陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「魂会(たまあい)─約束の園─」(三)

2009-04-27 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女


──そこは安らぎの場ではあったけど、同時に自衛の場でもあった…そう、少なくともあの日あの子に会うまでは…。


いつ、誰が、そこをそう名づけたのかは定かではない。
乙橘学園では「薔薇の園」と呼びならわされているその神秘の領域。
梢を大きく空へと茂らせた楡の大木を中心に、色とりどりの四季咲きの薔薇の木がぐるりと取り囲む。

ここに足を踏み入れるのは、立入禁止の立て看板が読めない小動物か、学園の規律に疎い部外者ぐらいだろう。
どこの学校にも人知れず棲みついた野良の類はいるものだが、管理が行き届いたこの学園では猫の仔一匹さえ見かけない。
そのおかげで私、姫宮千歌音はこころ穏やかなランチタイムを過ごすことができる。

地球に最も近き星として愛され慕われてきた月が、雲間に隠れ、欠けることを望むように、私も人目を忍び孤高を保つのをひそかに好んでいた。
クレーターだらけの天体が素顔を暴かれても、なお神のごとく美と崇高を称えられるのは、大地からの距離のためであることを私は知っている。そこに行けば何かがあると期待され続け、いまだ多くの足に荒らされてはいない神秘の場所──月の世界は、私の理想郷だった。

その薔薇園で、私は、私が望んだかたちになれた。
私は眺められているだけ、口の端に上るだけで十分な一輪の花になりきれば良い。
花は咲かすが、実を結ばない、その儚さのために美しい薔薇。
香りは芳しく色は深く魅惑的なのに、花弁は誕生の秘密を隠し、棘は剣となる、それが愛なのだと教えてくれる花咲き誇る園。

ここは、私にとってはいわば茨のお城なのだ。
好奇の目から私を覆い、取りとめない噂話から耳を逸らし、香りと柔らかい芝生で私の身を包む。穏やかな木漏れ日は読書の明かりとして眼にはちょうど良く、涼風は頁をめくる手を急かしたりはしない。
一歩歩けば何重もの取巻きに囲まれる学園内にあって、他人に汚されない心の領域を体現した場所。
あの日、最初にして最後の、一匹と一人の闖入者を迎えるまで、私は、花と緑の砦に護られた孤独な姫君だったのだ。

そしてふしぎなことに、毎日この場所にくると、私の唇はおのずと「なにか」を囁かずにはいられなかった。
その言葉がなんであるのかは、わからない。たしかに知っているはずなのに、うっかり削られてしまった言葉。それを唱えると、世界が壊れてしまうほどの衝撃がありそうな。けれど、それと引き換えにしても、口にのぼらせなくてはならない名前。喉元まででかかって、声にならない。そのいつも残るもどかしさが煩わしくて、紅茶で流してしまいたくなる。

私はこの場所に茶器をもちこんで、午後ひとりのティータイムを楽しむことにしていた。
青い薔薇をおおきくあしらったシートを敷いて、銀のトレイに載せられたのは、ティーセット。英国製のティーソーサーとカップ。滑らかな光沢をはなつ握り心地のすぐれた銀のスプーン。そして輪切りのレモンと角砂糖のそれぞれはいった小瓶。
ひとりの時間を憩いのひとときにするには、じゅうぶんな用意だった。



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