陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

読書人がハマると泥沼になりそうな、あの詩集

2018-05-04 | 読書論・出版・本と雑誌の感想

学生時代、古典文学か評論は読むのは好きでしたが、小説は読むのが嫌いでした。
登場人物の気持ちや世界観の読み取りができないからです。小説を比較的読むようになったのは社会人になってから。会社で働くうちに、この仕事の人やこんな立場の人はどんな思いや考えで動いているのかを知りたくなったからです。男性の営業マンで、女性の心理が知りたいので、ドラマになった湊かなえさんの小説を好んで読んでいるという人もいます。小説って、人間を理解するために読むものですよね。

学生時代、よく買っていた文芸本、それは詩集でした。
なぜ、詩集なのか。だいたいが文庫本で売られているから買いやすく、文字数が少ないから読みやすい。ただ、それだけの理由でした。読書通にあるまじき理由ですね。私は小説の場合、最初の三十分で飽きた場合は結末まで飛んで、そのあいだを埋める展開を知りたいと思わないのだったら、読み投げしてしまいます。付き合う時間がもったいないと思ってしまうから。詩集の場合は、その作業をしなくてもいいので、楽なのです。

読書が好きだけど、小説よりも詩集が好き、という人は少ないのかもしれません。
詩人というのは、作家業の中ではあまりいいポジションではありませんし、詩集でベストセラーになったものはほとんどないと言っていい。小説家、学者、教師など別に本業がある人が、片手間に出す本といった立ち位置ですよね。

私が好きな詩集は、海外のものが多いです。
逆に海外の小説はあまり読みませんね。カタカナの人名や地名がわんさかでてきて、内容が整理できないからです。

いちばんのお気に入りは、ライナー・マリア・リルケ。これは鉄板です。
ボードレールは美術論・文芸論の評論家として、研究上よく引用する必要がありました。ヘルマン・ヘッセは青春の挫折を描いたバイブル『車輪の下』で知られていますが、詩人としても名手。アニメの「少女革命ウテナ」がお好きな人は、幾原邦彦監督の影響で、かならず寺山修司の詩集ふくめた著作や映画はチェックしていますよね(にやり)。

青春時代の厨二病というべきか、現実味のない着飾った言葉に癒されたくて、憑かれたように詩集を買い求めていた時期があります。私も一時期読んだことがありますが、銀色夏生さんの詩集はよく流行っていましたよね。いまだと、古書店でかなり見かけますが、当時はどこの書店でも揃っていたんじゃないでしょうか。詩集は小説と比べると起承転結がなくて、ダイナミックな面白さがありませんが、その抽象性は時代をこえて愛されるものでもあります。

明治時代ぐらいまでは、漢詩や古文は教養人としての必須科目だったはずです。
中国の科挙試験、平安時代の貴族の出世、さらには戦国時代の武将の辞世の句。詩作は社会の中枢で生きるために必要な技能でした。しかし、今の日本では、詩集を自費出版する人はいなくはありませんが、読まれてはいません。詩って創作者の個人的楽しみのための文芸で、読まれるためにあるものじゃないんですよね。詩作するくらいなら、英語しゃべれるか、会計かIT知識があったほうがいいのが、この現代。

愛読者人口が少ないためか、図書館や書店などではあまりフェアや企画で大々的に陳列されているのを見かけない詩集。残念ですね。日本の少女漫画家の描き手、アニメの制作者のなかには、その作品自体がひとつの詩かとも見紛うほど完成度の高さを誇るものもあります。その映像美とコラボして詩集を売り出せば、あんがい、ヒットするんじゃないかなと思うんですよね。あるいはミュージシャンが曲をつけるなりして。


読書の秋だからといって、本が好きだと思うなよ(目次)
本が売れないという叫びがある。しかし、本は買いたくないという抵抗勢力もある。
読者と著者とは、いつも平行線です。悲しいですね。



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