丹沢秘密倶楽部

日々の記録、思いついたこと、昔話など。最近は、俳句のこと。
俳句は読み中心で、なかなか詠めない。

山の日

2024-08-31 04:48:25 | 俳句
第八回山の日全国大会が八王子市民会館であったので行ってみました。
いろいろなアトラクションがありましたが、八王子実践高校書道部による書道パフォーマンスがあるときいたので、それでは行ってみようと思ったのです。












書いているところは撮影できませんでしたが、用紙の大きさに驚きました。大きな巻紙を切って貼り合わせていると思います。書き上げて直ぐに立てるわけですから、両端の工夫はどうなっているのか、知りたいと思いました。

最近は、書展を見に行くこともなくなっているので、多少の刺激にはなりましたね。

当方が書展に行くと、まずは自分が読めるものを探します。となると、だいたいは、短歌俳句作品ということになります。漢詩漢文はよほど有名なものでないと読めませんので。

上野公園の美術館に行けば、必ずと言っていいくらい、どこかの会の書展を見られるのですが、涼しくなってから。(で終わることが多い。コロナ以来。)


かまきり、シシトウの鉢にいました。


近ごろお気に入りの一句

8月25日
土曜日の王國われを刺す蜂いて     寺山修司   「寺山修司俳句全集」

「土曜日の王國」、土曜日が半ドンだったころ、午後がなんとも言えない開放感があったものです。

8月20日
リゾートの気分跣足になりてより    木暮陶句郎  「陶然」

日曜朝のNHK俳句に出ている人です。その名のとおり、陶芸家でもあるそうです。

8月16日
帰路はよく話す青年韮の花       津川絵理子  「夜の水平線」

8月12日
秋近し旗の余白に字を書くな      池田澄子   「拝復」

作者の年齢からすれば、戦争中の日の丸の寄せ書きのことでしょうか。
パリオリンピック報道で、日の丸に寄せ書きをして選手への応援としたものをよく見かけましたが。

8月10日
自然薯の永き我慢を摺りほぐす     池田澄子   「拝復」

自然薯は窮屈なところに育っていることが多いのです。山の南側の斜面にあることが多いです。当方は掘れませんが、上手な人についていって掘ったことは何度かあります。11月過ぎてからですが、自然薯の葉っぱを見つけて蔓をたどっていくのが難しい。二十メートル以上もたどることがよくあります。

8月9日
五十鈴川駅よりすでに玉の汗      西村麒麟   「鷗」

伊勢神宮ですね。
当方も一度行きました。那智の滝と伊勢神宮はもう一度行ってみたいと思います。
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丹沢昨今

2024-08-08 20:02:25 | 塔が岳
近ごろ、Xエックス(旧ツイッター)で丹沢登山者の記事をよく見るようになりました。

Xエックスからの画像

よく歩いた道です。写真の撮り方がうまい、と思います。


塔が岳 山頂


山頂にある尊仏山荘

緑が増えてきました。当方が歩き始めたころは、全くの裸地状態でした。
山小屋がもう一つありましたね。日ノ出山荘といったと思いますが?

その後、緑化対策と山頂保護のためと思われる材木を敷き始めたのです。

涼しくなったら、塔が岳に行ってみようと思っているのです。無謀と言われそうですが、行けるとこまで行って、次回伸ばしていけばいいかなと。月二ぐらいで、何回か歩けばなんとかなると思っているのですが、・・・。


近ごろお気に入りの一句(Xエックスから抜粋)

8月3日
青涼し紫涼し栞紐           西村麒麟  「鷗」
本の栞紐、文庫本ではとっくに廃止されましたが。

8月1日
キャンプの火囲みて誰ももの言はず   村上鞆彦  「遅日の岸」
火の前では静かになりますね。

7月31日
用もなきチラシをながめ琵琶をむく   吉村昭   「炎天」

当方の好きな小説家です。
亡くなってからしばらく経っていますが、今でも多数の歴史小説が書店に置かれています。「三陸海岸大津波」(文春文庫)という作品があります。東日本大震災のときは、すでに亡くなっていましたが、もし生きていたら、取材をして作品化したと思います。

7月28日
大切な皿は使わず遠花火        池田澄子  「月と書く」

7月27日
口紅の転がっているヨットかな     折勝家鴨  「ログインパスワード」

当方には日活映画の予告編に見えるのですが、と言ったら怒られるか。
石原裕次郎、浅丘ルリ子。

7月28日
日傘たたむ走ってきたことは言わず   池田澄子  「拝復」


新千円札



当方のところにはしばらく来ないだろうと思っていましたが、駅でPASMO入金のおつりの中に一枚入っていました。
確かに数字が大きい。

当方などは千円玉を作ればと思っている口ですが、とりあえず、保管しておくことに。

当方が上京した昭和44年、百円札は上野駅周辺だけで流通している、という感じでしたね。





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