陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

リメンバー・ヒロシマ

2022-08-06 | 政治・経済・産業・社会・法務
広島の原爆ドームは、二十世紀のもっとも美しい遺跡のひとつだ。しかし、それは悲しい美しさである。

どのような廃墟にも死者の魂はつきものだが、この遺跡には太古ロマンがない。なぜか。まずもって、これは王族の墓でも、時の権力者の偉業や豪奢ぶりを語るものではない。千年経とうが、万年尽きようが、これは古代遺跡にはなれない。なれっこない。その周囲は市街地にして、刻々と現代化している。しかし、京都の町家のような、モダンとポップのキッチュなかけあわせとは呼べない。

ひとはこの建物を遺跡とは呼ばないだろう。時として悼みを感じ、祈りを寄せてみても、これを遺跡とはみなさないだろう。なぜなら、この存在が創造ではなく破壊の産物であるから。死者を弔うために、ひとは墓標を創造した。墓標は芸術の源泉のひとつである。生者を含む墓標が建築になり、死者を飾る墓標の外側が彫刻や絵画になった。
多くの国は戦争を忘れないために、新しい創造をする。当時弱冠21歳の学生であった米国の建築家マヤ・リンのデザインした、ベトナム戦争戦没者慰霊碑のシンプルさは、しばしばパブリックアートに関する論考で引用されている。伝統的な英雄のモニュメントや戦没者を讃える碑文もなく、ただ戦没者の氏名のみが刻まれている、要するに、完全なる墓標と化している。そこには、芸術家の制作意図をこれみよがしにかたちにする意思も、また戦争を賛美する気持ちもない。
アジア系であったマヤ・リンにとって、ベトナム戦争はある意味、米国が自身のホームグラウンドを荒らしたという気持ちがあったのかもしれない。この戦争が侵略であり他国干渉であるということはメモリアル・ウォールには記されていないが、それはこの21歳とおなじ当時の若者のほとんどが認識していたことだろう。

ベトナム戦争より二〇年前、米国は枯れ葉剤よりも強力な兵器を、日本の都市に投下した。広島、長崎の原爆である。
広島には教科書に必ず載っている筋骨隆々の前時代的な男性半裸像があり、犠牲者の氏名も碑文に刻まれている。だが、なにより原爆を語るのが、あの沈黙のドームである。
かつては広島県産業奨励館として、美術展がさかんに開かれていたこの建物は、原爆投下時には木材置き場として使用されていた。

1960年代に風化を理由に取り壊しが検討されたが、保存運動によって永久保存が決定。
原爆ドームがユネスコの世界遺産に登録されたのは、1996年のこと。このときアメリカ合衆国はかたくなに反対した。
原爆ドームは、戦争の惨禍を伝える生き証人であり、軍備拡張したかつての日本の、そして今もなお核兵器の保有によって国威を掲揚する虚飾の大国の愚かさを訴えてくれる。オバマ合衆国大統領のプラハでの核廃絶演説は、被爆者たち、反戦運動家にとって希望をもたらしている。

しばしば説かれることだが、日本の現代の若者は戦争に対する抵抗感がかなり薄らいでいるという。
それが戦争ゲームだとか巨大ロボットなり魔法陣なりで戦うアニメの影響などとは、安易に言いたくはない。迷彩服はファッションになり、銃のおもちゃは戦争への憧れを駆り立ててしまう。私自身、軍服をながめてかっこいいとさえ感じる。
けれど、戦争はごめんだ。よく戦争になったら社会システムが崩壊し生活が変わるというが、得をするのは戦争で儲けようとする人間か、うまく新興勢力として台頭してきた野心家ばかりだ。
たとえどんなに退屈で、理不尽なことが多かったとしても、戦争で家を焼かれ、家族を奪われ、そして銃を手にして戦わねばならないような師と隣り合わせの生活よりはよほどましであろう。

中学生の修学旅行で訪れた広島を、大学生の夏休みに再訪問したことがある。
メインの目的は広島現代美術館の外庭にあるヘンリー・ムーアのアーチを眺めることだったが、時間が空いたので原爆資料館に立ち寄った。中学生のときは恐くて正視できなかった、おぞましい街の破壊や被爆の記録の数々を、ていねいに見ていった。しかし、その後、足を伸ばした原爆ドームでの体験が衝撃的だった。あの半壊した建物の壁を超えて中に入ってみると、マグネシウムのような焦がした匂いがし、頭にキーンという痛みが鈍く走った。
放射能がまだしも残っているとは思わないが、あの痛み、そしてそこに存在していることの気味の悪さに、めまいがした。それはただの熱中症としては片づけられないような衝撃だった。

今でも、この日になると、あのときのふしぎな感覚を思い出す。
半世紀以上も前、あの街にいた人ならばなおさらだろう。原爆ドームはけっして忘れてはならない戦争の非道を語るうえで欠かせない負の遺産である。

(2009年8月6日記事の再掲載)



この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« Excelで家計を一括管理しよう | TOP | ★神無月の巫女×姫神の巫女二... »
最新の画像もっと見る

Recent Entries | 政治・経済・産業・社会・法務