丹沢秘密倶楽部

日々の記録、思いついたこと、昔話など。最近は、俳句のこと。
俳句は読み中心で、なかなか詠めない。

ああ、上野駅

2011-04-23 06:20:34 | 東京見物
歌碑がどこにあるのかわからなかったが、調べて見にいってみた。



 井沢八郎、歌。 
 啄木の歌碑は駅構内にあるのですが、この碑は広小路口の右脇にあります。
 おらほは、いわゆる「集団就職」ではないが、まぁ、気分は似たようなもの、と言ったら、ものほんの集団就職の方におこられるかもしれませんが。
 









 おらほの上京は、昭和44年3月、夜行寝台列車でした。
 青森県立八戸工業電気科B組担任の平田先生は、「明日はだれが行く、○日はだれが行く。」と手帳のメモを見て、県外就職する全員を駅のホームまで見送ってくれました。
 翌朝、上野駅の到着ホームに会社名を書いた画用紙?を持った総務課の若手社員が迎えに来ていましたね。




   ふるさとのなまり    2008、10、20


 
石川啄木の歌碑です。この手の歌碑は、だれか有名人に書かせたものが多いのですが、これは活字です。うむ、国鉄にもえらい人がいた。
 「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」
「停車場」、今に置き換えれば「新幹線乗り場」でしょうか。

 しかし、昭和の啄木と言われた寺山修司の歌は
 「ふるさとの訛なくせし友といてモカコーヒーはかくまで苦し」
 
 というのです。寺山修司は淡谷のり子、田中義剛と並ぶ、大物青森県人ですから、訛など気にしなかったでしょうが、
 上京後、東京弁というか標準語を習得しようと努力する東北人は多くいたのです。
 おらほも、会社の行き帰りに、「あえいうえおあお・・・」などと発声練習しながら歩いていたものですが、同郷の友人とたまに会った時は田舎語の会話でしたね。
 しかし、この二人「モカコーヒー」というしゃれたものを飲んでいるのです。まぁ、「モカコーヒー」は新しい文化でしたから、微妙!とおらほは思うのです。
 おっけー牧場。





 以前は広小路口の改札から西郷さんが見えたような気がしますが、今は何かの工事中らしく、塀が張ってありました。

 
コメント (2)
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