東日本大震災から一年が過ぎました。
犠牲者の方がたのご冥福をつつしんでお祈り申しあげます。
いまだもって、不自由な生活を強いられている被災地の方がたにお見舞い申し上げます。祈ることしかできませんが、ただその一念のみ。
たった一分で、住まいも家族も、すべて失われた方もいます。いわく言いがたき哀しみがあります。どうかご自分を責めないでほしい。むりやりに励ましたりしないでほしい。外回りから押し寄せる、ご遺族の感情に寄り添わない説法や、美化されすぎた悲劇も、過ぎると扱いがむずかしいものです。
この一年で、老いも若きも、いろいろな立場の人が、いざというときどうするべきか、覚悟を迫られたことと思います。「東日本」と名がついてはいるけれども、「がんばろう東北」とも言われているけれども、けっして日本の一部の問題に矮小化されるべきことではないはずです。
楽しく明るく生きることはたいせつなことです。
2011年3月11日のことを忘れないままでも、それはできるのではないでしょうか。できます。背負う、というのではなく、握りしめているというだけでもいい。片手をついて、ゆっくりとたちあがるためなら、それでもいいのでは。
来年のきょうには、きょうという日を生き抜いてよかったと思える人が増えてほしい。そう願っています。