その昔は八戸電波高等学校と言った。光星学院との決勝戦だったようです。うむ、もったいない、というのが実感です。近年青森山田に押されていたので、どっちが勝ってもいがった、いがった、オッケー牧場。 工大一高は、おらほの甥が二人卒業しているのです。
おらほの八戸工業は昭和43年夏の青森県大会予選決勝で、太田幸司投手の三沢高校に負けました。八戸市営球場での決勝戦、7回か8回まではリードしていたと思います。終盤、一見何でもないような外野フライを譲り合っての、まさかの落球、だったように記憶しています。違うかもしれません、かず君、調べてくれ。(調べる内容ではないか?)
翌、44年夏です。四国の松山商業との決勝戦、延長18回再試合になりましたが、この時も、三沢高校リードの延長11回あたりで、二死2ストライク3ボール、最後の一球、太田投手のストライク、試合終了三沢高校勝利、高校野球史上初の優勝旗白河越えと思いましたよ。しかし、ボールの判定。えー、と思ったのは、おらほだけではないと思います。ここから18回まで続くのです。
しかし、誰も文句は言いませんでしたね。うむ、言ったかもしれませんが、今のようにはマスコミは取り上げませんでした。おっけー牧場。
おらほの八戸工業は昭和43年夏の青森県大会予選決勝で、太田幸司投手の三沢高校に負けました。八戸市営球場での決勝戦、7回か8回まではリードしていたと思います。終盤、一見何でもないような外野フライを譲り合っての、まさかの落球、だったように記憶しています。違うかもしれません、かず君、調べてくれ。(調べる内容ではないか?)
翌、44年夏です。四国の松山商業との決勝戦、延長18回再試合になりましたが、この時も、三沢高校リードの延長11回あたりで、二死2ストライク3ボール、最後の一球、太田投手のストライク、試合終了三沢高校勝利、高校野球史上初の優勝旗白河越えと思いましたよ。しかし、ボールの判定。えー、と思ったのは、おらほだけではないと思います。ここから18回まで続くのです。
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