丹沢秘密倶楽部

日々の記録、思いついたこと、昔話など。最近は、俳句のこと。
俳句は読み中心で、なかなか詠めない。

みどりの日

2011-05-04 08:30:47 | 三百六十五夜

 
 本日は「みどりの日」。
 うむ、おらほのあだまの中では、今日は「狭間の日」なのです。
 祝日に挟まれた休日なのでした。
「みどりの日」は4月29日なのです。
 いつ変わったのか、変えたのか、調べてみました。2007年と出ました。
 近頃は、休日の呼び方を気にしていませんでした。不覚でしたね。
 4月29日「みどりの日」、その名にひそかに感動した人も多いはず。
「昭和の日」は「憲法記念日」と「こどもの日」の間の5月4日がふさわしいのです。

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節分、旧正月

2011-02-03 06:27:37 | 三百六十五夜

 旧暦、1月1日、新月です。
 
  

 その昔、おらほのいなかでは、節分に厄年の人が厄払いをしたのです。そのやり方は、ちり紙に自分の年と同じ数の豆とお金を包んだものを持って、四つ角、十字路へ行きます。後ろ向きに、豆とお金の包みを投げて家に帰ります。見てはいけない、見ると無効です。
 自分の厄を他の人に拾ってもらうのでしょうか。それでお金を包むのです。豆だけだと拾いません。まぁ、拾うのは子供ですが。OK牧場。

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さくら貝の歌

2011-01-04 06:14:17 | 三百六十五夜

 旧暦十二月一日、新月です。
 よたむらケータイミュージックの復活です。「さくら貝の歌」、倍賞千恵子・小鳩くるみ・鮫島有美子・小柳ルミ子・森昌子・島倉千代子の六人の歌をアップしましたが、「よたむら名曲百選」に誰を採用するか決めかねているのです。
 声楽系と歌謡曲系に二分されますが、どっちをとってもまだ三人いるのです。

 その昔「さくら貝の歌」をおらほに教えてくれたのは、八戸工業電気科同級生のSS木君です。
 SS木君は八戸工業電気科生にもかかわらず、学習院大学の国文法学者「大野晋」先生に師事しようとしていたのです。(実際に学習院大学に入学し、門弟になりました。)
 よくSS木君の家に遊びに行き、「大字典」の「上田万年」博士、「大言海」の「大槻文彦」博士の話を何度も何度も聞いたものです。
 「辞典の序文」などは普通読まないものですが、SS木君は暗記するぐらい読んでいて、それが話のもとだったのです。
 また、SS木君は短歌もつくっていて、佐佐木信綱の話もよくしていました。
 互いに口にはだしませんでしたが、漠然とながらもともに大学進学を考えていたことは間違いありませんでした。
 しかし、現実的には二人とも、進学などとても考えられない状況だったことも間違いなかったのです。

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ゆず

2010-05-17 04:54:45 | 三百六十五夜

 おらほのただ一本の庭木のゆず。桃栗三年柿八年、ゆずの~十八年、というらしいが、本当です。正確には覚えていないが、ほぼ二十年ぐらい前に植えておいたのですが、今年けっこう花がついている。隣家へ侵入している枝切りをしていて気がつきました。
 画像は相模原市保存林「こもれびの森」

おらほから徒歩数分、遊歩道がついています。

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歌舞伎座

2010-04-29 05:13:54 | 三百六十五夜

 おらほも歌舞伎座には多少の縁がある。
 その昔、歌舞伎座に勤めている友人がいた。ただで入れてあげるよと言われて、行ってみた。切符をくれるのかなと思って行ったが、そうではなく、地下の駐車場から入り、見張りのおばさんがいるところを何箇所も通って入った。・・・参りましたね、二度目は窓口で入場券を何千円かで買いましたよ。勘三郎さんが若い頃の話です。友人は勘三郎さんではありませんが、オッケー牧場。
 画像は駒止山頂会岡田画伯作品。

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生ビールの盛り

2010-04-04 09:02:31 | 三百六十五夜

               

丹沢駒止山頂会のSさんのブログ「今日も快晴だ」に江ノ島の「文佐食堂」がよく出てくるので、寄ってみました。

ヨットハーバー、岩場への手前の公園のそばにあります。

土産物とは無縁の、昔ながらの海岸食堂でした。

生ビールの盛りが素晴らしい。

目一杯に入れてくれました。


               

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青年座

2010-02-27 10:15:40 | 三百六十五夜

 劇団青年座研究所 本科35期生実習公演を見に行った。演目は「わが町」、けっこう有名な作品らしい。一幕アメリカ東部の二つの家庭の日常生活、二幕その息子と娘の結婚、三幕亡くなった娘が、義母を含む死者の先住民のところへ行く、というお話を二人の進行係が進めます。
 予備知識が全くなかったので、一、二幕は、ストーリー的にちと退屈。しかし、舞台では椅子とテーブル、最小限の小道具しか使わず、落語家の所作のような演技がけっこううまい。特にミルク配達人が馬を引く所作に感心。
 劇を見ながら、おらほの身近で、亡くなっている人たちのことを思い浮かべましたね。
 画像は、「きよかわ囲碁」です。青年座とは関連なし。

