陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

漫画『京四郎と永遠の空』第三巻

2011-11-01 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女
十月が終わりますが、神無月が終わるわけがない。
というわけで懲りずにまだまだ続くんです、神無月語りが。



拝啓、私の読者さま。
漫画『京四郎と永遠の空』最終巻(介錯・富士見書房・2007年8月発売)のレヴューです。

アニメは終了したけれど、連載はもうすこし長くするのかと思っていたのに、あんがい早く物語を閉じてしまった感がありますね。しかし、欲をいえばもうすこし長くてもいいんじゃないかと思います、この物語。わりと気合いいれて描かれていらっしゃるようなので、長く連載するのがたいへんだったのかもしれないですね。設定作りこんであっただろうに、惜しい気もします。

以下、猛烈にネタバレありです。
未読の方、絶対要注意。

アニメで言いますと、第八話あたりから最終話までのお話。
冒頭から痛々しいまでにせつなちゃんの心のなかが切々とつづられるも、ハレルヤ兄さんのはじっけっぷりで台無しに(苦笑) カズヤ兄さん、ほんと、最強、最凶。そういやアニメでの「兄さーん」とかエスメラルダ走りとか仮面とか、小西克之さん繋がりのネタだったんでしょうか(謎)
でも、あっさりやられちゃんですよね、カズヤ兄さん、頁数の都合で(爆)

この後の流れはほぼアニメに沿っています。
ワルテイシアでなく、くうの分身が四人の天使を説き伏せたり、くうが砕ける前にせつなに後を託したのは気持ちがよかった。くう自体がそこで、ちゃんと意思をもって行動していることがうかがえたから。そのために、最後のせつなの行動があったと思えるので。

くうに再会した京四郎が、べつの京四郎だったというオチは、第一巻巻頭の王子様が、カズヤでもなく、京四郎でもない、似ているだけの別存在だったことに答えをあたえている点においては、構成としてうまくいっていると思われます。むしろ、アニメのほうは、あからさまに視聴者感情(とくに神無月ファンの)をかんがみて、せつなとは清い仲であったことを強調していたふしがうかがえます。

あまりふかく考えて読まないほうが楽なのだろうけど、考えてしまうのは。
とくにワルテイシアの立場で、彼女はいわば純粋にこころを捧げているのに、鋼鉄天使のからだ、ありていにいえば不具であるために、カズヤに振り向いてもらえない。してみれば、カズヤは初恋の人(チェーロ)の面影だけをもとめてくうを望んでいた、すなわち下品ないい方をすれば、からだだけが目当ての男だったともいえます。

だから、その兄に勝った京四郎は、ほんとうに「ひとりの」ひとを真摯に愛せる男として描かれるべきなのであって。そしてまた、くうも百人の王子様(=京四郎に似ている人間)よりも、くうが十六歳で出会った綾乃小路京四郎がいいと望んでいたのであって。とすれば、やはり、くうが「あの京四郎」と結ばれるという結論は、そのふたりを裏切ったことにならないだろうか。そしてまた、せつなはどうして、人間のように産めるようになったのか、という疑問も残りますよね。アニメ版でも天使が人間に近くなる可能性(マナを人間に送り返すことができる)がほのめかされていたはずですが、だとしたら寿命はどうなっているのでしょう、とか。余計な考えではありますが。

とはいえ、破壊される運命から逃れ、かりそめにせよ、好きな人の愛を得られることができたので、せつなちゃんとしては救済されていますよね。ちなみに雑誌連載時と結末は変わっていませんが、ラストの後日談部分が加筆されています。これが嬉しい。

それと、もうひとつの疑問は、白鳥くうと他の天使との関係。
絶対天使本体であるくうが、心と体に分かれ、心だけのほうがワルテイシアで、体がさらに分かれたのが他の三人なんですよね。で、心がない器であったから、くうはいつも虚無感を抱えていたと。しかし、心がないなら、どうして人を好きになったりできたのか、と疑問が湧きます。(心がないから逆に、二巻でからだを差し出そうとしたとも言えますね)人間として育てられたから、情緒がひときわ豊かになれただけでしょうか。それと、かおん、せつな、たるろってがマナを摂取しないと生きていけないのは、その分裂した不完全さのゆえなのか。でも、こういう謎の部分は、前作にもありましたから、ま、いいか。

神無月組は、やはり神無月らしい展開。
といっても、かおんちゃんはいいとこなしですが。
ミカの最期にひみこが放つ台詞、なんとも印象的ですよね。──「私はミカ様のおかげで、カオンちゃんとまた会えて、一緒に居させて下さいました」──けっして結ばれない運命だったとしても、再会できる喜びは何にも勝ると、笑顔で言える。アニメ版神無月でいうと月の社に封印される直前の、すがすがしい笑顔の千歌音ちゃんを髣髴とさせますね。このシーンも含めて漫画版京四郎のミカ様は、あまり二人を引き離そうという描写もなかったので、情け深く見えますね。そして、ひみこも(一巻、二巻と違って)頼もしく、逞しく思えます。『アムネシアン』を読んでから、こちらを読み直すと、なんとも感慨深いものがありますよね。

かおんとひみこの愛情は、どちらかというと、姫子と千歌音よりもさらに完成されていて、恋人というよりも苦楽を共にする夫婦に近いですね。その分、あまり恋愛としてのどきどき感は薄かったのですが。アニメDVD二巻附録の「逢瀬」のコメンタリで川澄さんもおっしゃってましたけど、出稼ぎに行く夫の帰りをひたすら待つ妻でしたね…(笑)

天使と人との物語は、原作者先生が十年来あたためてきたテーマだったそうで。
はたして、この物語だけで決着はみておらず、今後も追求されていくのではないかな、と感じました。この漫画家さんは、禁断の愛や障害の多いロマンスというテーマのうちのひとつの枝分かれとして百合を描いているので、神無月の純愛に慣れていると、本作や『アムネシアン』で距離を感じてしまうかも(アムネシアンの愛宮がとくに…(絶句))いかがわしいニュアンスやモチーフを多用することが多く、話運びも土壇場になって強引にねじ伏せるところがありまして、かなり好き嫌い分かれるかと思いますが、絵はものすごく耽美で好きな画風です。ネームも妙なインパクトがありますよね。時代がかったレタリングとか。


【漫画「京四郎と永遠の空」レヴュー一覧】


【追記】
10/23
ウェブノベル「姫神の巫女」が更新されています。
修羅場です。修羅場です。修羅場です。



この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« フィギュアスケート スケー... | TOP | ☆芸術文化と映画 その3☆ »
最新の画像もっと見る

Recent Entries | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女