陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

なぜアナタは、そのSNSで傷つくのか?

2023-03-09 | PC・通信・情報・メディア・SNS

拙ブログではさんざん、私がSNS嫌いであることをお伝えしています。
では、なぜ、ブログなんぞやっているのでしょう。ブログそれじたいも定義としましては、SNSの一種です。今の主流ではないですが。ブログは字数制限なく、かつ一方通行にできるので愛用しているだけです。私みたいなITスキルの低い人間でも、カスタマイズが楽ですよね。

ツイッターやフェイスブックなどのオープン型SNSを厭い、クローズド型のSNSをやたら持ち上げる声もあります。実はこれもどこかゆがんでいます。ブログだからいいとか悪いとか、そういうメディアの問題ではありません。

SNS嫌いのアナタは、こんな気持ちになっていませんか?

□他人の書き込みを見て、責められているように感じてしまう
□自分より面白くない人間が評価されているのが許せない
□ポチ応援したのに、お返しがないのがモヤモヤする
□人気を得ようと努力しているのに報われない
□素敵で憧れだと思っている人とはつながれない
□苦手だと思っているタイプばかり集まってくる
□最初は素敵だと思っていたのに、フォロワー関係になった途端冷めてしまう
□好きでもないものをゴリ押しされたり、興味がないイベントへ誘われて困惑している
□返信ラリーが何度も続いて、いい加減終わってほしい
□嫌いな相手をシャットアウトしたはずなのに、その後もついついチェックしてしまう

冷静になって考えてみてほしいのですが。
この状況、別にSNSだけに限ったお話ではありませんよね?

そう、現実界でも、どこでもいつでも、自分がなんとなく居心地が悪い瞬間に遭遇するときのパターンです。
なぜというに、SNSの向こう側にいるのも、現実の人間だからです。

顔が見えないので、どんな人間だかわかりやしません。
文章が知的で頭が良さそうなので、写真がオシャレでお金持ちそうなので、キレイでもてそうなので。若くて可愛らしそうなので。あるいは、経験豊富でオトナっぽいので。そう思って、私たちは何となくの第一印象で近づいてしまいますが、たいがい、その予感は裏切られること請け合いです。

たとえば、拙ブログをたまたま特定の記事だけを見てフォローした方は。
たいがい別のおふざけ記事にばったり遭遇してうんざりしたこともあるでしょう。私は意図的にやっています。拙ブログの最高の読者は、ゆいいつ、自分だけとしか思っていませんから。アクセス数が落ちようが、フォロワーが消えようが、私は自分の書きたいことしか書きません。ブロガーは職業じゃないからです。

「あの人がまさかあんな人だったなんて、ガッカリした!」
そんなふうに思ったことも、思われたことも、どんな人にもあります。メディアでどんなに持ち上げられている有名人にも、かならず敵はいます。優しい人なら不愉快ごとも飲み込んで黙って消えてくれますが、わざわざ憂さ晴らしに欠点を指摘してくれる人もいます。

現実の世界ならそうした配慮が働くのですが。
SNS界隈だと、切れた、つないだがすぐ数値化されてしまうので。まるで自分の市場価値が下がったかのような錯覚に陥ってしまいます。

でも、よく考えてみてほしいのです。
何かをがんばっているアナタにあてつけの、意欲を損なうことを言う人が、なぜ他人の足を引っ張ろうとするのかを。フォロワーが多くてチヤホヤされている人の、いい人ぶっているがゆえの孤独感や疲弊を。自分の好きなものを強引に布教して他人を支配することを覚える人の、いびつな劣等感を。「みんな」という、主語をごまかしたつながりを抜け出せない人の無責任さや自己不全性を。嫌いな相手を観察して何か失策を得ようとしている自分が、はたして何を成し遂げてきたのかを。自分のプロフィールを盛って賞賛を得ようとしている人は、なぜ現実で世の中で働こうとしないのかを。

そういうことを考えたら、SNSに煩わされる時間がもったいないと思いませんか。
SNSだけではなく、ネットニュースサイトの掲示板でも、個人のホームページでも、アマゾンのレヴューでもなんでもよいのですが。

SNSでフォロワーが多くないと、コミュニケーション能力がないと見なされる、なんて意見もあります。
私もLINEしてないの? じゃあ、そのガラケーは何人登録してるの?と同僚に聞かれたとき、正直、コイツまともに人付き合いしてないんだろうな、と思いました。付き合いって、質が問題であって、数じゃないでしょ。言い方を変えれば、プライベートでも貴女と友だちになりたいのでLINEやるね、と気持ちが動いたかもしれません。SNS中毒者は実は人間一人ひとりを大切にしていないのです。

職場を何度も変わっていたり、家族仲が悪かったり、地域での折り合いが悪かったり。
そういう生なましい人付き合いの逃げ場として、ネットに逃げても同じです。絶対に、自分の悪い部分は顔を出してきます。自分のうっかり洩らした愚痴を養分にして喜んでいる人も、ネットにはたくさんいるのです。

現実の人付き合いは「お試し」ではありません。
そこには利害がからむし、感情がもつれると事件沙汰にもなります。ネットの向こうでつながった、相談に乗ってくれる「同世代の女の子」が、「イケイケの実業家」が、悪いオジサン・オバサンだったなんてこともよくある話です。日常生活で悪い人間がどんな言動をするか経験値がないと騙されてしまうのです。

私は言葉癖が悪いと言われているので、現実でもネットでも交流を求めません。
本にあるような文章を好むので、他人の薄っぺらいもの言いが気になって、反論してしまうからです。そういう人は、ネットではなく、顔の見える間柄の、まともな人とのみしっかり付き合うべきです。

現実の友だちがいない? お金がないから?
ならば、図書館に行って本でも読みましょう。先人の知恵はあなたが悩んだことにすでに答えを出しています。

結論としましては。
人の好き嫌いが激しい人はSNSに過剰に入れ込み過ぎない方がいいのです。
「つながり」だと信じていた関係が、自分を壊してくる「しがらみ」だとわかる瞬間があります。でも、それがわかるまでの時間が無駄です。最初から、コイツはめんどくさい、と思ったらもうつながらないほうがいいです。向こうにだって、自分と合う人を選ぶ権利がありますから。「しがらみ」に変えてしまったのは、うかつな自分の失言失態だったかもしれないからです。

自分を壊すぐらいならば、SNSなんてやめてください。
くだらない数のつながりでしか虚勢を張れない関係は抜け出して、もっと自分ひとりの課題と向き合える本を読んだり、自分の考えをノートにまとめたりしてみてください。。SNSにはそれ特有の言語があるので、合わない方は潔く諦めて、自分の好きな言葉のある場所を選んだほうがいのです。

なお、SNS付き合いが楽しくて楽しくてたまらない、という人は。
そのままお好きになさってください。あなたはこの記事の対象読者ではございませんので。

(2022/03/10)


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