その昔、十勝沖地震というものがあった。おらほは八戸工業三年だった。何日かは覚えていないが五月だった。時間は10時前後だと思う。休み時間だった。地震だ。地震はよくある。長いなと思っていたら、小刻みに強くなってきて、ドーンと来た。両足では立っていられない。机につかまり、机ごと右にドーン、続いて左にずずずっと揺られる。外に出ようと階段まで行ったが、揺れている階段など降りられるものではない。
揺れが収まり、校庭集合、点呼後、解散となった。おらほは市内だったが、国鉄八戸線で通う汽車通の人たちがけっこういた。もちろん不通状態になっている。みんな線路沿いに歩いて帰った。一番遠い久慈から通っていたKくんは10時間ぐらい歩いて夜8時ごろ帰り着いたと、あとで聞いた。
画像は観音茶屋の「かき氷機」夏場にもう一度使います。
揺れが収まり、校庭集合、点呼後、解散となった。おらほは市内だったが、国鉄八戸線で通う汽車通の人たちがけっこういた。もちろん不通状態になっている。みんな線路沿いに歩いて帰った。一番遠い久慈から通っていたKくんは10時間ぐらい歩いて夜8時ごろ帰り着いたと、あとで聞いた。
画像は観音茶屋の「かき氷機」夏場にもう一度使います。