陳列された本だなから本を抜き取るという作業は、レストランでメニューから口に運ぶ品を選ぶよりも、なおのこと難しい。注文したらもう取り消せないという、さっぱりとした締切のない選択は、いかほどにも底なしの知性を迷わせる。知識欲には満腹感がないから、いかにもやっかいだ。ある本を手にしたら、その隣にならぶタイトルですら欲しくなってしまう。ヴィヴィオのブラウジングも、そうした芋づる式の横道に逸れているのだろうか。
「ヴィヴィオ、まだ…かな?」
「あ、上向いちゃだめえっ!」
いっそ自分が代わりに手を差し出したほうが早いんじゃないかと思い、ヴィヴィオの探す物を見定めようとしたが、頭を押し下げられる。ヴィヴィオがやっと手が届いたと同時に、床がぶれて、小さな手のひらから分厚い本は滑り落ちた。当然のことながら、それはユーノの頭に当たる。
ごとん。
重い衝撃が頭のてっぺんからやや斜め後ろ、耳の上あたり、頭蓋骨でいえば、いちばん丸みがついた部分を襲った。
骨の噛み合ったあたりを打たれると、震動が脳全体にひろがって、小さな痛みでもかなりのこと大きく響く。
辛い辛いとは思いながらも、首回りに柔らかな少女の太腿の接触を感じて、どことなく女の子の胸元に頭を預けているような、えもいわれぬ夢心地。だったのに、ユーノの酔いはここでいっぺんに醒めた。本の重み厚みを味わうには、やはり、それなりのてのひらの大きさが必要かもしれない。ユーノはここで思い知る。
「…いてッ!」
「ごめんっ、ユーノくん、だいじょーぶ?」
本の角で瘤ができたであろう頭を触るとユーノが痛がったので、置きどころに困った手がユーノの顔をべたべたと撫でまくる。
うっかり瞳を塞がれたユーノのからだが、大きくぐらついた。もちろん、二本の足を踏ん張ってバランスをとることはできたのだが、傍から見れば、酔っぱらいの千鳥足。これでも本人は真剣なのだが。足の裏がしっかり床に着かないような心もとなさがある。せせらぎに足をすくわれたかのように、するっと滑ってしまった。
「うわ!」
このままではふたりして、床に背中から倒れこんでしまう。
しかもヴィヴィオを下敷きにしてまうこと確実だった。人間のからだは、後ろに倒れた時にとっさに手をつける構造にはなっていない。そのあいにくの構造を補うために背骨があるわけだが、ユーノの背骨が内臓を守るまえに、より高いところにあるヴィヴィオの頭は床に叩き付けられてしまうだろう。しかも脳天に衝撃があって、ふらふらとしているものだから、反射神経も鈍ろうというもの。それにどうも視界がゆるい。
しかし、とっさにユーノの背中をそっくり包んだのは、虹いろの光りの網だった。
ハンモックに抱きとめられたように、ヴィヴィオを肩に乗せたまま、ユーノは空中に斜めにもたれかかっている。
「これは、ヴィヴィオの魔法?」
「うん。フェイトママのシールド魔法をアレンジしてみたの」
「そうか、助かったよ。ありがとう」
サッカーボールを逃さないゴールのネットのような光りの投網は、ゆっくりと弾力をゆるめていく。
網目はあっても、絨毯のようにからだにひっかかることなく載せたまま、ふうわりと動く。ふたりをそっと床に寝そべらせたところで、弾けたように消失した。
ユーノの肩から足を外したヴィヴィオは、ちょこんと正座を崩した恰好で座ている。
くだんの本は、近くにうつ伏せに頁を開いたまま落ちていた。なんということだ。よりよって、頁をそのまま床に押しつけるなんて知性への冒涜もいいところだ。ある種のビブリオマニアには、本のその姿勢は、世界をひっくり返されたような衝撃がある。
床に寝転がったままのユーノはそっちを指さしているのに、ヴィヴィオはユーノの顔ばかりをひたすら見つめていた。きょう感じた違和感が、そこでやっと解けたのだった。
「あれれ。きょうのユーノくん、やっぱり、顔が違う?」