二次創作論を下書き時代から書き続けてすでに6年近くになります。
今回の主張も、過去の発言の繰り返しにはなりますが、自分の二次創作を楽しむための指標として書き残しておくものです。
私の居住地域では例年恒例の行事があります。
集団で踊り歩き、観光客を呼び込むビッグイベント。踊り子たちはプロのダンサーではではないが、毎年この日のために訓練されたエキスパート。当時開催中に隊列を組み、お囃子を流し、楽器を奏で、舞うわけですが。ここに観光客が飛び入り参加してもよいことになっています。サッカー会場だと連れ出されますけどね。
衣裳も不格好、踊りも素人くさい。それでも邪魔だと言われたりしませんし、踊り子たちも歓迎しています。その日、その夏、その夜だけ、見も知らぬ踊り手たちが仲間になるのです。踊り子たちにももちろんプライドはありますが、下手くそな飛び入りを邪険にしたりはしません。それが、そのハレの場を明るく楽しくするための不文律だからです。そもそも踊りの連のなかにも、上手い人下手な人が混在しています。それでも誰一人欠けては、そのチームは成り立たないのです。
二次創作の本質もまた、これと同じではないでしょうか。
無料のブログよりもネット上の有料サーバーで自サイトを運営している方がITスキルが高く、手間をかけているかもしれない。SNSで集客したほうが、そりゃ知名度はあがるだろう。同人誌の販売をしたら顔をが売れるのでファンになってくれる人だって増える。
それでも、どんなカタチであれ、二次創作者には変わりはありません。
所詮、他者のブランドを借りている、素人創作なのです。著作権上のグレーゾーンにいるだけの。公式からお見逃しされて、ファン活動として許されているだけで、大げさな営利活動をたちまちお叱りをうけてしまいそうな、私たち二次創作者はそんな危うい存在です。
二次創作をするために、これだけ頑張ったとか、それを語るのは自己満足でしかない。
どんな工夫をしようが、努力をしようが、それをやらない人、できない人、その原作ジャンルを知らない人、そもそも二次創作自体に興味の欠片もない人からしたら、どうでもいいことですよね。暑苦しいだけです。
本業の片手間で息抜き程度に二次創作をする側からしたら。
二次創作に熱を入れる人が語るお作法なんて、できっこありません。時間もお金の余裕もないですし、オタク仲間とだけ交流しているわけではありませんから。
もちろん、趣味にどれだけの時間とお金をつぎ込むかは個々人の自由です。
競い合ったりして作品を高め合ったり、ネット上で意見を交わしたりして生まれる創作もあるでしょう。ネットワークを築いて、励ましあっていればモチベーションも上がるでしょう。明治の文人たちがはじめたらしき「同人」のほんらいの意味はそういう共同創作の理念ですから。
でもね、ネット上で知り合ったばかりや、そもそも本性を知らないような相手に対して、かってに自分の「同人」扱いして、自分のルールやマナーやらを押し付けないでほしいのです。
どんな絆もこじれたら、縛りになります。いくら自分が二次創作歴が長くて、コミケ出品もしてて、セミプロ作家として商業デビューしたことすらあって、いっぱしの玄人だと自負していても。あなたと私は異なるわけですから。そして、誰かがどこかで自分はこうしたいと書かれてあっても、それに律儀に同調する必要など、読者にはまったくありません。
二次創作に関する「ねばならない」で自分をがんじがらめにすると、やがて楽しめるものも楽しめなくなります。ついには誰彼かまわず周囲を怨み、頑張っているのに自分は報われないという呪いにかかって、他者が敬遠したくなるようなゾンビになってしまいます。そんな人生楽しいですか? だったらもっと別のことに注入したほうがよくないですか?
SNSの良し悪しだとか、字書きと絵描きは上か下かとか、キャラの受け攻めはとか、そういった狭隘な界隈のしきたりにしばられず、本来は自由自在につくって、読む人だけふらりと気ままに立ち寄ってくださいね、時間下さったらありがとうね。それぐらいのペースが、書き手にとっても読み手にとっても双方幸せになる二次創作の在り方なのではないか、と──二次創作論をむだに書き続けてきた私はいまさらになって思うのです。
相手の幸せを願うのならば、その人の自由や時間、欲望をいたずらに奪ってはならないのです。
ただし公益性に反するものは別としましても。
(2022.06.12)