
マリア様がみてるもそうですが、一般的に学園ものストーリーでは学校行事のオンパレード。
体育祭や文化祭はもちろん、遠足や修学旅行、卒業式に入学式は欠かせないものですね。よくよく考えたら保育園から行事はつきものですから、平均的に大学卒業までの人生を考えてみても20年近くは、こうした学校行事に付き合わされている計算になります。
いま自分の過去を振り返ってみますと。
この学校行事がとにかく大嫌いでした。その行事中に犯罪に巻き込まれただとか、いじめでハブられたとか、猛烈に被害者ぶった出来事があったわけでもないんです。
運動神経はたしかにあまりいいほうとはいいがたいのですが、クラス内でビリかといえばそうでもなく。中学での水泳のリレー選手に選ばれたり、高校ではバスケットボール大会でシュートが上手く入り準優勝にも貢献できたりしました。私の通った学校はスポーツ得意な子がカースト上位という雰囲気もありませんでした。小学校のマラソン大会でも上位20位には入って驚かれたこともあります。鍛えればある程度、運動機能は向上するのだと経験できたわけです。
しかし、運動会や体育祭の何が苦手かといえば。
地べたの上で体育座りをさせられて長時間待機させられたり、軍隊のような行進をさせられる。心臓破りな空砲の音やマットや麻袋などの独特のにおい。倒立は練習してできたので得意でしたが、踊りのような、集団でフォーメーションを決めるような競技は本当に嫌でした。単独の徒競走はまだいいとして、リレーのようにバトンタッチするのも嫌。組体操や二人三脚なんてもっての他。
思い出してもざわざわするのは中学の合唱コンクール。
当時、クラス対抗で歌わされるのですが。なぜか投票で私が指揮者にされてしまったのです。成績がよくて目立っていたから、なのかもしれません。ピアノ伴奏の子と一緒に練習しましたが、プレッシャーに負けて、大会数日前にお願いして交代してもらいました。
修学旅行も班分けであぶれるといったこともなかったのですが、もともとも昼休みに孤食していた私は自由行動でも単独で出歩いていました。二、三人で行動していたらソフトクリームなんか買って笑顔で撮影したりして。大人ぶった小樽のオルゴール記念館だとかで何時間も滞在して、ヴィネツィアのカレンダーだとか買っていなかったはずです。
小学校の時に出かけた遠足も印象が薄いのか、どこに出かけたのか覚えがありません。
高学年になったときは当日朝になってドタキャンしたこともあります。
今から振り返って思うのですが、あきらかに不適応な行動は、私の社会性の無さのあらわれでした。その後、高校進学して不登校になったり、大学でも家族の死をきっかけに休学状態になったり大学院でも留年したり。社会人になってからでも紆余曲折で、失職したら独り暮らしなのにひきこもり気味でほとんど食事できなかったこともあります。
ただし、例外は高校復学後から大学3年めぐらいまでで。
この当時は生徒会役員をしたり、学園祭の実行委員をしたり。とくに大学ではクラス内のリーダーポジションで大学の研究室でも後輩のお世話をしたりしていました。この陽キャぽい擬態は社会人になってもできることがあって、その職場の責任者に気に入られたときでした。要するに自治を任された時で、まさに私の座右の銘である「鶏口となるも牛後となるなかれ」だったのです。
明らかに不適応な行動が目立ったにも関わらず、正社員を含めて何度も転職できたり、場合によっては希望職種にありつけたりもしたのは、学歴の引き合いでご縁がつながったり、資格取得をしておいたせいだったり、傍目には私が営業向きでコミュニケーション能力が高そうな見た目をしているように見えた、からだったのかもしれません。実際の私はとんでもなくインドアで、オタク趣味でさえも仲間とつるむのを好まないような、とんでもない独善独歩の人間だったのに。
学校行事が嫌いだった、ひいては団体行動がとにかく苦手だったのは、そもそも私が人間そのもの興味がなかったせいでしょう。
そういえば、小説や映画、アニメなどでも、5人以上のメンバーが登場しだすと、名前と特性が覚えきれなかったり、心情があまり理解できづらかったのも、自分の脳の構造がそういうふうにできていたからなのかもしれません。
この特性のよいところはあまりないのですが。
しいて言えば多数派が主張する事柄に流されずにすみ、マイナー受けするものばかりに執着するので忍耐強いと誤解され、誰に疎まれようがその愛を叫び続けてしまうことなのかもしれません。これって、やはり、はぐれオタクの特性ですよね…。
(2024.06.11)