に交わる角に両手、両足を踏ん張って体を押しつけるようにして、天井まで登ることが出来るかどうかニ、三十回は練習してみたんだ。自信がついたのは、一刻息を詰めて指先に力を入れて登ると成功したんで、それで、脱獄をはじめたわけだ。
そして次に用意したものは、天窓の枠に取り付けてあったブリキ片と錆びた釘で、釘はブリキ片を交互に突き差してギザギザにとがらす道具に使ったんだな。ブリキ片は即席の鋸として利用したわけだ。
天窓は壁際にあり、ガラスには金網がおおってあったが、足で壁を踏ん張り体を支えて右手で天窓の枠を握り、左手でブリキのノコを握って木枠の四方に切り筋を入れると、腐っていたせいで頭突きで五、六回突き上げると天窓の枠は簡単に外れてしまった。その作業が完成するまで十日ぐらいかかったが、看守に発見されないために、一日の作業は時間にしてせいぜい十分くらいで、昼間の看守の交代時間を狙い、少しずつ進めていった。昼間の時間を作業に利用したのは、夜だと静かすぎて音が外に漏れてしまうので、音がまぎれる昼間の時間を作業にあてたというわけだ。
房の点検は一日一回必ずあったが、天窓は高いので検査はなかった。それと、釘とブリキ片の隠し場所だが、作業が終わるたびに天窓の木枠に、うすべりから抜いた紐で結えておいたので発見されることはなかった。(※中略)
前出の斎藤弁護士は白鳥の身体的特徴について話す。
「白鳥君は強靭な肉体の持ち主であると同時に、特異な体質を持っていたんです。彼は関節筋と靭帯の可動域が異常に広く、あたかも猫と同じように首さえ入るところがあると肩、手足、腰、脚部の関節を自由に脱臼できるんです。それと、手足の裏の皮膚を伸縮させ、吸盤のようにできるんですな。
まあ、そんな特異体質を持っていたからこそ、常識外の脱獄を成功させることが出来たと思うんです。」(※中略)
青森刑務所脱獄から連れ戻される白鳥。顔には笑みを浮かべている
◆網走脱獄
又、脱獄の方法について白鳥はいう。
「体はバンドで縛られ、重さ四貫目ぐらいはある太い鎖でつながれた手錠と足錠は、看守が二人がかりでナット締めをしたもんだ。俺はそれを外すのに苦心したんだ。
だけど、“人間が作ったものは必ず壊せる”という信念が俺にはあったから、毎日、看守のすきを見ては手錠と手錠をぶっつけ合わせ、ナットを歯で何万回となくかんだんだ。同じ作業を昼も夜も、半年ぐらいやってたな。歯が2本折れたけど、そのうちナットがゆるんできたんで、歯でナットを回して手錠を外し、足錠の方も同じようにぶっつけて壊したが、案外簡単に外れたな。」(※中略)
白鳥が目を付けたのはその視察口で、鉄枠を外すことができれば体を抜くことが出来ると計算し、先ず実行したのは松材にボルトで留めた鉄枠の隙間に味噌汁の塩汁を垂らすことで、時間をかけ松材を腐らせ、鉄枠を留めてあるボルトを浮かすことだった。
毎日、朝と晩のニ回、塩汁を垂らす作業を半年余り続けると、さしもの頑丈なボルト留めの鉄棒もボルトの部分が浮きはじめ、両手で鉄棒を数十回、強く揺するとズレるようになった。作業は一ヶ月、二ヶ月…と鉄枠を外すことに専念した。
網走在監中に白鳥が壊した手錠
とにかくこの本は、読めば読むほど白鳥氏の知恵と生命力の圧倒されます。
まだITなどなかった時代に、こんな凄い日本人がいたのかと驚愕します。
人間のパワーの可能性について、深く考えさせられる本だと思います。
最後に著者のプロフィールを、以下に記します。
◆斎藤充功(サイトウミチノリ)
1941年東京都生まれ。東北大学工学部中退。国際機械振動研究所勤務を経てノンフィクションライターに。新聞、雑誌などに社会問題の分野でルポを執筆。著書に『ドキュメント謀略戦-陸軍登戸研究所』『伊藤博文を撃った男-革命義士安重根の原像』他多数。
◆リンク集
・歴史に残る6つの脱獄事件
・アルカトラズと脱獄囚から学ぶ、ミッションを成し遂げる人間の強さと自由の素晴らしさ
・脱獄王:犯罪者の名言(迷言)集~歴史に刻まれた負の言葉~
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