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陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

二次創作者は二次創作だけやりゃいいわけでもなくて

2025-05-20 | 二次創作論・オタクの位相

二次創作者は二次創作だけ見せてほしい。
個人の顔がみえる日記や雑記の類なんぞ読みたくない。そんな意見もあります。私は直接言われたことはありませんが(というか、そもそも交流していないので!)、なかなか耳に痛いお言葉です。

いにしえの二次創作者の活動ステージだった個人サイトならば、作品の展示ページがあって、プライベートはブログで、なんて切り分けも可能でした。ついでに掲示板ページもあって交流スペースになっていました(たまに荒らしのターゲットにされたりもしたようですが)

ところが、SNSとくにX(旧ツイッター)が登場すると、作品公開も、個人のつぶやきもごったまぜ。作者の名前だけ知っているはずが、手足がにょきにょき生えて、ありのままの姿や体重までもがありありと浮かんできます。百年の恋も冷めてしまう、なんぞということもありえるでしょう、残念ながら。

しかも、しかも、リツイートで興味のない他人の作品やつぶやきまで侵食してきます。見たくもないものがさらに増えます。余談ですが、リツイートという言葉を残すぐらいならば、ツイッターは改名せんでよかったのでは?と思ってしまうのは私だけでしょうか?

器用な人はメディアを使い分けたり(プライベートな画像日記はインスタにするとか)、お絵かき投稿用だけのアカウント運営をしたりしてみますが、私にはとうてい無理でした。ねえ、そんなにあちこちにセカンドハウスをぶっ建てまくって、管理すんのめんどくさくない? 鍵忘れたら入れなくなるじゃん?(←現在のブログのIDを忘れて二回ほど別のプレハブブログを建設した人です)

というわけで、拙ブログでは、サブカル以外の趣味カテゴリーを増やして、謎の考察や日常の記録をほそぼそとつづるスタイルになっています。

私がピクシブ等のような二次創作者にうってつけの媒体に移らないのも、アクセスがめんどくさいというのもありますし、いずれ、二次創作ができなかった時のことを考えて、複数のよりどころをつくっておきたかったからです。退路を断って、この界隈で一旗揚げねば討ち死に覚悟なんて、真剣勝負じゃなしに。ピクシブはジャンルごとに探しやすくて便利なので、存在自体は大歓迎、なのですが。

かつて栄えていた個人の二次創作サイトやブログは、令和の今になって、閉鎖しているところが増えています。
手間をかけて有料のサーバーなどをお借りして育てていらした趣味の場所。なのに維持にコストがかかるから、残しておけないという判断なのかもしれません。ブラウザが対応できないとか、環境面の問題もあるのかもしれません。20年近く二次創作をしている身としては、寂しいものがあります。

ほんらいは二次創作者なんぞ、仮面の存在であった方がいい。
仕事の愚痴だとか、社会批判だとか、ないほうがいい。キャッキャうふふなかぐわしい百合テイストな話を書きながら(…?)、女ともだちとのこじれなんぞ暴露しないほうがいい。年齢も不詳で、謎めいた妖精のような立場を装っていた方がいい、かつてのアニメ声優がそうであったように。若い頃はそうした美学があったものです。

二次創作を発表している拙ブログで、ここ近年、かなり自分事の記事を増やしすぎた感はあります。
なりふり構わなくなったのは、気取ったり、飾ったりせずに。ヲタク界隈にある競い合うような消費行動にもアジテーションにも巻き込まれたくなくて、もっと自分の歓喜するもの、それぞれに、そのときどきに素直に、その感動をありのままに書き綴ろうと思いはじめたからでしょう。あるひとつの作品語りやニッチなジャンルを極めていくのも通好みではありますが、どこか閉塞感を覚えることがあります。

とくに私のように他者と交流したくて、二次創作や意見表明をしているわけでもない者にとっては、むりやり会話のテーブルに巻き込まれるのは窮屈。気を遣うことにストレスを感じて、そこから逃げ出したくなります。作品の良し悪しや論争の勝ち負けをつけたがる戦闘的な人も、ウェブ上にはいるので、コツコツ独り語り派にとっては生きづらいものです。

そのためにいいのが、複数チャンネルの趣味をもつことです。
私自身がアニメや漫画を大量に観ないのも、限られた作品をていねいに味わいたいからですし、サブカル鑑賞以外にも大事にしたい時間やモノも盛りだくさんにあるからです。小さな幸せを感じるものは、多ければ多いほどいい。興味本位ではじめた趣味も、飽きるか続くかは気分次第。つまみ食い感覚で、気軽に楽しんでいきたい。それで食い扶持をかせぐわけじゃないのだから。

どうしても、オタクは自分のいるフィールドにこだわる性分があります。
同じ作品や嗜好を愛するといっても、生まれも環境も性別年代も異なるものどうし。どうしたってひずみは出てきますし、表面上は同意しつつも、完全に重なり合うことはありえません。だから、気まずくなってしまう。

かつて、美術研究で作品解釈をめぐって象牙の塔のなかでの美意識や倫理のすれ違いをいやというほど痛感。たどりついた結論は、他人と何かから何まで価値観を共有しあわなくてもよい。わかりあうのがすべてではない。
ひとつの界隈の人間関係で行き詰まっても、別の世界でまたはばたくことができます。

ちなみに私はリアル知人に、二次創作はもちろん好きな本だとか、美術好きだとか、ヲタク趣味の現在をあまり語らないようにしています。
語りだしたら止まらないせいでもありますが(笑)、自分の好きなものを肯定してくれることが、相手が自分を受け入れてくれるものだと勘違いしないためでもあります。どこかの本に、主義主張が同じ人だからといって友だちになれるわけではない、と書いてありましたが、これはそのとおり。相手の性格次第では、目指すところが同じであるべきが仲違いしてしまう結果になりかねません。

趣味で他人と一体感を得ない。
それは孤独で独りよがりな二次創作を自由気ままにしていくと決めた私ながらの、生存戦略といえるのかもしれません。この方針は世間の二次創作者のそれとは乖離しているだろうと気づいていますので、あまりおススメできるものでもありませんが…。



(2024.11.28)





【二次創作者、この厄介なディレッタント(まとめ)】
趣味で二次創作をしている人間が書いた、よしなしごとの目次頁です。二次創作には旨みもあれば、毒もあるのですね…。





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