陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「夏の花」(六)

2008-10-06 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女
「…あっ」

ちいさなつぶやき声が聞こえ、耳もとにごわついたような音の断片が届いた。

「…? 姫子、どうしたの?」

私の問いから数秒遅れて、答えが返ってきた。

「あっ、うん。いま、ちょっとね、転びそうになって、うっかり携帯電話落とすところだったの」
「だいじょうぶ?怪我はなくて?」
「うん。平気だよ。ありがとね」

姫子のいう平気に安堵するも、やはり気が気でない。電話しながらだけでなく、カメラも携えてのことだ。姫子愛用の一眼レフカメラは女性の手には重く、片手でコンパクトに撮影できるような代物ではない。花火撮影ともなれば、望遠レンズを用いたり、露出を絞ったりするのにも気をつかうはずだ。

「姫子、ほんとうに大丈夫なの?無理して撮影しなくても姫子が楽しんでくれたらそれでいいのよ」
「だいじょうぶだから。さっきのは、人にぶつかりそうになって」
「そう?なら、いいのだけど」

私は去年の夏祭りのことを思い出し、小さな笑みをこぼしていた。

そのときだって、祭り舞台の踊りやら、露店にならぶお面やら風車やらに眼を奪われて、姫子は何度ひとにぶつかったことか。
丸めがねとツインテールの女の子二人組とか。顔を紅くして謝っている姫子に絡んでいる男がいたけれど、眉を鋭くした私の顔を見て慌てて逃げていった。

危なっかしくて、私は姫子の手を握って人波の途切れた神社の裏道をたどり、誰もいない丘に腰を下ろした。
闇に覆われていた空がふと明るくなって、威勢のよい音が頭上で弾けた。折よく花火がはじまっていた。ふたりだけの鑑賞会。それは今でも脳裏にしっかり刻まれている夏の淡い想い出。


「ほら、去年の夏。千歌音ちゃんと一緒にみたよね、花火」

ちょうど、一年前に思い馳せていると、姫子の口からも話題が出たので、胸の奥がじんわり温かくなった。私たちはこんなに遠く離れていてもおなじ景色をみることができるのだと。窓の外では夏とはいえ冷たい夜のビル風が建物のあいだを通り抜けている。

姫子が明るい調子で話をつづけた。
私のいない夏、姫子は誰と見ているのだろう。そんな不安を見透かされたわけでもないのに、どきりとする。

「…ええ、とても、きれいだったわ。姫子と見た花火、とてもすてきだった」

私は耳をそばだてた。
姫子のまわりには人声はしない。てっきり、早乙女さんといっしょに来ているのではと思ったのに。どうやらひとりで見ているようだ。
私は胸をなでおろして、今度は花火の音を拾うことに集中する。
そして昨夏の風景をありありと思い浮かべていた。ふたりだけのあの賑やかな夜を。

──懐かしい故郷の空闇をあでやかに輝かせながら、色とりどりの鮮やかな花が咲く。
夜の高みをのぼりつめるように閃光が走って、傘を開いたようにぱっと広がる。ひかりの環が重なり、綾となる花模様を描いては消えてゆく。線へと連なって、点へと砕かれて。闇隠れした火の蕾が、静かな夜を裂いて華やかに音開いてゆく。
熱い大輪の花びらが、ぱらぱらとこぼれ落ち、かなたへ散ってゆく。……
そして、その照り返しをうけて、幻のように淡くかげろいながら輝いていた姫子の横顔……
その日、すべては美しかった──。


私は手にした写真の微笑みの顔に、ステンドグラスのように、赤や緑の光りの斑紋がすべっていく姿を夢想した。それは故郷にいる愛しいひとの夏の夜の顔だった。



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