陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「グリーン・バレンタイン」(二)

2009-02-16 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女

マンションの自室前に着いた際に、左手首の時計盤を確認した。午後二時過ぎ。
コンビニ袋を下げた手を左に変えるのももどかしく、袋の輪が枯れ木のような細い手首を締めつけるのも構わずに、キーを回した。
ドアを開いたとたん、眼を見張ったのはその室内。たしか外出する前は、ごみ箱の山からはみ出ていた描き損じの原稿が、しわくちゃになって床のそこかしこに散らばっていたはずだ。反故の原稿を完全に棄てないのは、破るのが忍びないため。いつか再利用できるのではないか、惜しむ気持ちがごみ箱を永遠に底の見えない保管箱にさせる。いま床はきれいに片づいて、掃除機がかけられている。キッチンの流しに放置していた食器も、水切り台のうえに整然として伏せられていた。

ここ半月の修羅場と化した部屋が、みごとな清潔さを取り戻していた。
──が、べつだん驚くこともなく漫画家は、春めかしいパステルグリーンのコートを脱ぎながら、リビングの中央に居坐る女に声をかけんとする。

正式な住人ではないけれど、その女がいるのがいつのまにか、レーコの日常になっていた。
「以前の一件」もあって、この来客はマンションの管理人に顔が利いている。たぶん、何やかやと理由をつけて、鍵を開けてもらったのだろう。かってに入り込まれてもいやな気分がしなかったのは、ひそかに出会いを予感していたからか。

「なんだ、コロナ来てたの?」
「んー、あ、おかえりー」

二〇型のテレビモニタに映しだされたカーレースに夢中になっている、ツインテールの女は、こちらを振り向きもしない。
あぐらをかいた女の脚には、白猫が気持ちよさそうに丸まっていた。
コントローラーを両手で握りしめている女。画面を走行するイエローグリーンのレーシングカーの動きにあわせて、へんちくりんにからだを傾けながら、ああっ、だの、おおっ、だの、唸りをあげている。車線を這う複数の先行車を首尾よく追い抜いていたはいいが、急カーブでハンドルを切りすぎた拍子に、道路沿いの標識に激突してしまった。爆発の吹き出しに囲まれた「Game Over !」 の文字がおおきく画面上にうかび、あっけなく初期画面にリセットされる。
ああっ、ちくしょ~っ! 悪態をついて、女はコントローラーを放り出した。

「ねぇ、ちょっとぉ! このコントローラー、イカれてんじゃないの? あたしの操作、受けつけないわ」
「ハンドル捌きは運転手を裏切らない。コロナが乱暴に扱ってるだけ」

ぷい、と横を向いたので、ツインテールの先が小気味よく跳ね返った。
おやおや、いつもなら、ここでふた言、三言は加えて、槍を構えた兵士みたくにつっかかってくるはずなのに? レーコはいぶかしんだ。

コロナがあぐらを解いたので、猫は太腿の輪からひょいと飛び退いたものの、すぐに横っ腹にすり寄ってきた。喉をごろごろ鳴らして甘えるしぐさ。
これには不機嫌なコロナの顔も、おのずと柔らかくなる。さいきん妙になまめかしい声で鳴いてはお尻をすりつけてくるのは、この牝猫も春を感じているからなのだろう。

ゲーム中、猫を膝にかかえていたせいでじゅうぶんに動けなかっただろうに。
コロナがそれを口にしないのを、レーコは好ましく思った。この猫は、負けん気の強い歌姫が来る前からの、この家での大事なパートナーなのだ。

キッチンの床には、空になった皿があった。
白い猫のごきげんなのは、ほどよくお腹が満たされているからだ。人見知りの激しい猫で、猫嫌いの担当者の手を引っ掻いたことだってあるのに。なぜだか、コロナにはすぐになついたのだった。猫に気質が似ているせいか。勝手にひとん家に入り込んでしまうあたりが。

「ネココに食事あげてくれたんだ、…ありがと」
「そいつが、にゃあ、にゃあ、うるさいからあげただけよ」

愛猫を胸に抱きながら照れくさそうにそっぽを向く友人を、レーコは可愛いと思った。
お互い、女の子らしくありがとうを言われるのには慣れていない。だから、さりげなく掃除をしてくれていてもお礼を求めないコロナは、レーコにとっては気のおけない間柄だった。

レーコは買い物袋をリビングのテーブルに置き去りにして、キッチンへ向かった。
お茶を準備しているらしい。コーヒーメーカーのスイッチも入れたのに、さらに別口でポットのお湯も湧かしている。買い物を冷蔵庫に収めないことを怪訝に思ったコロナ、図々しくも袋の中身を拝見。ああ、やっぱり。翠のものがない。呆れ顔をした。

「あんた、まぁた、こんなものばっか。インスタントばっかじゃないの! 野菜ぐらい摂りなさいよ。リョクオーショクヤサイよ、わかった?」

マジやべえ。くっさ、ぶっさ。パネェ。
自分の漫画の雑魚キャラに言わせそうな台詞ばかり並べるこの女が、稀につぶやくこんな言葉がなんとなく嬉しい。カラオケでは高得点をたたき出すビブラードを利かせた声で、わざとこんなお説教をしてくる。コロナに触れてほしくて、ゲーム機も、ピンクのクッションも、加湿器も、小倉小豆のうまい最中アイスも、可愛い居候もこの部屋に置いた。彼女がいるだけで、この部屋は別の世界に変わってしまう。だけど、それ以外はいつもの自分どおりだらけだ。

「原稿あがったから、とりあえず買ってきただけ」
「ウソね。ここずっと、三食カップ麺だったでしょ? んで、今晩もコレ?」
「…図星」

レーコを追いかけてキッチンにやってきたコロナは、腕を組んで、フフンと息巻いていた。
どうやら、キッチンの三角コーナーやごみ箱やらを確認されていたものらしい。表情を変えなかったから、顔からは読まれていないが、隠し立てしてもしょうがない。

締切が近くなると、食事も睡眠も忘れてしまう。
ストイックな漫画家は二次元世界の完成を前にして、人間であることをやめてしまうのだ。妄想のかすみだけ食んでいれば生きていられるのに。どうして、自分は描かれた理想の国に行けないのだろう。からだが重い、熱い。正直、食事なんてめんどくさいと思う。眠ることすらめんどくさい。必要最小限の暮らししかしなければ、よけいなエネルギーを費やすこともないし、他から搾取することもない。よそから奪うくらいなら、自分が控えればいいのだ。



【目次】神無月の巫女二次創作小説「グリーン・バレンタイン」




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