陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「アンサング・ヒロイン」(十一)

2010-12-25 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女

アイドルは全身が売り物だ。毎日毎時間毎分毎秒が本番勝負。
事務所と契約したその日から、自分は筋書きのあるイメージの権化そのもの。不本意なキャラを演じなけりゃならない。食わず嫌いは許されない。売れるためなら殴られても蹴られても笑え、身内の不幸さえもネタにしろ。雑巾で顔を拭き、汚物でもうまそうに食え。先輩や大物に逆らうな。内臓を売り飛ばす覚悟で生き抜いた奴だけが、巨万の富を手にできる――まさにそんなヤクザな世界だと知ったのは、数年たってからのことだった。

ふつうの仕事師と違って、自宅でもアイドルをやめられない。
この部屋は所属事務所の借り上げ。あたしの駆け出しアイドル人生は、4人の上下二段ベッド付き、トイレ、バス、キッチン共用の古い木造アパートからはじまった。デビュー二年目でやっと1LDK、オートロック付きのマンション、快速が止まらない駅から徒歩10分以内の物件。静かな夜になると踏切の音がしのびこんできたりもする。それでも、自分だけのお城をやっともてた、と誇らしげな気持ちになれた。


あたしのマンションの壁にはこんな張り紙がある。

「アイドルの鉄則十箇条」

その1:知らない人には、のこのこついていかない。気安く媚びない

その2:事務所を通さない仕事は絶対引き受けるな

その3:みだりに芸名でサインをしない、芸名は事務所の商標でお前自身のものではない

その4:ファンから不審なプレゼントを受け取ってはならない(特にナマモノ禁止)

その5:人前では勝手に脱がない、露出させない、素顔を見せない

その6:同業者の悪口陰口は自分に返ってくるものと心得よ

その7:不純異性交遊はご法度(ただし業界人どうしは除く)

その8:不機嫌、不健康、不細工は道を失う

その9: アイドルとは――であるべし

その10:以上の戒めを破った者はアイドルをやめるべし



その9だけが空白なのは、自分で考えろ、ということらしい。
自分の考えるアイドル像とはなにか? お前はそれに向かって誠心誠意努力しつくしているのか? ライブ、握手&サイン会、客寄せパンダめいたイベントのゲスト、トーク番組のひな壇、キャンペーンガール、グラビア撮影。雑多な仕事をこなして帰ってきても、自宅でずっと反省会。24時間アイドルはやめられない。

アイドルというかタレント業は、赤ん坊からはじまって生涯現役でやり通すこともできる。
サラリーマンよりも楽に稼げて息の長い仕事と思われがちだ。ハワイに別荘があるとか、二世三世は有名なお受験校に通ってるとか、銀座の夜店をはしごしてシャンパンタワーで飲み明かしてるとか、そんな夢のある話を聞くと。でも実際は、そんな成功者はひと握り。東大に合格するよりも、アイドルを10年続けるほうがハードル高いのだ。

この張り紙は、入居者が代わるたびなんども張り替えられている。
夢やぶれて荷物をまとめて出ていった者もいれば、よりグレードアップした部屋へと移った者もいただろう。毎年更新されるこの部屋には5年以上住むことは許されないのだ。

あたしがこの部屋に住みはじめて、あと3か月ほどでタイムリミットになる。
アイドルとは何か? その問いかけはここにいるあいだに、どんどん変わっていった。

最初の一年目は「自分の顔の良さと歌を武器にできる仕事」。
10代だったあたしには、同級生のだれよりも抜きんでた場所に飛べた感覚があった。田舎のみんなは地味ったらしい人生を送るのだ。ざまぁみろ。あたしはもっと高みを目指す。自由なのだ。

二年目は「お金持ちになれそうな仕事」。
大物ミュージシャンやプロデュ―サーたちに紹介されて、あたしの世界は広がった。海外旅行にだって行けたし、事務所が大々的に売り出すタイアップアルバムの時は専属のスタッフ班もつけてくれた。

三年めは「20歳を過ぎたあたりから親友ができづらくなる」で。
ライバルの足の引っ張り合いがいやだった。バックダンサーだった同期生たちはソロ活動で売れなければ、ぼちぼちと結婚に逃げていった。イケメンのタレントと仲良くなりそうものならば、親衛隊女子から攻撃されるから、おちおち挨拶すらできやしない。取り巻きがいなさそうなトークの上手い芸人とつきあうアイドルが増える気持ちがわかろうかというもの。

四年目に思ったことは「明るい売春婦」。
こんなヤクザな稼業は他にはない。何者かになるために身を削るのもそうだが、ココロを奪われて塗り替えられるのはもっと苦しい。三文役者に転身できるのならば、まだましなほう。しかも、実際、三十路のアイドル崩れが場末のスナックで働いていたとか、AVデビューした、なんて噂すら耳にするようになった。

自分の写真をみたら、一年ごとにどんどん顔が変わっていった。
もとの素材の良さがあるからいいが、同期の中には整形だらけでもはや原型をとどめなくて、身分証明書をつくりなおす子だっていたのだ。あたしが昔憧れていたスターの歌姫もそうだったのだろうか。

あたし、ひと一倍プロフェッショナル意識は高いと思い込んでいた。
でも、もう、自分がわからなくなったのだ。仕事を失う、それでも、多くの人は住み慣れた家に帰れば、自分まで失うことはなかっただろう。だが、アイドルが仕事を失うことは、自分であることを棄てることを意味したのだから。生み育ててもらった親譲りの顔もなければ、地元で可愛がられてきた子ども時代の信頼も地位もない。うすぎたない、みすぼらしい抜け殻の、漫画じみたドレスを着たままの大人が一匹残されてしまっただけなのだ。

歌えるステージは年々少なくなり、小さくなった。
この前、ピアノ伴奏の姫宮千歌音と競った学園祭のステージ。あんなものに本気で挑まなくちゃいけないほど、アイドルコロナさんは追い詰められていた。現時点での最高位シングルのオリコンチャート68位は、いつもひとつ落とされて不本意な仇名をつけられる。アイドルの歌や踊りは仕事、舞台が人生。なのに、あたしの舞台はどこにも用意されちゃいない。

ある日、やけっぱちになったあたしは――踏切のバーが下りた瞬間だけ、恥ずかしげに歌っていたことがあった。
壊れたオルゴールみたいに。このあたしの天使の歌声、誰にも聞こえないように。なのに、誰かに見つけてほしかったから。雨が降ったあいだだけ、ばか高く大袈裟に踊ってしまっていたりもした。傘もさして往き急ぐひとは、ずぶ濡れで踊り狂う女の顔をまともに見ちゃいないだろうから。誰にも知られない、あたしだけのオンステージだった。もし、この都会で歌えなくなったら、いつだってそんな覚悟で過ごしてきた。

そして、あたしは思いだにしなかった。
まさか、このアイドルの鉄則十箇条のすべてをことごとく破らせてしまうような、とんでもない知り合いができてしまうとは――。



【目次】神無月の巫女二次創作小説「ミス・レイン・レイン」




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