「あっきれた。飼い猫のほうがよっぽど、いい食事にありついてるなんて」
コロナが指さしたごみ箱の中身のいちばん上には、高級な猫缶の空き缶が捨てられてあった。カルカン、猫まっしぐら──そんなCMのフレーズが有名なあの猫缶。きょうの買い物だって、ほぼ半分は猫の餌だ。まさか、こいつの主食もコレなのか?!
「猫は食事に気をつけないと、病気になったらやっかいだし」
「やっかいなのは、あんたも同じよ。猫並みに口利けないくせに」
「……」
「ちゃんと食べないと、また倒れるわよ? ねえ、聞いてんの?」
「…紙に描いたら食べた気分になるから、それでいい」
「ヤギじゃあるまいし。絵にした餅なんかで、滋養つくわけないでしょ。あたしが…」
「はい、はい…っと」
バカにしたような口調だが、彼女なりのややつっけんどんな気づかいなのだ。
こういう所帯じみた雰囲気には、ほとほと弱い。眉をつり上げる友人の声をあしらうように片手を上げて、レーコは生返事で済ませた。コロナの頬は不満で膨らんだままだ。まだ、なにがしか言いたげだった。
──ごふっ。つごうよく、コーヒーメーカーはドリップの完了を告げた。
ポットからセピア色の液体が、マグカップふたつに注がれる。モスグリーンとオレンジのお揃いのマグカップ。煎れたてのコーヒー豆の香ばしさが、あたりに漂っている。上質なコーヒーは、その場を癒しの空間に変えてくれる。徹夜続きのレーコのこだわりだ。コロナの分には、小容器入りのミルクとシロップを用意して、ティースプーンも添えてトレイに載せた。運ぶうちに位置が微妙にずれてしまう。
──が、コロナはさっさと自分の分だけ奪っていった。
さっきのはぐらかしへの仕返し、それとも、レーコの運ぶ労力を半減させたい気配りなのか。
レーコはといえば、やれやれという顔つきで、左右ふたつに分かれた後ろ頭を追いかけて、リビングに戻る。白猫がなにかを期待して、主の足もとにじゃれついてきたので、うっかり転びそうになった。猫の足のとったりは相撲技よりも強烈だ。なにせ絶対に引きはがせない、踏み落とせない。
向かい合わせにソファに座って、なにげなくはじまるティータイム。コロナのコーヒーは、ミルクで甘く明るんでいた。
猫はテーブルに前足をついて、容器に残ったミルクをさかんに舐めている。満足げに瞳を細めて舌がちろちろ。相当うまいらしい。レーコが前にしゃがみこんでも、ゆったりゆったり飲み込んでいく。
「このコも飲みかたが落ち着いたわ」
「拾ったときは、かなりがっついてたものね。感心感心」
買い物袋からとりだした、キャンディ結びのひと口大チョコレート宇治抹茶味。
それを掴んで、レーコが猫のまえにさしだした。ほうら、こっち。そうら、あっち。チョコの包みの反復運動を追って、猫の瞳も右へ左へと流れる。
「ネココ。ほら、食べる?」
「あんた、ほんっとバカね。猫にチョコなんてあげたらダメなのよ」
好奇心を示しては前足の先で引ったくろうとする猫を制して、コロナがひょいっと抹茶チョコをさらい、紅鮮やかな口に放り込んだ。レーコがうすく笑みを浮かべている。猫はいい。なんといってもわかりやすい。欲望に忠実だ。噛む、砕く、飲み込む。獣は口から生きようとしている。だからあぶなかっしい。そして、可愛い。守りたくなる。猫をダシにして、甘い記念日をつくる──この思惑が成功したのだから。
角張ったチョコを内側の熱で溶かしている白い頬をゆるく動かしながらも、コロナはそのわずかな表情の変化を見のがさない。レーコの笑顔がすこぶる気味がわるい。
「なによ、なんか、おかしいの?」
「別に。ただ、きょうのチョコはごたいそうなラッピングなしで、食べてもおいしいんだなって」
コロナを見つめながら、レーコもひとつ口に含んだ。
飾りっけなんかなくっても、ふたりで食べればおいしいのだ。そのチョコレートには、おおきな付加価値がついた。レシートのお値段以上に。
レーコはこの感情の起伏に富む友人が大好きだったのだ。
いくら眺めていても興味は尽きない。言葉やしぐさの裏側にある他人の思惑がいやというほど見えてしまい、類型的な対人関係については飽き性ぎみの漫画家にとって、この歌姫は新人類といってもよかった。好ましい対象であるという意味だ。生きることに、伸びることに貪欲で雑草のように負けない。月が蝕の太陽を覆い隠しても、その輪郭からこぼれ落ちる光りのような、しぶとさがある。物語の主人公じゃなくていい、だけど、脇に輝いていてほしい。この女はそういうキャラだ。
【目次】神無月の巫女二次創作小説「グリーン・バレンタイン」