陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「夏の花」(七)

2008-10-06 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女

一年前の今日、私と姫子は、村祭りにでかけた。
おそろいで色違いの浴衣を着て。姫子の浴衣着は、私のお古を仕立てなおしたものだった。
お正月の初詣に出かけたときも感じたことだが、胸が浅くてなで肩の姫子には着物がよく似合っている。

八月の三日間。
いつもは静まり返った夜の村が、祭りのお囃子と歓喜に湧く。
いまだ舗装されておらず日頃は人気のない神社へとつづく村道は、桜いろの花提灯が吊るされている。ほんのりとまばゆいひかりの道に変わっていた地面には、多くの足跡がしるされていた。夜のざわめきが、神のおわす領域に集ってくる。人びとはその夏夜、神への畏敬をつごうよく忘れて大胆になる。
神社では秋の豊作を祝う神楽舞が奉納される。日々の労働から解放されたひとびとが、踊りと酒と食に溺れることが許される宴の期間。その最終日を締めくくるのが、恒例の納涼花火。祭りとともに、夏の呼び物として名高く、村の財政を潤す観光行事にもなっている。



その花火のあいだ、私の隣で姫子は手にした山なりのかき氷が生ぬるい苺いろのジュースになるまで、飽くことなく空を見つめつづけていた。
花火の轟音にまぎれて、いまなら言えてしまえない大胆なことも言えるような気がした。でも、やめておいた。そのとき、姫子は私に気兼ねしてカメラを携えてこそいなかったけれど、ひたむきな瞳は空に定められていた。せつなの夏夜、その輝きと眩しさを、眼にありったけ焼きつけようとしているかのような。真剣なまなざしの姫子を遮りたくはなかった。こんなとき、私がなにを言っても姫子には届かない。


去年の花火大会は、たしか一時間弱だった。
村の夜空が、今年すべての炎の花を闇のなかへ融かしてしまうには、どれほど刻を費やすだろう。
でも、この異国の静かすぎる部屋に突然もたらされた騒々しさは、いまは終わってほしくなかった。



花火舞台の幕間をもたせるように、姫子は実況してくれる。
今の花火の色が綺麗だったとか、次はこんな形した花火だよ、きっととか。

鄙びた田舎の花火は地味で、新作を発表することもないから、いつも定番の色かたちだった。だから、もう何度見慣れた姫子だって大体は言い当てっこできる。私でさえ、すべてではないが花火のあがる音とひろがる間隔を聞き分けて、花火の種類を想像することができる。ひと呼吸もふた呼吸も夜の静けさをためこんでおいて、突如として、ひとを驚かすような大仰な音で開くのは、あの豪快な牡丹いろの炎華。控えめな音で、手際良くぽんぽん鳴っている花火は、シロツメグサのように地上に近いところを陣取って咲いている。

「うわぁ、きれい」とか、子どもじみたはしゃぎ声が聞こえないのは、やはり電話口だからだろうか。姫子はまるで花火の音のしない頃合いを見計らっているように、喋っている。ときおりまったく無口になった。見入っているのかもしれない、去年と同じように。それとも、撮影に集中しているのだろうか。カメラは消音にしているのか、それとも周囲の喧噪に呑まれてしまったのか、いっこうにシャッター音は響いていなかった。

その甘い言葉だけが彼女の存在のすべてなのに、声に現れない静かな音闇がわずか数秒あるだけでも恐い。
この一箇月は無音の状態で過ごせたのに、そのひと言の幸せを耳に知ってしまったからには、もはやそれが途絶えることが耐えられなかった。会話の蛇口を閉めてしまわないように、私はなにかと、姫子の気をひこうとして、たわいもない話題をふりまいた。

そのたびに呼び戻されるように姫子の言葉が返ってくることが嬉しかった。
その声だけに、私は夢中になっていた。私はいま研ぎすまされた耳だけの存在になって、その甘い声にすがりついている。



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