陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

Happy Twenty! ──このふざけた大人の世界へようこそ

2019-01-14 | 自然・暮らし・天候・行事

本日14日は成人の日ですね。
昨年の法改正で、2022年には18歳から成人を迎えるようになります。したがって、場合によっては、高校生でも成人年齢に達してしまう。現在の15歳中学三年生でも、3年後には、大人の仲間入りをしてしまう。でも、日本はむしろ高校生ぐらいまでは優等生だった人が大学生ぐらい、下手すれば、社会人になって羽目を外して児戯に類する行いをしてしまうケースもあるのではないでしょうか。

ちなみに私は、成人式の日(当時はまだ15日)が、ちょうど大学入試センター試験日でした。
浪人したのではなくて、現役受験生。事情があって、20歳で高校生だったわけです。そのため、成人式に出席もしていません。20歳の誓いも何もあったものでなく、なんとなく、このお祭り騒ぎめいたイニシエーションを通過していないことが、いまだにもやついている次第です。成人式といえば、毎年、新成人のやんちゃなふるまいが話題になったりもしますけども。最近は大人しくなったのか、少子化のせいか、少年漫画のようなわかりやすい不良も、暴走族も、田舎でも見かけなくなりましたよね。

それはともかく。
今回のテーマは、若いうちにしておきたかったこと。そのむかし、女性芸人のエドはるみが、「成人式は二度迎えております」と語っていましたが、そのうち、人生百年時代が訪れてもおかしくはない時代。とはいえ、年老いてからよりも若いうちに挑戦しておいたほうが伸びはよいものもあります。そんなものを自分なりに考えてみました。

・資格の取得
いま、いくつか士業ふくめ資格は持っていますが。やはり若いうちに勉強しておくに越したことはありません。スマホ老眼が進んでしまうと、細かな字面を追うのが難しく、分厚いテキストを抱えるだけで疲れてきます。記憶力も衰える。法律事項なんていくらでも改正するので厭っていたのですが、取得してから行政や社会保障のことなど、生きていくうえで必要なことに興味が湧くようになりましたけれど、ほんとうはもっと早く知っておくべきでした。

・自分の専門外の勉強
国立大学のみの受験生でしたので、五科目勉強しましたが、受験に必要ではなかった科目がおざなりになってしまいます。物理、数学はかなり苦手、生物は気持ち悪くて避けていて、世界史はカタカナが苦手、政治経済はなんらの面白みも感じない。大学時代も美術のとくに自分の研究分野を深めて掘り下げることばかりしていたので、全般的な文化史の流れを理解できていません。現在の東大の経済学部の学生でも、数学ができなくて大学の授業についていけないひともいると聞いて驚いていますが、受験のためだけに学ぶのはもったいないですね。

・運動部に所属
高校時代に空手、大学時代に合気道をやりましたが、段位まで届かないまま、中途半端でした。運動の趣味をもっていると人の輪が広がりやすく、健康を保てます。ただ、後遺症が残るような怪我をしなかったのはよかったと思いますが。合気道は好きでしたが、部活の飲み会でのアルハラがひどかったので続けるのは無理でした。いまはウォーキングぐらいですが、下手に冬の朝にはりきりすぎると体調を崩すことも多くなりました。運動は若いうちからやっておいたほうがいいもののひとつですね。

・自動車の運転
田舎に引っ越してから運転免許を取得。交通法規とドライブ技術の基礎はもちろん学んだものの、道路は走りなれないとわからないもの。交通事故を起こしてはいないのは幸いであるけれど、ドライブは地元ばかりであまり遠出をしたことがないので、知らない土地では地理に不案内なことが多くて不安になります。

・営業の仕事
むかし、専門商社に企画編集として勤めていた頃、営業職に行かないかと言われたことがあります。自分は研究肌だと思っていて、車の免許がなかったので当時断ったのですが。よく考えたら、全国どこへでも出張できたし、いろんな業界の企業訪問もできたはずなので、かなり後悔しています。人あたりのいい営業マンに接すると、この人は人に揉まれて磨かれてきたんだろうなと思うわけです。

