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――どう考えても、この地味めな女が住む家じゃない。
自分の住んでるマンションにはない、屋上にあるどでかい広告塔だとか、パラボラアンテナだとかを見定めたとたんに、ひねり出された内なる声。…しかし、指さされたのはその横のビルだった。あたしのケチな闘争心がすこしだけクールダウンする。
その古い雑居ビルは、一階がこぢんまりとした店舗だった。その店を通り抜けて、裏口の非常階段から二階へあがるようになっていた。
「絶望の快速レストラン~ブレーメンラブ~」――なんだか食欲を爆下げしそうな不気味な字体の看板がかかっていて、どうみても客はいなさそうだ。不穏な店名に、列車の客席をあしらった店のつくり。だが、その店内ときたら、鉄オタさんウェルカムの食堂車といった趣は微塵もない。地方の路面電車をぶっきらぼうにビルに組み込んだ、霊柩車みたいなミスマッチ感がある。
ちらりと覗くと、そこは実に奇妙な顔ぶれの場所なのだった。
犬歯を生やしたマッチョな男が上半身裸エプロンで、猫耳カチューシャをつけたナース幼女ともども、せっせと餃子の皮を包む作業をしていた。しかし、幼女ときたら側でお菓子の箱をたらふく食い散らかしていた。お局巻きをした髪を羽飾りでまとめた妖艶な肌黒い女が、イコンに向けて祈りを捧げている。中東かどっかからの難民といった神秘的な人相をしている。向こうのベーカリーコーナーから出てきたのは、白い制服をきた馬みたいに背の高い痩せ男だった。しかし、どうみても目つきが悪くて、お世辞にものんびりパンをこねて焼いているふうにはみえない。もちろん、アンドロイドの車掌やらメーテルのコスプレやらが出てくることもない。
いずれにせよ、店員があまりにも癖がありすぎて、客が寄りつかなさそうな気配をぷんぷん漂わせていた。これほど営業努力を放棄した店も珍しいときたもんだ。しかも、「年中有休、営業時間:気の向くまま」とドアに書かれてある。いらっしゃいませの歓迎すらもない。「くるすがわひめこ」と顔見知りのはずが、挨拶のそぶりもない。うっかり泥棒が入ってきても気づかないだろう。ひょっとしたら、暇にあかせた金持ちが道楽でオーナーをやっている、何でも屋なのかもしれない。
あたしを「誘拐した」メガネ女はどうやら、このビルの二階以上に住んでいるらしい。
プレハブの階段をのぼった先には、複数の郵便受けが並ぶ。ポストというよりは一個ずつがゴミ箱に近い大きさなのだ。しかも「不燃」「可燃」「リサイクル」とか、わかりやすいキュートな絵柄のラベルがついている。その下にちょこっと小さめの文字でアルファベット。STU…なんとか。
メガネ女が郵便受けの「可燃」を開けると、なだれのように封筒の山が落ちる。
両手で抱えてもこぼれ落ちてしまうぐらいの、大量の手紙が。一部はダイレクトメールのようだったが、ほとんどが普通のレターにみえた。なのに、それはすぐさま女に抱えられて、ざっぱり捨てられる落ち葉の山同然になった。重い紙ならではの擦れる音を鳴らす。ゴミ箱にではない。あろうことか、マンホールの蓋を開けて、下に落とし込んだのだ!
借金の取り立てだとか、請求書でないことはなんとなくわかった。どれも同じような封筒に入っていたからだ、出版社の名前入りで。
あたしは唖然としたまま、その様子を見つめていた。
「ちょっと、ちゃんと選り分けなくていいの? だいじな手紙もあるんじゃ…」
「どうせ読まなくても、内容はわかる。ゴミの山、処分完了」
「ってか、なんで下水道に落とすの?!」
「この下、廃棄物処理場なんで。たまに、嫌がらせでとんでもないブツを送りつけるのがいるから、分別させてるの。さすがに爆弾とかはまだないけど、封筒に現金入りはあったな。警察いわく銀行強盗が隠し場所にしてたみたい。正真正銘の寄附もあるけどね」
マンホールを布張りウエスタンブーツの底で軽く叩く。
よくよく見れば、その蓋の絵柄もアニメっぽい美少女デザイン。なんで、こんなとこにあるんだか…。そもそも、ここは二階。その階下っていえば、さっきの「絶望の快速レストラン~ブレーメンラブ~」でしょ。あの職業不詳な謎の連中、こいつのごみ処理班てことか?!
「まさか売れそうな届き物は、さっきのお店で出品してたり?」
アイドル仲間にいたな。ファンからもらったブランドバッグとか、化粧品とかをぬけぬけと市場へ流している。不用品をリサイクルして、経済を回してあげてるの、とかほざいているのが。落ち目になった歌手のサイン済みCDアルバムがブックオフのワゴンセールで売られていたりもするから、お互い様なのだろう。
「あ~。そのひとの自作のグッズとかイラスト、同人誌みたいなやつは飾ってあげてるけど、表向きにはぜんぶ捨ててることにしてる。展示場になって、聖地巡礼されたら嫌だから。それでも、なぜか送ってくる」
「せいちじゅんれい…、なにそれ宗教?」
「あ、そっか。お供えみたいな? 前にコメが食いたいって後書きに書いたら、大量に送ってこられてね。だから、今はパンを焼かせてるんだけど。夏には冷やし中華はじめました、だし」
なんだ、なんだ。下の店を開くための素材を乞食みたいに募ってるてことか…?
こいつの生み出す、なにかと引き換えに? 芸能人がやるチャリティーマラソンみたいなやつで? つか、こいつがあの店のオーナーなのか? こいつが欲しいっていえば、ゴマンと金品物品を送ってくれる太筋の客がいるってことか? つうか見た目食堂車なのに、冷やし中華って?!
「コロナはファンからの贈り物どうしてるの?」
「…あ、あたしは…、そりゃ、まあ大事にとってるかな。自室に入らないから、よそにトランクルーム借りたりして…」
いったい、この女、何者だろうか。何様のつもりだろうか。
あたしだって貰ったことのないような、たんまりの好意の証をためらいなく処分する。冷めきった、無駄に態度だけ壮大にでかいこの女は。
盗み見るように確認した、郵便受けの金属製のプレートには「STUDIO RAIN」と印字されてあった。その名前にはどこかで記憶があった。個人名じゃない、会社名義。スタジオ? つうか、ここ、なにかの事務所?!
「あんた、『くるすがわひめこ』って名前じゃないの?」
「…は? それ、私の読者その1だけど?」
「『くるすがわひめこ』は会員番号トップクラスの古株ファンか。いるよね~お世話係ぶってしまう界隈の代表者みたいな人」
「…さあね。はじめてみたし、その子。サイン会サボった日におまけでサイン本をあげたお客さん。もひとり、『ひめ』なんとかの名前も書いたかも…。傘、なんでもらったんだっけ? どんな子だったか覚えてないし」
サイン会ドタキャンってあんた…!
あたしがやったら芸能界干されるやらかしだっつうの。あたしは少なくとも傘を貸してくれた人のことは忘れない。こいつみたいに薄情じゃない。なんせ、傘ひとつであんたの家までついてきたぐらいなんだから。しっかし、こいつが言うからには、よほど影が薄いキャラなんだろうな、「くるすがわひめこ」とやらは。
【目次】神無月の巫女二次創作小説「ミス・レイン・レイン」