「千歌音ちゃんへのおみやげ、いま準備するね」
私の腕の輪をそっと外れた姫子は、おもむろに膝をついて荷物にかかがみこんだ。床に置かれたボストンバッグの中身の山を、慎重にかき混ぜるように姫子の手がもぞもぞと動く。ランドリーのように、姫子の腕に衣服の袖が絡まっているのがわかる。腕にすがって外へ飛び出そうとする出番待ちの荷物を、なだめすかすように払いながら、姫子はやっとお目当てのものを探り当てたようだ。どうやら、衝撃で壊れないように衣服で何重にもくるんで保護しておいたらしい。
姫子がまるで仔犬を抱くようにして、たいせつそうに取り出したもの──それは、ムービーカメラだった。
姫子の指が再生ボタンを押すと、液晶画面にみごとに夜を綾なす花火が大きく映し出された。真夏の空を叩く荒々しい炎の音鳴りと灼熱とを伴って。高名な戦争カメラマンの仕事にもひけをとらない、みごとに真に迫ったフィルムだった。
私はすぐさま、事情を呑み込んだ。
まさか、こんなトリックだったなんて。やけに、姫子の電話口の声に音が近すぎたわけだ。電話をしながら、カメラを回しつづけられたわけも、納得がいく。片手でも扱えるデジタルムービーカメラは、性能がよいものなのだろう。暗所での撮影能力にすぐれ、高倍率の光学ズームレンズを使ったとみえ、遠い夜空の花火舞台をすばらしく収めていた。それにこれではカメラを取りあげられたら、SDカードが対応していなければ他のカメラで再生できないし、現像できる写真屋もこのあたりには少ない。
なるほど、姫子があんなにも笑顔でいられたわけにも合点がいく。この手品のしかけを披露するのを、今かいまかと楽しみにしていた笑顔だったのだ。お手伝いをほめられて得意になった子どものようにあどけなく笑っている姫子。私は軽く腕組みをすると、してやられたという気持ちの笑顔で返事をした。
「…姫子ったら、いじわるね」
「ごめんね、騙すつもりはなかったんだよ。千歌音ちゃん、すぐ気づくと思ったから。だってね、こっちも夜なのはヘンでしょ?」
私ははっとして、口を噤んだ。
時差のことは念頭になかった。ここ数日、ホテルに缶詰状態で昼夜の感覚がかすれていた。高層ビルには、陽が深くはいりこまない。なにより、姫子とおなじ夜のひとときを過ごしたという嬉しさだけが迸って、そんなこと思いもしなかった。冷静に考えたら、おかしなことだ。でも、そんな現実的に思考されたものを、私はあえて避けてしまったのかもしれない。
たしかに築いた想い出であるのに、そうだと信じられない。不確実さにまどろみ浮かれておかなければ、いっぺんに醒めてしまう、はかない宵夢である気がして。理性の指先がせっかちにつついてぱちんと壊す、七いろに色にじんだしゃぼん玉のように。膨らみすぎた期待の息吹でやぶってしまわないように、掌に掴むこともままならずに、私はそれを眺めておく。風に触れて鈍い輪郭を緩ませ、そこに映る世界のかけらをくるくると回らせていきながら、瑣末に空を漂っている透明なうたかたのように、姫子との耳逢瀬を感じていた。永遠をせがむくせに、儚いものにしておきたかったのは、自分のほうからだったのだろうか。そのほうが、いつまでも私たちがきれいだから…。