陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

松井秀喜のエッセイ『不動心』

2015-11-19 | 読書論・出版・本と雑誌の感想
スポーツとくにサッカーや野球などのメジャーな競技には興味がないせいか、競技者に関する手記はほとんど読んだことがありません。彼らのような天才的な技術と強靭な肉体に恵まれた方の人生と、自分はまったくほど遠いと思いこんでいたからです。ところが、とあるビジネス書を読んでいるうちに、松井秀喜氏の言葉の引用があり、ぜひとも本著を手にとってみたくなりました。

2007年刊行の書籍『不動心』は、プロ野球選手の松井秀喜氏が発表した手記。33万部のベストセラーになりました。この「不動心」という言葉はおもに日本の武道や芸事で聞かれる言葉なのですよね。スポーツや芸道に通じた達人のみならず、一般社会に生きる私たちでも、心に沁みる言葉がつづられています。

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松井選手といえば、私が記憶するのは、星稜高校が甲子園に出場したときの敗戦。
高校1年生にして怪物と怖れられていた彼は、対戦する明徳義塾学園に5打席連続敬遠を浴びせられ本領を発揮することができませんでした。でも、マスコミに対し彼は不満を一切述べなかった。しかし、日本国中がこの話題で沸騰し、注目を浴びることになります。

この手記を読むと、松井少年は最初っから夢はでっかくプロ野球選手にと無謀に考えていたわけではない。ただひたすら実直に練習を続け、いい師匠に巡り会い、巨人軍に迎えられて、長嶋茂雄という名監督に鍛えられ、そしてメジャーリーガーとして活躍したのです。もともとは阪神入りを熱望していたのですから、巨人入団も不本意でした。しかし、長嶋氏との特訓の状況を知ると、いかに彼が逸材として愛されていたか分かります。師匠や、同僚、そしてライバルや、自分を支えてくれる周囲、そして揚げ足をとるマスコミの取材にも、鷹揚さを失わない。

あまり弱音を口にせず寡黙であることから太っ腹との印象が強い松井選手ですが、この手記では仰々しくない程度に自分の弱音も吐き出しています。とくに2006年の左手首骨折による連続出場記録が断たれた悔しさについて触れた場面。ほんらいならば自分の不遇を嘆いてもおかしくない状況で、彼は支えてくれる周囲に感謝しようとします。

実はこの本を手にした当時、私のおかれた状況について理解のない言葉を、知り合ったばかりの人に投げつけられ、たいそう不愉快な想いをしました。自分は傷つけられた者なんだぞ、とこのように主張する自分自体が他人から見れば滑稽であると見えたのでしょう。私は正直に申し上げますと、松井選手のように、周囲に配慮できたりはとてもできそうにありません。困っているときこそ周りに感謝できる人こそが、大人です。そのような言葉は言葉の意味として分かってるけれど、ひとの人格をこき下ろして笑っているような方に説教されたくない言葉です。

ですから、私がまったく遠い存在だと思っている松井選手が「周囲に感謝することの大切さ」を説いたときに、私は救われたと思ったのです。説いたというか、彼はただそうしたのだ、と語っただけで、そうあるべき、だと言い募っているわけではない。それが人柄の良さではありませんか。

興味のある方のために、気になった言葉をここに引用しておきます。

「悔しさは胸にしまっておきます。そうしないと次も失敗する可能性が高くなってしまうからです。コントロールできない過去よりも、変えていける未来にかけます。」
「腹が立ったり、不満が出てきたりするのは、仕方がありません。思ってしまうものだから、自分にもとめられない。でも、口に出すか出さないかは、自分で決められます。そこに一線を画した方が、自分をコントロールできるような気がします」
「心が変われば行動が変わる。行動が変われば、習慣が変わる。習慣が変われば、人格が変わる。人格が変われば運命が変わる」




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