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三鷹の江ぐち

2010-01-31 07:00:50 | 三百六十五夜

 閉店と聞いて、30日(土)行ってみました。おらほは、特にラーメンマニアというわけでもないが、多少の関心は持っているのです。マスコミ上のラーメンブーム以前に書かれた「ショウジ君のラーメン大好き」という本に出ている店なのです。
 午後2時過ぎに行くと、この店は地下にあるのですが、階段を五段ぐらい下りたあたりに並んでいる人が見えます。
 おらほは、安くても有名でもうまくても、並ぶことはしないのです。おらほが並ぶのは東京駅地下新幹線乗り場前の回転寿司だけなのです。
 しょうがないので、禅林寺と三鷹市美術ギャラリーを見て帰ることに。
 二時間後、再び店の前を通りかかると、行列は地上まで。地上の人の列を数えてみると、六十数人でした。
 まぁ、どっかのラーメンは食べようと思い、吉祥寺へ。井の頭公園からの帰りの人たちがあふれる駅前で、席数7~8にお客が二人のラーメン店発見!
 うむ、これぞおらほにふさわしい店なのです。早速入り、ビールとギョウザを注文。予想通り、水でしか洗っていないコップ登場。うむ、これだ、これが昔ながらのラーメン屋なのです。ラーメンは、のり一枚・少量のねぎ・厚みの違うチャーシュー一枚・シナチク・山盛り(多いという意味ではない)の麺にスープをかけてある。うむ、これで紅白の渦巻きなるとが入っていれば、完璧でしたが、おっけー牧場。

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今日水

2009-12-27 07:46:29 | 三百六十五夜

 「きよかわ」がまだ市役所通りに面していた頃、斜め向かいの路地を入ると「レディディ」という店があった。(今でもあるが、ご無沙汰なのです)
 

その頃はおらほもはしご・・・だったので、時々寄っていた。

ある時、顔見知りの客に「今日もよはらっているんですか。

今日酔という号をつけたらどうですか。」と言われた。

うむ、酔狂はよくあるが、今日酔は珍しいかも、しかし字づらがよくない、実像を表していない。

そこで品よく「今日水」と相成りました。
 

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松茸

2009-10-31 20:02:10 | 三百六十五夜

 「かず君」がきのこをくれないので、やむを得ず「きよかわ」で「松茸と穴子のちり蒸し」700円也を食べました。松茸はカナダ産とのこと。
 おらほが松茸を初めて食べたのは20歳の時。長野県出身の近藤君という友達がいました。この近藤君の家から松茸が一籠送られて来たのです。10本ぐらい入っていたでしょうか。四つに割いて焼いて醤油をつけて二人で食べましたね。その後、こういう食べ方をしたことはありません。当たり前だ?うむ、その通り。
 この近藤君がおらほを山に案内してくれたのです。ニッポン第二の北岳(3192m)にいきなり行きましたね。新宿駅0時発の電車、甲府4:30頃、バスに乗って、6:00頃から歩き始めたような気がします。・・・今は昔です。

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相模野基線北端点

2009-09-21 18:21:01 | 三百六十五夜

 明治15年、ここ相模原市麻溝台に北端、座間市ひばりが丘に南端(いずれも今の地名)約5200メートル間に日本初の一等三角点が設置されて、測量が始まったそうです。当時は桑畑と原野・雑木林で、この直線間の木はすべて伐採されたそうです。
この基線から、長津田(横浜市緑区)鳶尾山(厚木市)、更に連光寺(多摩市)浅間山(平塚市)、丹沢山、鹿野山(千葉県)と広がっていったそうです。
            


            


            

 露出部分が少ないので、裏を撮ってみました。「一等」と「三」の字がなんとか読み取れます。

            

 地中はこのようになっているそうです。

                   

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点の記

2008-01-01 05:10:10 | 三百六十五夜
 本の名前です。点は三角点です。最近増刷したらしく、文庫本コーナーに山積みになっています。明治時代、越中剱岳に三角点を設置した陸地測量官、柴崎芳太郎の伝記のような小説です。作者は、登山者ならだれでも知っている、新田次郎。
 三角点は地図を作るための目印なので、見晴らしのいい山の上などに作られたのです。簡単に動いちゃ困るので大きな石を運び上げて、その上に作ったのです。
 画像は、河口湖の上、足和田山にある二等三角点です。明治なので、旧字体です。実際に測量するときは、この上に盆踊りの舞台のようなやぐらを組んで測量したようです。ずいぶん前ですが、丹沢山にこのやぐらが組まれていたのを見たことがあります。

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下駄の雪

2007-12-09 16:09:56 | 三百六十五夜

「踏まれても、蹴られても、ついて行きます、下駄の雪」というのですが、「下駄の雪」体験者は現代少ないと思うので、ちと思い出してみます。十二月、初雪のころです。雪が降り、積もってきました。二・三センチ、これくらいなら大丈夫と思って、下駄履きで歩いて行きます。しかーし、すぐに、下駄の歯の間に雪が詰まり、下が丸くなって、転びそうになります。雪だるまと同じです。雪が積もっている地面を踏んだり蹴ったりして、雪を落としますが、それもつかの間、いつまでもどこまでもついてくるのです、下駄の雪は。

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旧暦

2007-12-08 06:41:48 | 三百六十五夜
 今日12月8日は、旧暦では10月29日です。「山びとの記」という本があります。(中公新書)宇江敏勝という人の本です。内容は炭焼き、林業労働者としての生活記録で、登山者の本ではありません。山の神とおこぜの話がどこかに書いてあったなと思って、取り出して読んでいたら、「霜月七日は、神が木の数を調べる日で、人が山に入ると、木に数えこまれて、帰ってこれなくなる」とありました。次回山行予定は12月22日なので、霜月7日、旧暦11月7日が気になったのです。「高島易断の暦」で調べようと思いました、が、ちょい待ちモーメント。「旧暦」で検索したら、でましたよ、「こよみのページ」。
 12月22日は、旧暦では「霜月13日、大安」OK牧場。画像は「きよかわ、おこぜ」再掲。上がおこぜ(虎魚)、下はたこ。
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