・パソコン技術
いや、PCはもちろん使えるんですが。イラストレイターとかフォトショップとか馴染んだものではなくて、エクセルの高度な処理とか、もっと実用的なものですね。パソコンでの経理処理が苦手です。ITにもあまり興味ないので仕方ないのですが。

・語学の習得
これも一時期、熱心にラジオ講座なり視聴してはいたのだけど頓挫しています。新聞にある英字ニュースなどは時間があれば読んでいますが、もっとサクサク読めるようになりたくて。昔のように、多少の英会話もできるようになってみたい。ちなみに、さらにやってみたいのは中国語の習得だったりします。中国人か台湾人か、趣味のサイトの文章を読んでみたいと思ったことがあったので。

・古典名著の読書
なんとなく古めかしいから、時代遅れだから、と毛嫌いしていた古典文学。この年になって読みだしてみたら面白くて、なぜもっと早く出会わなかったのかと後悔することもあります。とくに世界文学ですね。最近は新訳も出て、わかりやすい解説のある、文庫本も出ているのでこれから踏破していきたいです。ただし、人生経験を経ないとわからない滋味というものもありますから、一概に若いから楽しめるわけでもなさそうです。


逆にやらなかったけれど後悔していないのは、博士号取得と留学ですね。
パスポート取得したことあったけれど、海外旅行も未経験。しかし、いま危険が増しているので出掛けたいとも思いません。日本はむしろ海外の方がおいでくださるような観光立国になってしまいました。

上記のは、べつだん、高齢者になってもいくらでも挑戦できそうなものもありますが。
結婚とか、出産とか、若いうちがタイムリミットのこともありますよね。命の残りが多いことにかまけて、人生の先輩のありがたい助言を無視してしまったこともあれば、確証がない自分の判断で危地を切り抜けられたこともあります。うかつな言動で人間関係を壊してしまったこともあれば、疎遠にならざるをえなかったひともいるもの。

日本は新卒すぐでないと好条件の就職口が閉ざされてしまうなど、若いうちにしっかりと人生設計を立てておかないと経済的に先細りしてしまうという見方が多い。そのため、家庭の事情もあって夢を諦めたけれども、やり直せるならば挑戦したいという声もあるようです。しかし、いっぽうで、その夢のある仕事に就いてはいるが食えなくて後悔しているひともいるでしょう。

人生は選んできたものの連続で成り立っています。
自分が進まなかったほうにいい結果も悪い結果も待ち構えている可能性はあったわけで。私は、若い人に、なんでもかんでも好きなことに、お金の心配なんかせずに、飛び込めとは言えません。その道の第一人者にけしかけられたとしても、一時的に高評価を得られたのだとしても、長じてみればその分野が衰退していることもありえますし。がむしゃらに努力してみろと、応援のそぶりは見せつつ、とても情けないことに、わたしたち大人は若い人の失敗を引き受けてやるぞと自信をもって言えません。むしろ、陸上部の学生に鉄剤注射をおこなってカラダを壊させておきながら、おのれのコーチ生命のために一時の勝利ばかり追い求める、傲慢なおとなが多いのも事実です。大学入試の不正では、少なからずの受験生の将来が否定されてしまいました。

成人の日になると、新成人の初々しい抱負の宣誓が報じられるとともに、新聞などで大人たるべき者は云々の訓戒を見かけるわけですが。自由にともなう責任も増えたいま、企業のコンプライアンス違反や芸能人の不道徳なども目立つ昨今、あの若かったころと比べてどうなのか、と自分をふりかえってみたくなる日でもありますね。ブランドものを買いあさったり、お酒に強かったり、ドラマチックな性愛に浸ったり、小難しい言葉を使ってみたりするのが、けっして大人である必要条件ではないことを知る頃には、もう青春は過ぎ去っているのかもしれないのです。


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